かつてエジプトが支配していた土地「コエレ・シリア」とはどこなのか。ちょっと歴史を辿ってみた

コエレ・シリア(Coele-Syria)とは、プトレマイオス朝時代、または遡って新王国時代にエジプトが支配していたとされるシリア南部地域の呼び方だ。だが、この言葉自体で「シリア地方」という訳をしている資料もあり、結局どこのことなのかよく分からなかった。
なのでちょっと意味を辿ってみたのだが…まず、辞書引いた時点で「あっこれ面倒なやつや」と気がついてしまった。


①大元はアラム語の「kul」=全体、という意味で、シリア地方全体の意味
②ただしギリシャ語では「Coele」=くぼみ、という意味になり、ギリシャの歴史家たちがこの単語を使っている場合はシリアとレバノンにまたがるベッカー渓谷付近を示している


アラム語の「kul」は「全体」という意味なので、もともとはシリア全体を指す言葉だったはずなのに、ギリシャ語に転嫁した時点で別の意味を持つ単語に置き換えられてしまい、シリアのくぼみ、つまりシリア南部の目立つ渓谷を指す言葉として意味も変わった、ということだ。つまり時代ごと/出てくる資料ごとに若干、使用者の想定している意味が異なる。

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で、プトレマイオス朝の資料に出てくる場合は、Eleutherus川より南の自分たちの支配地域にこの単語を使っているらしい。
この川は現代においてはシリアとレバノンの国境にあたる。つまり、「シリア地方南部」ではあるが、現代の国名で示すなら主に「レバノン」を指す言葉になる。
…うん、面倒くさいね?(´・ω・`) まあでも地域を現す言葉が時代ごとに範囲指定変わるのはよくあることなので。

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というわけで、レバノンまでしか支配してないプトレマイオス朝の王が「コエレ・シリアの統治者」の称号を名乗っても別におかしくなかったんだ…。
プトレマイオス朝エジプトの支配地域としての「コエレ・シリア」は、「シリア地方南部」と認識しておいてよさそうだ。
国でいうとちょうどレバノンとシリアの境目のあたり。

判ると納得の結果であった。

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