いつか行ってみたいローマのピラミッド。「ガイウス・ケスティウスのピラミッド」

ローマはエジプト風の建築もけっこうお好き。エジプトからオベリスク持って帰ってたりもするんだけど、実はローマにはピラミッドもある。
裕福な執政官が自分の墓として築いたもので、中にはフレスコの装飾もあるという。なんともゴージャスである。

Porta_San_Paolo_-_Piramid_Cestius.jpg

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日本語wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%AE%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89

ローマ観光案内
https://www.turismoroma.it/it/luoghi/piramide-cestia

のちの時代に砦の壁の一部に組み込まれてしまったので壁と一体化している。
また、エジプトの本物のピラミッドのように、東西南北をキッチリ測って作られたものではない。太陽信仰の思想までは引き継いでいいのだ。

ただ、ピラミッドを「墓」として使ったということは、これを作らせたケスティウスさんは、ピラミッドが墓であることを知っていて、再生復活の思想に共感していたはずなのだ。時代はエジプトのローマ併合から数十年といったところ。まだミイラ化の風習も、死者の書や護符の伝統も生きていた時代なのだから、当然といえば当然か。

この時代のローマ人にとって、併合され属州となったエジプトの認識はどうだったんだろうな…? とは疑問に思う。
伝統の厚みや歴史の長さは、比べ物にならないほどエジプトのほうが上。ローマが上回っていたのは軍事力やマンパワーの部分である。少なくとも、伝統の部分であやかりたいと思うくらいの魅力はあったということか。

なお、このお墓、のちの時代に墓泥棒が入った跡もあるらしい。

ピラミッド内部の写真などのあるページ
https://serai.jp/tour/1021365

ただし中に財宝などはなく、葬られているはずの棺すら無かったのだとか。墓泥棒が空振りするあたりはエジプトのピラミッドと全く同じ、というところは本場のピラミッドと同じ。ある意味では、「ピラミッドらしいピラミッド」といえるだろう。

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