アングロ・サクソン時代の「ソード・ピラミッド」、宝石はインドかスリランカ産だった
ソード・ピラミッドとは何ぞやという話だが、ブリテン島のアングロ・サクソン時代に剣留めに使われていたピラミッド型の飾りのことである。
こういう感じのもの。2コでセット。

大英博物館のコレクションでは「ピラミッド状のソード・ハーネス」という呼び方をしている。だいたい6-7世紀頃によく使われていたらしく。金と宝石を組み合わせて作る。
https://www.britishmuseum.org/collection/object/H_1939-1010-28

こんなもんつけてたら剣抜きにくくない? と思うかもしれないが、実際、抜きにくい。なので、血気盛んな野郎どもがホイホイ剣を抜かないようにつけさせた、という説もあったりする。というかこんな高価な飾りを持てる時点でかなり身分の高い領主クラスなので、そもそも自ら剣を抜く機会が頻繁にあっては困る。
また、見た目からしてなんか落としやすそう…ピンズみたい…と思うかもしれないが、実際、落とした人がいる。
というわけで今回の本題だが、「たぶん領主が落っことしただろうソード・ピラミッド」がイギリスのノースフォークで見つかり、それに使われているガーネットがはるばるインドかセイロンから運ばれてきたものだと分かった、という話である。
Sutton Hoo-era Norfolk sword pyramid find 'lost by lord'
https://www.bbc.com/news/uk-england-norfolk-57999456
※サットン・フーの時代、と言っているのは、サットン・フーという有名な遺跡と同時代だと表現することで読者にわかりやすくしているのだと思う。一般的に採用されている時代区分ではなく、標準遺跡の名前で表現しているという解釈。

たぶん、↓この兜を見たことある人は多いと思う。これが見つかった遺跡がサットン・フー。

本来は2つセットのはずのピラミッドが1つしか見つかっておらず、墓や遺跡ではなく何もない原っぱに埋まっていたことから、「たぶん領主が落としたんだろう」というのだが、こんな高価なものを落っことしたんだとしたら、領主の人、焦っただろうな…。というか今まで誰にも拾われなかったのも不思議。イギリスたまに畑から金貨とか出てくるからいろんな意味で夢がある。トレジャーハンターっていう職業が成り立つわけだ。
で、ここで気になるのは、6世紀-7世紀頃のブリテン島は、インドからの交易品をどうやって入手していたのか、という話だと思うが、実はブリテン島、青銅器時代には既に東地中海からの交易ルートが確立されていたんである。
前に調べた資料がコレ。
アイルランドの青銅器時代出土のエジプトファイアンス、その輸送経路
https://55096962.seesaa.net/article/201707article_8.html
中継する民族や地域が多少変わっても、需要がある限り供給もされる。
東地中海からブリテン島へ至る交易ルートは、その後もパピルスや香辛料などを盛んに輸出していた。ただし、少し後の8世紀半ばになるとイスラーム勢力がジブラルタルを支配するようになり、西ヨーロッパから東地中海への交易ルートは使えなくなってしまう。そのあたりの話はピレンヌ・テーゼとして古くから語られてきたテーマになっている。
モノから辿っていく交易の歴史は、とてもおもしろい。
こういう感じのもの。2コでセット。

大英博物館のコレクションでは「ピラミッド状のソード・ハーネス」という呼び方をしている。だいたい6-7世紀頃によく使われていたらしく。金と宝石を組み合わせて作る。
https://www.britishmuseum.org/collection/object/H_1939-1010-28

こんなもんつけてたら剣抜きにくくない? と思うかもしれないが、実際、抜きにくい。なので、血気盛んな野郎どもがホイホイ剣を抜かないようにつけさせた、という説もあったりする。というかこんな高価な飾りを持てる時点でかなり身分の高い領主クラスなので、そもそも自ら剣を抜く機会が頻繁にあっては困る。
また、見た目からしてなんか落としやすそう…ピンズみたい…と思うかもしれないが、実際、落とした人がいる。
というわけで今回の本題だが、「たぶん領主が落っことしただろうソード・ピラミッド」がイギリスのノースフォークで見つかり、それに使われているガーネットがはるばるインドかセイロンから運ばれてきたものだと分かった、という話である。
Sutton Hoo-era Norfolk sword pyramid find 'lost by lord'
https://www.bbc.com/news/uk-england-norfolk-57999456
※サットン・フーの時代、と言っているのは、サットン・フーという有名な遺跡と同時代だと表現することで読者にわかりやすくしているのだと思う。一般的に採用されている時代区分ではなく、標準遺跡の名前で表現しているという解釈。

たぶん、↓この兜を見たことある人は多いと思う。これが見つかった遺跡がサットン・フー。

本来は2つセットのはずのピラミッドが1つしか見つかっておらず、墓や遺跡ではなく何もない原っぱに埋まっていたことから、「たぶん領主が落としたんだろう」というのだが、こんな高価なものを落っことしたんだとしたら、領主の人、焦っただろうな…。というか今まで誰にも拾われなかったのも不思議。イギリスたまに畑から金貨とか出てくるからいろんな意味で夢がある。トレジャーハンターっていう職業が成り立つわけだ。
で、ここで気になるのは、6世紀-7世紀頃のブリテン島は、インドからの交易品をどうやって入手していたのか、という話だと思うが、実はブリテン島、青銅器時代には既に東地中海からの交易ルートが確立されていたんである。
前に調べた資料がコレ。
アイルランドの青銅器時代出土のエジプトファイアンス、その輸送経路
https://55096962.seesaa.net/article/201707article_8.html
中継する民族や地域が多少変わっても、需要がある限り供給もされる。
東地中海からブリテン島へ至る交易ルートは、その後もパピルスや香辛料などを盛んに輸出していた。ただし、少し後の8世紀半ばになるとイスラーム勢力がジブラルタルを支配するようになり、西ヨーロッパから東地中海への交易ルートは使えなくなってしまう。そのあたりの話はピレンヌ・テーゼとして古くから語られてきたテーマになっている。
モノから辿っていく交易の歴史は、とてもおもしろい。