知られざる100年前の日本人芸術家海外事情「パリの漆職人」

図書館でアフリカの織物の本を探してたら何故か漆の本が気になってしまい、適当に読んだらめっちゃ面白かった。
東京芸大を中退し、1905年にパリに渡って、のちに歴史に名を残すヨーロッパの有名な芸術家たちに漆工芸の手法を伝授した人物。にも関わらず日本では長らく忘れ去られたままになっていた、菅原精造という人物の足跡をたどってく、ドキュメンタリー本である。

パリの漆職人 菅原精造 - 充克, 熱田
パリの漆職人 菅原精造 - 充克, 熱田

なお、この本の内容で学術的な部分については、本の中にも協力者として出てくる日本の学者さんの出している論文がある。本は分厚いのに、最終的に「わかったこと」だけまとめると、こんなにコンパクトになるのだ。そう、本は、色んなところ周りながら証言を集め、人を探していく過程を書いてあるものだから…。

アイリーン・グレイが学んだ菅原精造の日本漆芸の背景
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssdj/63/6/63_6_57/_pdf/-char/ja

そしてもうひとつ、本の中にも書かれているが、主役はこの菅原という人物だけではない。背景となる時代もまた主役なのである。
何しろ彼がフランスに渡った時期は日露戦争の後、ロシアが賠償金バックれていた時期。その後、世界大戦も起きるし世界恐慌も起きる。激動の時代なのである。
パリにドイツ軍が侵入してきた時も彼はそこにいた。
世界恐慌で仕事がなくなった煽りも受けた。単純に芸術家としての経歴を追っていくだけでは見えない時代背景が、そこにある。

そして面白いことに、日本の漆工芸の技術をヨーロッパに伝えた人物として現地では記憶に残っているのに、日本では、つい最近までまともな資料も無かった。ほぼ完全に忘れ去られていたのだ。日本に作品を残していなかったのもあるだろうが、出身地や出生年も、経歴も、全く見当もつかない状態から調査が始まるのが斬新だった。この人がいなければ芸術史の一部が書き換わっていたかもしれないというのに。

100年ほど前、まだ日本人がほとんど海外に出ていなかった時代、他にも海を渡った人はいただろう、という。
たとえば、ティファニーに日本風の様式を教えただろう職人たちだ。しかし彼らの名前は残っていない。
もしかしたら、探せば他にも、知られざる美術史の一片となる人物が、どこかに埋もれているのかもしれない。

この記事へのトラックバック