ローマ支配時代の古代エジプト神殿のあり方: アクミーム神殿の発掘プロジェクトから
ドイツのチューリンゲン大学が中心となって発掘している上エジプト・アクミームの神殿について調べていたら、面白い情報が出てきたのでメモっておこうと思う。
ここの神殿はかなり規模がデカく、発見者がフリンダース・ピートリなので実は昔から知られていた。が、崩れた大きな石を取り除くのが大変だったりして、近年まで発掘が進んでいなかったらしいのだ。
写真と平面図見るとなかなかの大きさなので、「あー…うん、これは大変だろうなー…」という感じ。本格的な発掘開始は2003年から。途中の中断期間もあり、まだ10年ちょっとくらいの発掘サイト。
Athribis Project
https://en.wikipedia.org/wiki/Athribis_Project
チューリンゲン大のプロジェクトサイト
https://uni-tuebingen.de/jp/fakultaeten/philosophische-fakultaet/fachbereiche/altertums-und-kunstwissenschaften/institut-fuer-die-kulturen-des-alten-orients-ianes/forschung/aegyptologie/projekte/athribis-projekt-dfg/
デンデラ神殿との構造の類似が指摘されているが、そのとおり、この神殿が作られ始めたのはプトレマイオス朝末期とされる。(もっと古い時代の神殿も埋もれているだろうが、現存するのは、という意味)
その後、ローマ支配時代になるとローマ皇帝の名前が即位名としてカルトゥーシュに刻まれるようになる。もちろんクレオパトラ7世の時代も、エジプトがローマ支配下に収まる時代の転換期にも稼働していた、ということになる。
「古代エジプト」の遺跡でありながら、時代でいうとローマの遺跡でもあるという、はざまの時代の遺跡なのだ。
資料見てて、ティベリウス帝やカリグラ帝、クラウディウス帝の時代に増築された部分に彼らの名前がヒエログリフで刻まれてるの見つけると、ウワァー! ほんとにローマ皇帝ってファラオ兼任してたんだぁー! みたいな謎の興奮がある。まさに時代のはざま。
なお、この神殿は4世紀以降、キリスト教の僧院として転用され、イスラム教が入ってきたあとは廃れてゴミ捨て場にされたり家畜小屋になったりして、最後に埋もれてしまったらしい。
写真みて判るように現代の町も近くにあり、人はずっと住み続けていたものの、ただの石の山なので荒らされることもなく保存はされてきたもののようだ。
なお、広すぎてまだ全部は発掘しきれていないのだという…。
古代エジプト、といってもその歴史は三千年に及び、最初の頃と最後の方では神話や信仰、メジャーになっている神様など内容も違っている。
そんな中でも、「これはエジプトだな」と判る個性、コアになる芸術様式が確立されたまま引き継がれているのは、すごいことだと思うのだ。ピラミッド作ってた時代のエジプトの像と、この、ローマに支配されていた時代に作られた神殿の壁画を並べたら、おそらくほとんどの人が、どちらも「古代エジプトの遺物だな」と認識するはずなのだ。
ふつーの地域は、三千年もすれば全く別のトレンドが支配的になってるはずだからね…。
日本でも千五年前くらいまでよね、アイデンティティの共通項が見つけられるのって。弥生時代まで行くと微妙に今の日本人の感性と違うものになってるしね。
他に類を見ない濃い個性、それこそが古代エジプト文明の魅力の一つなのだと思う。
ここの神殿はかなり規模がデカく、発見者がフリンダース・ピートリなので実は昔から知られていた。が、崩れた大きな石を取り除くのが大変だったりして、近年まで発掘が進んでいなかったらしいのだ。
写真と平面図見るとなかなかの大きさなので、「あー…うん、これは大変だろうなー…」という感じ。本格的な発掘開始は2003年から。途中の中断期間もあり、まだ10年ちょっとくらいの発掘サイト。
Athribis Project
https://en.wikipedia.org/wiki/Athribis_Project
チューリンゲン大のプロジェクトサイト
https://uni-tuebingen.de/jp/fakultaeten/philosophische-fakultaet/fachbereiche/altertums-und-kunstwissenschaften/institut-fuer-die-kulturen-des-alten-orients-ianes/forschung/aegyptologie/projekte/athribis-projekt-dfg/
デンデラ神殿との構造の類似が指摘されているが、そのとおり、この神殿が作られ始めたのはプトレマイオス朝末期とされる。(もっと古い時代の神殿も埋もれているだろうが、現存するのは、という意味)
その後、ローマ支配時代になるとローマ皇帝の名前が即位名としてカルトゥーシュに刻まれるようになる。もちろんクレオパトラ7世の時代も、エジプトがローマ支配下に収まる時代の転換期にも稼働していた、ということになる。
「古代エジプト」の遺跡でありながら、時代でいうとローマの遺跡でもあるという、はざまの時代の遺跡なのだ。
資料見てて、ティベリウス帝やカリグラ帝、クラウディウス帝の時代に増築された部分に彼らの名前がヒエログリフで刻まれてるの見つけると、ウワァー! ほんとにローマ皇帝ってファラオ兼任してたんだぁー! みたいな謎の興奮がある。まさに時代のはざま。
なお、この神殿は4世紀以降、キリスト教の僧院として転用され、イスラム教が入ってきたあとは廃れてゴミ捨て場にされたり家畜小屋になったりして、最後に埋もれてしまったらしい。
写真みて判るように現代の町も近くにあり、人はずっと住み続けていたものの、ただの石の山なので荒らされることもなく保存はされてきたもののようだ。
なお、広すぎてまだ全部は発掘しきれていないのだという…。
古代エジプト、といってもその歴史は三千年に及び、最初の頃と最後の方では神話や信仰、メジャーになっている神様など内容も違っている。
そんな中でも、「これはエジプトだな」と判る個性、コアになる芸術様式が確立されたまま引き継がれているのは、すごいことだと思うのだ。ピラミッド作ってた時代のエジプトの像と、この、ローマに支配されていた時代に作られた神殿の壁画を並べたら、おそらくほとんどの人が、どちらも「古代エジプトの遺物だな」と認識するはずなのだ。
ふつーの地域は、三千年もすれば全く別のトレンドが支配的になってるはずだからね…。
日本でも千五年前くらいまでよね、アイデンティティの共通項が見つけられるのって。弥生時代まで行くと微妙に今の日本人の感性と違うものになってるしね。
他に類を見ない濃い個性、それこそが古代エジプト文明の魅力の一つなのだと思う。