【2002年記録】北欧紀行~北極圏・ラップランドへの旅/ルーレオ(ガンメルスタード聖堂村)
ガンメルスタード聖堂村(教会村とも言う)行きのバスは、ツーリストインフォのあるメインストリートから出ています。
バス停の場所も、降りるとこも、インフォのおねーさんが教えてくれます。
でもね…
オレはそん時、重大なミスを犯しておりました。バス停の名前をつづりで聞いておかなかったのです。
そう! スウェーデン語って英語じゃないんスよ。「イェリバーレ」だって、つづりは「Gällivare」でしょ。読み方によっちゃ、「ギェリバーレ」とも読めるじゃーないですか。(事実、そうも聞こえる。)
バスの路線地図 ←持ち運びしててちょいとボロくなってしまったんですが、これがガンメルスタード聖堂村行き9番バスの路線図。

下のほうの、オレンジ色の丸が、スタート地点の”セントラム”ね。
途中で道が2つに別れてるでしょ。なんかイヤな予感したんスよ…右まわりのバスと左まわりのバスがあるのです…。
んで、目的地、「ガンメルスタード教会前」にあるバス停は、緑で矢印している地点。
つまり、右回りのバスに乗らなくてはなりません。
しかーし! 私が乗ったのは左回り。そしてバス停のつづりが分かってないので、全然違うバス停(赤い丸のあたり)で降りてしまったのでありました…。
ワケわかんないので、とりあえず、歩いていた背の高いお兄ちゃん(と言っても、年下ではないかと思われる)に道を尋ねてみます。
「あー…今いるのはねえ、ここだよ。」と、ペンでカキカキ。「教会村はコッチなんだよね。」
「うあ。」
どう行けばいいんですかー、と訪ねると、「ちょっと待って」と近くのバス停まで連れてってくれる。
いい人だ! スウェーデン人、いい人だ!!
時刻表を見ると、しばらくバスは無いらしい。「そうだねえ、歩くと15分くらいだし、50分バスを待つくらいなら、歩いたほうがあったかいよ。」…ナルホド。
ガンメルスタードに歩いて行くなんて、なんだか昔の旅人みたーい。
お兄ちゃんが親切に道を教えてくれたので、さっそく歩きはじめます。
何せ晴れてるし。背中のリュックには、パンと木苺ジュースが入ってるし。
まばらだけど、いちお、民家もあるし。
行き倒れることは無いかなーなんて思いながら、名前も知らない村を歩きます。呑気です^^;
ちなみに、右回りのバスに乗ると、ルーレオの町からガンメルスタードまでは20分少々。左回りだと、たぶん1時間くらいかかるんじゃないかな。戻ってくるときガンメルスタードを通るんだから。
バスの運転手さんは、何故かほとんど英語通じません! 何故? スウェーデン語で言われても、分からんちゅーねん。
バスは、一律23クローナ。事前に日本で調べた情報では22クローナだったんですが、ここでも物価が上がってました…。
それにしても、バスにレジがついてるなんて面白すぎ。
ほとんどの人はバスカードでスルーしていくんだけど、持ってなかったら運転手さんがレジ打って、お釣りとレシート返してくれるんですよ。人の少ない北欧だから出来るシステムですよね。

ここも凍ってる。
歩いていると、途中、湖だか海だか分からない、凍ってる水辺に出ました。
夏に来ると綺麗なんだろうなー、なんて思いながら余裕かまして写真撮ってみる。
…そして、手袋を落としました。(笑)
いいや。北欧に眠れわが手袋。
雪が降ったら、落し物の手袋の中でネズミが暖を取るのね♪(っていう童話があったよね、確か。)

看板 教えてもらったとおり、橋と線路を越えて行くと、教会村の看板が…。
その背後には墓。よっしゃ! ここか!
と、いうことで墓場をウロついてみます(不審者)。
…あれ、でも教会は何処? と、墓場にひとりたたずんでいた、意味ありげな黒いコートの美人(メーテルにあらず)に尋ねてみると…
「教会は、そのまま真っ直ぐ行くと見えるわ」
がーん。ここは教会村の入り口で、中心部はまだ先のよう。
さらにてくてく上り坂を歩いていくと…みやげもの屋とか、閉まってるし。
見えました。坂の先に、ガンメルスタードの中心、教会の屋根。→

