エジプトより上流地域のキリスト教圏にある「聖母マリア」伝説、もしかして一部はイシスかもしれない。

以前エチオピアに行った時、タナ湖に浮かぶ島の教会で「聖家族はエジプトだけじゃなく、実はここまで逃げてきていたんだよ」という話を現地の人がしていた。そういう伝承があるらしい。

聖家族がヘロデ王に追われてエジプトまで行った話も、辿った道筋がエジプトの古来からの聖地を巡っていることから、実は古代の信仰と新しい宗教であるキリスト教の折り合いをつけるために付け足されたエピソードではないかと思っているのだが、もしかしたら、エチオピアまで行ったという話も、同じような経緯から作られたのかもしれない。

聖家族の道筋とエジプトの聖地マップ
https://55096962.seesaa.net/article/201802article_10.html


というわけで、その話をする。
ざっくりまとめると、こうなる。


●エジプト最南端のフィラエ島にはイシス神殿がある。
アスワン・ハイ・ダムが出来る際に水没することになり、救済されて近くの島に移転させられた観光スポット。


●その神殿から、イシス像が毎年一回、ヌビアの部族に貸し出されていた
特にブレンミュエス族はイシスに深く帰依していたらしい

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ちなみにブレンミュエス族は「首なし」人ブレンミュアエの元ネタとも考えられている。

架空の首なし族「ブレンミュアエ」の名前の元ネタは、実在する遊牧民族の可能性あり
https://55096962.seesaa.net/article/201805article_18.html


●ローマがキリスト教を公認して以降、ヌビアにはキリスト教国が成立。
さらに上流のエチオピアでもアクスム王国が成立しているが、ヌビアよりキリスト教の受容は早かった可能性がある。
ヌビアのキリスト教国については以下を参照。

知られざるヌビアのキリスト教・三王国時代の教会跡が見つかる。
https://55096962.seesaa.net/article/202106article_4.html


●出張していたイシス像の記憶が聖母マリアに置き換わったのでは…?<ここは推測>


そもそも、キリストを抱く聖母マリアの定番の姿は、息子ホルスを抱く母イシスの像がモチーフとされている。
属性も似ていることから、実際にイシスとマリア、ホルスとキリストが同一視されていた形跡もある。(エジプトでは、クリスマスですらホルス神の誕生祭の流用で祝われていた)

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なのでイシス信仰が聖母信仰に置き換わることはあり得ない話ではなく、お祭りの際にフィラエ島からナイルを遡って行幸していたイシス像の記憶が、そのまま「聖母がウチの街にやってきたことがある」に置き換わった可能性があるんじゃないかと思うのだ。

だとすれば、まったく何もないところにいきなり生まれた伝承というわけではなく、元ネタはある話で、自信満々に伝承を受け継いでも不思議はないよな…という感じ。実際にイシス像は来たことがあったわけなので。イシス=聖母の役割をもつ女神 なので、「聖母が来たことがある」も嘘ではない話になるわけで。

なんだか、エジプトを含むアフリカの聖母伝承、実は形を変えたイシス信仰が生き残ってる部分が結構ありそうな気がしている。


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聖母の伝承に、その土地ごとの「母なる女神」の記憶が混じっているのは、何もエジプトやヌビアに限らない。
イギリスやアイルランドの伝承でブリギットやダナが溶け込んでいたりするのと同じような感じ。探していけば同じように、元々あった伝承を上書きしただけなローカル聖母がたくさんいると思うよ。

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