図書館で掘り出してきた20年前のバーミヤン写真集。今のアフガンに思いを馳せて

バーミヤンの仏像が爆破されたのは、2001年3月。爆破したのはイスラム原理主義勢力のタリバンで、アメリカ軍の撤退とともに、今再びアフガニスタンの支配者へと帰り咲いた。
ウクライナ情勢が日々流される中、実はアフガニステンも現在進行系で危機が広がっているんだけど、ニュース番組はその時々の人が興味ありそうな内容しか流さないから自分から探しに行かないと見えないんだよね。

…という前置きはともかく、図書館でごそごそ漁っていたら、2002年に出された写真集(報告書)が出てきた。
爆破されてからおよそ1年後の春。その写真が、なんとも美しいのである。

バーミヤン写真報告2002―中淳志写真集 - 中 淳志
バーミヤン写真報告2002―中淳志写真集 - 中 淳志

破壊された仏龕(ぶつがん)の中の写真や、残された壁画の一部などは他でも見たことがあるのだが、遠景や、岩窟周辺の集落跡の写真はあまり見たことがなかった。
そして、季節が春なのである。
草原に咲き乱れる黄色い花、その中に立ち往生した戦車の残骸。崖の上で大きな銃を抱える、あどけない笑顔の少年兵。
家を失い、かつて仏像のあった岩窟に仮住まいする人々。

明るい日差しの中に映し出されたそれらを「美しい」と思った。そして、どこに地雷が埋められているか分からない危険な畑の中に、それでも植えられた、まだ青い麦の穂に、「強さ」を感じたのだった。

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戦火に追われた人々、というと、多くの人が悲しみや苦しみを想像する。
けれどそれだけではないと思う。どれだけ血が流されようと、多くが破壊されようと、春は必ずまたやってくる。荒れ果てた土地にも花は変わらずに咲き、人も動物も新たな生命を産む。
踏まれても何度も立ち上がる麦のように、人も本当は強い生き物のはずだ。部外者が空想で勝手に憐れむのは失礼だと思うのだ。


あれから20年。
アフガニスタンは再び、困難の時代を迎えようとしている。けれど、それも永遠ではないのだと、信じている。

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余談だが、バーミヤンは仏教遺跡というにはちょっと微妙じゃないかと常々思っている。
作られていたのは弥勒菩薩だが、名前の語源はイラン語であり、壁画にはゾロアスター教の経典から輸入された意匠が多く描かれている。なので正確には、「古代イランの多神教文化の影響を受けた仏教遺跡」のような感じの解釈になると思う。

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