歩いて来たので、到着の喜びもひとしお。本当は、教会前のバス停で降りるはずだったんですが。
冬場、みやげもの屋はほとんど閉まっているんですが、この上り坂にあるレストランは営業していました。
そりゃ、まばらとはいえ観光客は来るのだし、全部閉まってたら辛いですが…。
この村は、今でも人が普通に暮らしています。お葬式も結婚式も、見えている教会でやります。
最初に行った墓場には、新鮮な花が供えられている墓もありました。
遺跡ではなく、「活動中の」世界遺産なのです。

墓。
←なんだか古そうな墓。教会横にありました。
この墓もきっと、長い歴史を見てきたのでしょう。
さきに行ったルーレオの町は、この村から移住した人々によって作られたといいます。
そして、この村は、教会を中心として遠方から集まった人々によって作られた村。
つまり、この地方の原点。
遠くから教会にやってくる人のためのコテージが集まっている教会村で、教会そのものが世界遺産なのではなく、「教会+コテージ群」が世界遺産なのです。
ガイド本より『ガンメルスタードは、14世紀より交易・商業の場として栄え、大国ロシアとの緊張関係が高まる中で防衛拠点としても使われました。』
そのまま読み流すと、それだけの内容なんですが、「間にフィンランドがあるのに、何でロシアと戦争すんの?」って疑問に気がつくと話はより深くなります。
フィンランドには、スウェーデンとロシアに支配されていた時期がありました。この時、フィンランド北部は、ロシアとスウェーデンで取り合い状態にあり、国境もかなり不安定だったのです。
フィンランド独立したのは、やっと19世紀のこと。そして、その時、民族のアイデンティティとして掲げられたのが「フィンランド叙事詩 カレワラ」です。
…ねっ?
歴史が繋がっていくんですよ♪
そんなこんなで、マニアにとっては絶対行きたい歴史の中継地点だったんです。
さて重い扉をよっこらしょっと開いて中に入ると、中はあったかい。
そして、早くも薄暗い。
上から声が聞こえてくるので見上げると、2階に牧師さん(ガイドさん?)が、いて、先に来ていた観光客を案内していました。
英語耳が悪いもんで、何言ってんだかよくわかんなかったんですが、けっこう陽気な口調。
彼は「ハァイ♪」とか片手挙げて挨拶してくれました(笑)

この教会は、ルーテル福音派キリスト教。フィンランドと同じです。
そういう意味でも、ちょっちドキドキ。
奥には、「白夜の夜、窓から差し込んだ太陽の光が4分間だけ照らし出す」と、いう、大きなキリスト像が天井からぶら下げられています。
行った時は午後1時くらいだったんですが、もう日が暮れかかっているので、太陽は低く、窓の光はキリストさんのはるか下のほうに差し込んでいます。
町の人たちが今でも使っている教会ということで、キリスト像の足元には、説教台があり、椅子がならべられ、椅子の上には聖書が置いてありました。
椅子に座って、休憩しつつ魔法瓶のお茶を飲んでいると、さっき2階に行った人が、おもむろにパイプオルガンを弾き始めました…!
この小さな教会の、キリスト像と反対側の2階には、4200本ものパイプから成る巨大パイプオルガンがあるのです。
その荘厳な音が人気の無い教会中に響き渡るのは素敵でした。
もちろん低い音も出るんですが、かなり高い音もあって、高い音を出しているときは、パイプオルガンの中央につけられた星が回ります。
すごかったです。
なんせ目の前にキリストさんが(笑) 思わず過去のあれやこれやを、懺悔しそうになりました。フフ…。
かつて「異教とは、詩美の宗教だ」と言った文学者がいましたが、ならキリスト教は「音楽の宗教」かもしれません。
私はキリスト教の宗教音楽に弱いです。

もう暗い。
休憩を終えて出て行こうとすると、先ほどの牧師orガイドの人が、上から降りて来ていました。
「そこにゲストブックがあるよ。記帳していきなよ」
と、言うので、ゲストブックに名前を書いて来ました。
とっさに 「岡沢 秋」 と。 本名ではなく^^;
…えー、見た限り、日本人の名前は見当たりませんでした。
いつかここの教会に行く人がいらっしゃいましたら、2002年11月6日のページに私の名前を見つけてやってください(笑)

