紀元前4世紀末~5世紀のアレキサンドリア 「叡智の都」の裏側とは
アレキサンドリアといえば、かつてエジプト最後の王朝プトレマイオス朝の首都だった都市。ローマ併合後も発展を続け、紀元前4世紀末~5世紀ごろの古代世界においては、最大の人口を誇ったとも考えられている。
そんな大都市だが、面積は意外に広くない。
というか北が海、南がナイル川とつながる淡水湖で、東西に長く延びた土地に集中せざるを得ない構造だった。

そんな大都市なら必然的に発生することは…そう、「衛生環境の悪化」だ!!
ということに、何故かこの本で気がついた。
いや、うん、哲学者で天文学者ヒュパティアの本なんだけど、彼女については以前調べてだいたい知ってたから…。

ヒュパティア:後期ローマ帝国の女性知識人 - エドワード・J・ワッツ, 中西 恭子
この本の著者は、「美化されたり物語として語られるヒュパティアではなく実在した一人の女性としてのヒュパティアの生涯を見てほしい!!」みたいな感じで書いてるんだけど、それ系の本ならクレオパトラなんかでもよく見かけるし、コンセプト自体は珍しいものではなく、ふーん、って感じであまり刺さりはしなかった。
ただ、アレキサンドリアで初期キリスト教徒との軋轢の中で処刑された女性学者である彼女が暮らしていた世界、つまりは4世紀末から5世紀初頭のアレキサンドリアが、「どういう町」だったのか、という部分はなるほどと思えたのだ。
まず、その頃のアレキサンドリアは幼児・妊婦の死亡率が異様に高く、自然増加率だけで人口維持が出来なかったこと。
疫病が流行り、上流階級でさえ家族全滅があり得たこと。(実際にヒュパティアの弟子の一人はそうなっている)
妊婦の死亡率が一回のお産で2%、5歳までに子供の半数が死に、毎年3%の人口が失われる。これはコロナ禍にある現代においても、パリやロンドン、ニューヨークなどの大都市で起きていた事象に近い。日本のような世界的にも珍しい潔癖症の都市でもなければ、密集した人口の中で清潔度は保てない。
にも関わらず、アレキサンドリアは十五万から二十万もの人口を維持出来ていた。これは驚異的なことだ。つまりは毎年、それ以上の移民が都市に流入していたのだ。たとえば、エジプト土着民の出稼ぎとか。
そして、上流階級とそうした移民たちとの世界が全く別のものとなり、ひとつの町の中で二つの世界が出来てしまっていた。これが衝突と破壊の原点となる。――先に上げたニューヨークやパリといった現代の大都市でも起きている問題と同じなのだ。
栄えていたアレキサンドリアも、廃れるのは、ほんの一瞬だった。
プトレマイオス朝の終焉により政治的中心地ではなくなり、ムーセイオンや大図書館の消失によって知の都としての役割も失った。
「ヒュパティア」の著者は、それはヒュパティアの死に象徴される出来事が原因ではない、五世紀以降も百年ほどは知識人をひきつけていた、と必死に援護しているけれど、それは建設されてからの七百年ほどの時間の長さから考えれば「一瞬」と表現して差し支えないと思う。そして、キリスト教徒との衝突による分断後のアレキサンドリアは、ただ衰退していく下り坂の時代だったと認識できる。
アレキサンドリアは、イスラーム勢力がやって来たときには既に地方の小都市に転落していた、という。
求心力を失って移民が来なくなると、自然減だけで数十年もすれば廃墟になるのだとわかれば、そこに大きな理由など必要ない。もとより過密すぎて住みづらくなり、自給自足できるキャパもとっくに超えていた。移民によって人口を支えていた都市は、魅力を失って移民が来なくなれば、勝手に衰退するしかないのだ。
世界の名だたる大都市も、いつかは衰退の時を迎える。
「二つの世界」の衝突後の衰退の時代、果たして今がそうではないと誰が言えるのだろうか。
そんな大都市だが、面積は意外に広くない。
というか北が海、南がナイル川とつながる淡水湖で、東西に長く延びた土地に集中せざるを得ない構造だった。

そんな大都市なら必然的に発生することは…そう、「衛生環境の悪化」だ!!
ということに、何故かこの本で気がついた。
いや、うん、哲学者で天文学者ヒュパティアの本なんだけど、彼女については以前調べてだいたい知ってたから…。

ヒュパティア:後期ローマ帝国の女性知識人 - エドワード・J・ワッツ, 中西 恭子
この本の著者は、「美化されたり物語として語られるヒュパティアではなく実在した一人の女性としてのヒュパティアの生涯を見てほしい!!」みたいな感じで書いてるんだけど、それ系の本ならクレオパトラなんかでもよく見かけるし、コンセプト自体は珍しいものではなく、ふーん、って感じであまり刺さりはしなかった。
ただ、アレキサンドリアで初期キリスト教徒との軋轢の中で処刑された女性学者である彼女が暮らしていた世界、つまりは4世紀末から5世紀初頭のアレキサンドリアが、「どういう町」だったのか、という部分はなるほどと思えたのだ。
まず、その頃のアレキサンドリアは幼児・妊婦の死亡率が異様に高く、自然増加率だけで人口維持が出来なかったこと。
疫病が流行り、上流階級でさえ家族全滅があり得たこと。(実際にヒュパティアの弟子の一人はそうなっている)
妊婦の死亡率が一回のお産で2%、5歳までに子供の半数が死に、毎年3%の人口が失われる。これはコロナ禍にある現代においても、パリやロンドン、ニューヨークなどの大都市で起きていた事象に近い。日本のような世界的にも珍しい潔癖症の都市でもなければ、密集した人口の中で清潔度は保てない。
にも関わらず、アレキサンドリアは十五万から二十万もの人口を維持出来ていた。これは驚異的なことだ。つまりは毎年、それ以上の移民が都市に流入していたのだ。たとえば、エジプト土着民の出稼ぎとか。
そして、上流階級とそうした移民たちとの世界が全く別のものとなり、ひとつの町の中で二つの世界が出来てしまっていた。これが衝突と破壊の原点となる。――先に上げたニューヨークやパリといった現代の大都市でも起きている問題と同じなのだ。
栄えていたアレキサンドリアも、廃れるのは、ほんの一瞬だった。
プトレマイオス朝の終焉により政治的中心地ではなくなり、ムーセイオンや大図書館の消失によって知の都としての役割も失った。
「ヒュパティア」の著者は、それはヒュパティアの死に象徴される出来事が原因ではない、五世紀以降も百年ほどは知識人をひきつけていた、と必死に援護しているけれど、それは建設されてからの七百年ほどの時間の長さから考えれば「一瞬」と表現して差し支えないと思う。そして、キリスト教徒との衝突による分断後のアレキサンドリアは、ただ衰退していく下り坂の時代だったと認識できる。
アレキサンドリアは、イスラーム勢力がやって来たときには既に地方の小都市に転落していた、という。
求心力を失って移民が来なくなると、自然減だけで数十年もすれば廃墟になるのだとわかれば、そこに大きな理由など必要ない。もとより過密すぎて住みづらくなり、自給自足できるキャパもとっくに超えていた。移民によって人口を支えていた都市は、魅力を失って移民が来なくなれば、勝手に衰退するしかないのだ。
世界の名だたる大都市も、いつかは衰退の時を迎える。
「二つの世界」の衝突後の衰退の時代、果たして今がそうではないと誰が言えるのだろうか。