サウジアラビアの「地上絵」、水源から水源へ向かう通路上に設置された「葬送の道」だった可能性が示唆される

近年、衛星画像から認識され、「いつ誰が作ったのかもワカラン! 謎の地上絵!」と言われていたサウジアラビアの砂漠にある線画のようなもの、最近の研究である程度、正体が分かってきたらしい。

★これまでのまとめ

サウジアラビアの「謎の地上絵」、その後の続報もないのでまとめておくことにした
https://55096962.seesaa.net/article/202006article_14.html

★今回分かったこと

・基本的に水源と水源を繋ぐ遊牧民の道
・お墓の集合している場所が道沿いに続くので、おそらく「葬送の道」
・ペンダント型に見えるものはお墓で、築かれたのは紀元前2500年~2000年ごろ

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★今回の論文

The Middle Holocene ‘funerary avenues’ of north-west Arabia
https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/09596836211060497

サウジアラビアのこの地上絵のあたりは、のちにナバテア文明が栄える場所。ナバテアの人々は、基本的に遊牧しながらも祖先礼拝のための神殿や墓所を中心とした定住ポイントを築いていた。おそらく、それと同じ行動理念・宗教概念を持っている人々が築いたのだと思われる。ていうかおそらく場所的にナバテア人の遠い祖先とかじゃないかな…。地域の歴史としてはすっきりつながるので、なるほど、そう来たか。という感じ。

水路や水源をつないでいる、というのは、空撮を分析したものを見るとわかりやすい。
線の集中しているところに泉などがある。また、涸れ谷(ワジ=雨が降った時だけ水が流れる)もこの線とリンクしている。
これは、水場の位置を示すために作ったわけではなく、広大な砂漠の中を家畜を連れて移動する生活をしている人たちが自然と集まる場所、通り道になる場所が水源を結ぶルートだから、だろうと思われる。人に会おうと思ったら、このルート上がいちばん効率がいい。或いは、遊牧のついでに偉大な首長とかご先祖様のお参りに行くとしたらここじゃないと通いづらい、みたいな感じ。

全てのお墓の場所が完全に水源を結ぶルートとリンクしているわけではないようなのだが、少なくとも、「なぜ広い砂漠に一定の規則で遺跡が出現するのか」の理由づけとしては理にかなっている。

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ある程度分かってくると「なあんだ」という感じではあるが、古代に消えてしまった道もあっただろうし、略奪されてしまって墓として使われたのかどうか分からない遺跡もある。また、このペンダント状の形にもいくつかパターンがあるらしく、それぞれの違いは作られた時代によるものなのか、作った部族が微妙に違うのか、地位の高い・低いによっての差異は在るのか、などの分析もまだこれから。また、「葬送の道」を外れたところにある遺跡もそれなりにあるらしい。

ただ、最初は謎だったものが10年ほどでここまで解明されてきているので、気長に報告を待ちたい。
新たな謎が生まれ、解かれてはまた次の謎を生み、世界の歴史が追加されていく…終わりなきコンテンツは、いいものです。

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