教会を出ると、まだ2時くらいなのに、もう日暮れ…。
教会のある場所は丘の上なので、道は教会を中心にして四方に下り坂。
ふつーに人の住んでる村なので、教会以外は、建物を見て歩くくらい。あんまり見るものも無く、冬のせいか、人もいない…
あぁっ! こんなところにまで貞子の井戸が…!!(オイ)→
とかなんとか。
村の中を散策して、帰りは教会の前からセントラム行きのバスに乗り、順調に町まで辿り着きました、とさ。
※ここからのバスは1時間に1本しか無いんで、乗り過ごすと大変かも…。
※当時のバス情報なので今はもう使えないはず。交通は最新の情報で…。
バス停の場所も、降りるとこも、インフォのおねーさんが教えてくれます。
でもね…
オレはそん時、重大なミスを犯しておりました。バス停の名前をつづりで聞いておかなかったのです。
そう! スウェーデン語って英語じゃないんスよ。「イェリバーレ」だって、つづりは「Gällivare」でしょ。読み方によっちゃ、「ギェリバーレ」とも読めるじゃーないですか。(事実、そうも聞こえる。)
バスの路線地図 ←持ち運びしててちょいとボロくなってしまったんですが、これがガンメルスタード聖堂村行き9番バスの路線図。

下のほうの、オレンジ色の丸が、スタート地点の”セントラム”ね。
途中で道が2つに別れてるでしょ。なんかイヤな予感したんスよ…右まわりのバスと左まわりのバスがあるのです…。
んで、目的地、「ガンメルスタード教会前」にあるバス停は、緑で矢印している地点。
つまり、右回りのバスに乗らなくてはなりません。
しかーし! 私が乗ったのは左回り。そしてバス停のつづりが分かってないので、全然違うバス停(赤い丸のあたり)で降りてしまったのでありました…。
ワケわかんないので、とりあえず、歩いていた背の高いお兄ちゃん(と言っても、年下ではないかと思われる)に道を尋ねてみます。
「あー…今いるのはねえ、ここだよ。」と、ペンでカキカキ。「教会村はコッチなんだよね。」
「うあ。」
どう行けばいいんですかー、と訪ねると、「ちょっと待って」と近くのバス停まで連れてってくれる。
いい人だ! スウェーデン人、いい人だ!!
時刻表を見ると、しばらくバスは無いらしい。「そうだねえ、歩くと15分くらいだし、50分バスを待つくらいなら、歩いたほうがあったかいよ。」…ナルホド。
ガンメルスタードに歩いて行くなんて、なんだか昔の旅人みたーい。
お兄ちゃんが親切に道を教えてくれたので、さっそく歩きはじめます。
何せ晴れてるし。背中のリュックには、パンと木苺ジュースが入ってるし。
まばらだけど、いちお、民家もあるし。
行き倒れることは無いかなーなんて思いながら、名前も知らない村を歩きます。呑気です^^;
ちなみに、右回りのバスに乗ると、ルーレオの町からガンメルスタードまでは20分少々。左回りだと、たぶん1時間くらいかかるんじゃないかな。戻ってくるときガンメルスタードを通るんだから。
バスの運転手さんは、何故かほとんど英語通じません! 何故? スウェーデン語で言われても、分からんちゅーねん。
バスは、一律23クローナ。事前に日本で調べた情報では22クローナだったんですが、ここでも物価が上がってました…。
それにしても、バスにレジがついてるなんて面白すぎ。
ほとんどの人はバスカードでスルーしていくんだけど、持ってなかったら運転手さんがレジ打って、お釣りとレシート返してくれるんですよ。人の少ない北欧だから出来るシステムですよね。

ここも凍ってる。
歩いていると、途中、湖だか海だか分からない、凍ってる水辺に出ました。
夏に来ると綺麗なんだろうなー、なんて思いながら余裕かまして写真撮ってみる。
…そして、手袋を落としました。(笑)
いいや。北欧に眠れわが手袋。
雪が降ったら、落し物の手袋の中でネズミが暖を取るのね♪(っていう童話があったよね、確か。)

看板 教えてもらったとおり、橋と線路を越えて行くと、教会村の看板が…。
その背後には墓。よっしゃ! ここか!
と、いうことで墓場をウロついてみます(不審者)。
…あれ、でも教会は何処? と、墓場にひとりたたずんでいた、意味ありげな黒いコートの美人(メーテルにあらず)に尋ねてみると…
「教会は、そのまま真っ直ぐ行くと見えるわ」
がーん。ここは教会村の入り口で、中心部はまだ先のよう。
さらにてくてく上り坂を歩いていくと…みやげもの屋とか、閉まってるし。
見えました。坂の先に、ガンメルスタードの中心、教会の屋根。→

歩いて来たので、到着の喜びもひとしお。本当は、教会前のバス停で降りるはずだったんですが。
冬場、みやげもの屋はほとんど閉まっているんですが、この上り坂にあるレストランは営業していました。
そりゃ、まばらとはいえ観光客は来るのだし、全部閉まってたら辛いですが…。
この村は、今でも人が普通に暮らしています。お葬式も結婚式も、見えている教会でやります。
最初に行った墓場には、新鮮な花が供えられている墓もありました。
遺跡ではなく、「活動中の」世界遺産なのです。

