雑誌読み放題の月定額サービスが楽すぎて、町の本屋に行かなくなったという話

昔は各町、駅前の商店街通りとかに小さな本屋があったものだと思う。
小さい頃にそこで毎週ジャンプ買ってた。とかあると思う。
しかし今となっては、そういう小さな本屋はどんどん消えていってる。というか、自分も行く必要が無くなってしまったことを痛感するようになった。

という話をしたい。


●町の小さな本屋さんに行くシチュエーション

自分にとって、本屋に寄るタイミングというのは、仕事帰りにふらっと入ってパラっと雑誌を立ち読みして、気になる記事がある時だけ買う。みたいな感じの時だった。あるいは文房具がちょっと足りない時とか。
しかし前者はデジタルで出ている複数雑誌読めるサブスクのサービスで済むようになってしまい、後者はコンビニで済むようになってしまった。

サブスクの雜誌読み放題サービスでは、月額500円以下で何十種類もの雑誌を読めてしまう。まさに立ち読み用のサービスなのである。
気になる記事があれば、そこをスクショして残しておけばいい。家に読み終わった雑誌が積み上がることもない。紙を無駄にしないという意味ではエコですらある。


●雑誌もデジタルで読む時代

もちろん、雑誌ともなればスマホ画面ではちとキツい。
しかし、雑誌読む用にB5サイズくらいのタブレットを一枚持っておけば、それでもうコトは足りてしまう。その一枚のタブレットで、ジャンプやサンデーのようなマンガ雑誌から、ナショナル・ジオグラフィックのような写真雑誌、日経サイエンスのような文字の多い専門雑誌、オレンジページや山と渓谷のような移動中のヒマつぶし雑誌まで、とにかく何でも読める。そして読んだあとの雑誌を定期的に捨てる面倒な手間がない。部屋も紙で埋まらない。

楽すぎるんである。
そして本屋に行く機会が、ますます無くなっていくのである。
新刊マンガも小説も、デジタル配信で買えるしね…。紙の本も欲しい、って場合は、Amazonとかでポチったほうが早いし…。


●この先の「町の本屋」の行く末は

というわけで、私ですら行かなくなってしまった町の本屋、この先は間違いなく厳しいと思うのだ。というか今は一体、どうやって商売しているのか。
生き残りをかけるなら、何か専門分野に特化するしかないのではないかと思う。
自分も、専門書の多い大型書店なら今でも定期的に通っている。思いがけない本や全然知らないジャンルの本と出会おうとすると、そういう場所に行くしか無いからだ。
面積の少ない町の本屋で何かに特化するなら、たとえば「映画や芸術の本ばかり置いてある書店」とか…マニアックな方向に行くしか無いのでは…。

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コロナ禍もあって、ここ数年は電子書籍への流れが加速していると思う。
そんな中、気がつけば自分も本屋に行かなくなり、会社の近くの本屋や、駅からの帰り道にあった本屋も消えてしまった。にも関わらず、ちっとも困っていない。
それが現実なのだと思う。

町の本屋が無くなるのは寂しいとか、あの本屋は守りたいとか、そういう意見もあると思う。
しかし時代の流れは止められない。今はSDGsだの何だので無駄な資源を使わないようにしよう、などという風潮でもある。読んだら捨てられてしまう紙の娯楽雑誌なども削減対象になる時期が来ているのだとしたら、それを売る本屋が減っていくのもまた、必然なのかもしれない。

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