ラメセス2世と「ライオンの谷」、ワディ・エッ・セブア
そういや「ライオンの谷」とかいう超カッコいい名前の遺跡あったよな…って調べ直したのでメモ。
というか、元々ラメセス2世が作らせた神殿なんだけど、5世紀にキリスト教の教会として転用されてしまったので、エジプトの古い教会リストに入ってて、「???!! あっ…一応、教会でもあったんだっけ…」ってなったので。
●建造時代
第19王朝、ラメセス2世時代。
正確には第18王朝のアメンホテプ3世が作らせて、アクエンアテンの時代にアメン信仰が放棄されて傷んでいたのをラメセス2世が作り直した。
アラブ人が「ワディ・エッ・セブア」、ライオンの谷、と名付けたのはラメセス2世時代に作られたライオン姿のスフィンクスが由来。
増築部分はラメセス2世の治世35年から50年の間に建設されたと考えられているので、アブ・シンベル神殿よりは後。
というか治世50年ってなんだよw ってなると思うけど、治世が70年近くあるのでまだまだ元気なうち。お察しください。
●ロケーション
ここはナイル河畔でも川べりが広い部分なので、神殿の背後には広大な西の砂漠が広がっている。
ただし元々は川べりにあり、アスワン・ダム建設時にほぼ水没、さらにアスワン・ハイ・ダム建設とともに完全に水没する予定だったため、アメリカによって1964年に4kmほど移動させられて現在の位置に落ち着いている。
同じ時期、マラッカ Maharraqa とダッカ Dakka の神殿も同様に移動している。
アブ・シンベルよりは下流だが、ヌビア地域を治めるために作られた神殿の一つで、祀られているのはヌビア地域のローカルなホルス神、アメン神、プタハ神などである。(アメンやプタハはアブ・シンベルでも重要な祭神になっている)
●特徴
場所的に良質な建材が手に入りにくいため、神殿を作っているのは日干しレンガや質の悪い石材など。そのため風化が激しい。
一部は元からそこにあった岩盤を削り、それ以外は泥レンガに漆喰を塗って作られている。なので残りはあまり良くない。
https://www.aegyptologie.uni-muenchen.de/download/wadi-es-sebua.pdf
また5世紀以降は教会にされ、神の像が削られて聖ペトラに置き換えられてしまったため、ヒエログリフのど真ん中にとつぜんキリスト教モチーフが登場するという、エジプトではわりとよく見かける謎シチュエーションが発生している。
この置き換えは7-8世紀に行われたと考えられている。
●見どころ
おそらくこの神殿は、神殿そのものというより、目の前にナイルの恵み、背後に荒涼とした無限にも思える砂漠、という、対比的なロケーションと一緒に体験すべきものだと思う。古代エジプト人が体感していた、「神々の土地」と「守護を離れた土地」のちちょうど境界線上に位置する神殿だからだ。
また、ロケーションだけでなく、時代としても、「古代エジプト」と「コプト(キリスト教)時代」の境目を実感できる遺跡なのではないかと思う。
時と世界のはざまに位置する神殿。そう考えると、小ぶりながら、見に行く意義はある場所ではないかと思うのだ。
というか、元々ラメセス2世が作らせた神殿なんだけど、5世紀にキリスト教の教会として転用されてしまったので、エジプトの古い教会リストに入ってて、「???!! あっ…一応、教会でもあったんだっけ…」ってなったので。
●建造時代
第19王朝、ラメセス2世時代。
正確には第18王朝のアメンホテプ3世が作らせて、アクエンアテンの時代にアメン信仰が放棄されて傷んでいたのをラメセス2世が作り直した。
アラブ人が「ワディ・エッ・セブア」、ライオンの谷、と名付けたのはラメセス2世時代に作られたライオン姿のスフィンクスが由来。
増築部分はラメセス2世の治世35年から50年の間に建設されたと考えられているので、アブ・シンベル神殿よりは後。
というか治世50年ってなんだよw ってなると思うけど、治世が70年近くあるのでまだまだ元気なうち。お察しください。
●ロケーション
ここはナイル河畔でも川べりが広い部分なので、神殿の背後には広大な西の砂漠が広がっている。
ただし元々は川べりにあり、アスワン・ダム建設時にほぼ水没、さらにアスワン・ハイ・ダム建設とともに完全に水没する予定だったため、アメリカによって1964年に4kmほど移動させられて現在の位置に落ち着いている。
同じ時期、マラッカ Maharraqa とダッカ Dakka の神殿も同様に移動している。
アブ・シンベルよりは下流だが、ヌビア地域を治めるために作られた神殿の一つで、祀られているのはヌビア地域のローカルなホルス神、アメン神、プタハ神などである。(アメンやプタハはアブ・シンベルでも重要な祭神になっている)
●特徴
場所的に良質な建材が手に入りにくいため、神殿を作っているのは日干しレンガや質の悪い石材など。そのため風化が激しい。
一部は元からそこにあった岩盤を削り、それ以外は泥レンガに漆喰を塗って作られている。なので残りはあまり良くない。
https://www.aegyptologie.uni-muenchen.de/download/wadi-es-sebua.pdf
また5世紀以降は教会にされ、神の像が削られて聖ペトラに置き換えられてしまったため、ヒエログリフのど真ん中にとつぜんキリスト教モチーフが登場するという、エジプトではわりとよく見かける謎シチュエーションが発生している。
この置き換えは7-8世紀に行われたと考えられている。
●見どころ
おそらくこの神殿は、神殿そのものというより、目の前にナイルの恵み、背後に荒涼とした無限にも思える砂漠、という、対比的なロケーションと一緒に体験すべきものだと思う。古代エジプト人が体感していた、「神々の土地」と「守護を離れた土地」のちちょうど境界線上に位置する神殿だからだ。
また、ロケーションだけでなく、時代としても、「古代エジプト」と「コプト(キリスト教)時代」の境目を実感できる遺跡なのではないかと思う。
時と世界のはざまに位置する神殿。そう考えると、小ぶりながら、見に行く意義はある場所ではないかと思うのだ。