墓。
←なんだか古そうな墓。教会横にありました。
この墓もきっと、長い歴史を見てきたのでしょう。
さきに行ったルーレオの町は、この村から移住した人々によって作られたといいます。
そして、この村は、教会を中心として遠方から集まった人々によって作られた村。
つまり、この地方の原点。
遠くから教会にやってくる人のためのコテージが集まっている教会村で、教会そのものが世界遺産なのではなく、「教会+コテージ群」が世界遺産なのです。
ガイド本より『ガンメルスタードは、14世紀より交易・商業の場として栄え、大国ロシアとの緊張関係が高まる中で防衛拠点としても使われました。』
そのまま読み流すと、それだけの内容なんですが、「間にフィンランドがあるのに、何でロシアと戦争すんの?」って疑問に気がつくと話はより深くなります。
フィンランドには、スウェーデンとロシアに支配されていた時期がありました。この時、フィンランド北部は、ロシアとスウェーデンで取り合い状態にあり、国境もかなり不安定だったのです。
フィンランド独立したのは、やっと19世紀のこと。そして、その時、民族のアイデンティティとして掲げられたのが「フィンランド叙事詩 カレワラ」です。
…ねっ?
歴史が繋がっていくんですよ♪
そんなこんなで、マニアにとっては絶対行きたい歴史の中継地点だったんです。
さて重い扉をよっこらしょっと開いて中に入ると、中はあったかい。
そして、早くも薄暗い。
上から声が聞こえてくるので見上げると、2階に牧師さん(ガイドさん?)が、いて、先に来ていた観光客を案内していました。
英語耳が悪いもんで、何言ってんだかよくわかんなかったんですが、けっこう陽気な口調。
彼は「ハァイ♪」とか片手挙げて挨拶してくれました(笑)

この教会は、ルーテル福音派キリスト教。フィンランドと同じです。
そういう意味でも、ちょっちドキドキ。
奥には、「白夜の夜、窓から差し込んだ太陽の光が4分間だけ照らし出す」と、いう、大きなキリスト像が天井からぶら下げられています。
行った時は午後1時くらいだったんですが、もう日が暮れかかっているので、太陽は低く、窓の光はキリストさんのはるか下のほうに差し込んでいます。
町の人たちが今でも使っている教会ということで、キリスト像の足元には、説教台があり、椅子がならべられ、椅子の上には聖書が置いてありました。
椅子に座って、休憩しつつ魔法瓶のお茶を飲んでいると、さっき2階に行った人が、おもむろにパイプオルガンを弾き始めました…!
この小さな教会の、キリスト像と反対側の2階には、4200本ものパイプから成る巨大パイプオルガンがあるのです。
その荘厳な音が人気の無い教会中に響き渡るのは素敵でした。
もちろん低い音も出るんですが、かなり高い音もあって、高い音を出しているときは、パイプオルガンの中央につけられた星が回ります。
すごかったです。
なんせ目の前にキリストさんが(笑) 思わず過去のあれやこれやを、懺悔しそうになりました。フフ…。
かつて「異教とは、詩美の宗教だ」と言った文学者がいましたが、ならキリスト教は「音楽の宗教」かもしれません。
私はキリスト教の宗教音楽に弱いです。

もう暗い。
休憩を終えて出て行こうとすると、先ほどの牧師orガイドの人が、上から降りて来ていました。
「そこにゲストブックがあるよ。記帳していきなよ」
と、言うので、ゲストブックに名前を書いて来ました。
とっさに 「岡沢 秋」 と。 本名ではなく^^;
…えー、見た限り、日本人の名前は見当たりませんでした。
いつかここの教会に行く人がいらっしゃいましたら、2002年11月6日のページに私の名前を見つけてやってください(笑)

教会を出ると、まだ2時くらいなのに、もう日暮れ…。
教会のある場所は丘の上なので、道は教会を中心にして四方に下り坂。
ふつーに人の住んでる村なので、教会以外は、建物を見て歩くくらい。あんまり見るものも無く、冬のせいか、人もいない…
あぁっ! こんなところにまで貞子の井戸が…!!(オイ)→
とかなんとか。
村の中を散策して、帰りは教会の前からセントラム行きのバスに乗り、順調に町まで辿り着きました、とさ。
※ここからのバスは1時間に1本しか無いんで、乗り過ごすと大変かも…。
※当時のバス情報なので今はもう使えないはず。交通は最新の情報で…。