古代人の落書きコレクション。アトリビスの寺子屋から大量のオストラカが発見される
オストラカとは、文字などを書くのに使われた陶器の破片のこと。いわば古代のメモ帳。紙や写字版は高級だが、陶器の破片ならいっぱいあるし洗って何度も使えてお金がかからない。
More Than 18,000 Pot Sherds Document Life In Ancient Egypt
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2022/01/more-than-18000-pot-sherds-document.html
チューリンゲン大のプレスリリースページ
https://uni-tuebingen.de/en/university/news-and-publications/press-releases/press-releases/article/mehr-als-18000-tonscherben-dokumentieren-leben-im-alten-aegypten/
アトリビスという名前の町は、実はナイルの上流と下流にある。
今回のは写真見ると上エジプトのアトリビス(アクミームの近く)のことようだ。また、上エジプトのアトリビスには獅子の姿をとる女神レピトの聖域があり、もともとの古代名も「フウト・レピト」=レピト女神の家、というが、今回見つかっている陶片の中にもレピトに関する捧げもののメモがあるようなので、上エジプトのほうで理解していいかと思う。
この町はかなり古い都で、古王国時代から現代に至るまで人が居住し続けている場所だ。人が住み続けて上に今も町や畑があるしで、遺物を掘り出すのも一苦労のようだ。
そんな中で掘り出された大量のオストラカ、時代的にもバラけていて、民衆文字(デモティック)、コプト語、アラビア語と、言語の変遷が見られるものになっているようだ。そしてどうもここには、神殿に隣接する書記学校があったらしく、子供たちの落書きや書き方練習などがきれいに残っている。
落書きとか見ると、ああーどこの世界も子供のやることは一緒かーw と、微笑ましくなる。
これはトト神の聖なる動物、ヒヒとトキを描いたものらしい。実に味わい深い…。
ほとんどが落書きやメモなのだが、古代の生々しい生活が伝わってくるものなのでとてもおもしろい。こういう発見大好き。
書記学校、きっと悪ガキとかサボり好きの生徒とか、逆にめちゃくちゃくよく出来て中央に進学する生徒とか、色々いたんだろうなあ。古代のスクールライフも気になる。
あと、ここで注目すべきなのは、首都がアレキサンドリアにあったプトレマイオス朝の時代にも、こんな辺境の町で書記学校がきっちり機能して、一定数の生徒を抱えてしたらしいということだ。神殿に併設された書記学校とは、日本でいうと寺子屋なのだ。エジプトは古代世界では上位の識字率(或いは文字を扱える人数)を誇ったというが、それは、各地で寺子屋が活動していたことによる成果だったと言えるかもしれない。
More Than 18,000 Pot Sherds Document Life In Ancient Egypt
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2022/01/more-than-18000-pot-sherds-document.html
チューリンゲン大のプレスリリースページ
https://uni-tuebingen.de/en/university/news-and-publications/press-releases/press-releases/article/mehr-als-18000-tonscherben-dokumentieren-leben-im-alten-aegypten/
アトリビスという名前の町は、実はナイルの上流と下流にある。
今回のは写真見ると上エジプトのアトリビス(アクミームの近く)のことようだ。また、上エジプトのアトリビスには獅子の姿をとる女神レピトの聖域があり、もともとの古代名も「フウト・レピト」=レピト女神の家、というが、今回見つかっている陶片の中にもレピトに関する捧げもののメモがあるようなので、上エジプトのほうで理解していいかと思う。
この町はかなり古い都で、古王国時代から現代に至るまで人が居住し続けている場所だ。人が住み続けて上に今も町や畑があるしで、遺物を掘り出すのも一苦労のようだ。
そんな中で掘り出された大量のオストラカ、時代的にもバラけていて、民衆文字(デモティック)、コプト語、アラビア語と、言語の変遷が見られるものになっているようだ。そしてどうもここには、神殿に隣接する書記学校があったらしく、子供たちの落書きや書き方練習などがきれいに残っている。
落書きとか見ると、ああーどこの世界も子供のやることは一緒かーw と、微笑ましくなる。
これはトト神の聖なる動物、ヒヒとトキを描いたものらしい。実に味わい深い…。
ほとんどが落書きやメモなのだが、古代の生々しい生活が伝わってくるものなのでとてもおもしろい。こういう発見大好き。
書記学校、きっと悪ガキとかサボり好きの生徒とか、逆にめちゃくちゃくよく出来て中央に進学する生徒とか、色々いたんだろうなあ。古代のスクールライフも気になる。
あと、ここで注目すべきなのは、首都がアレキサンドリアにあったプトレマイオス朝の時代にも、こんな辺境の町で書記学校がきっちり機能して、一定数の生徒を抱えてしたらしいということだ。神殿に併設された書記学校とは、日本でいうと寺子屋なのだ。エジプトは古代世界では上位の識字率(或いは文字を扱える人数)を誇ったというが、それは、各地で寺子屋が活動していたことによる成果だったと言えるかもしれない。