エジプトのエメラルド鉱山と砂漠の遊牧民/ローマはいつ鉱山から撤退したか
クレオトパトラがエメラルドを好んだ、という話から、古代エジプトではエメラルドがずっと装飾に使われていたように誤解されているとこも多いが、実はエメラルドが一般的に使われだしたのはプトレマイオス朝からで、新しい伝統に過ぎなかった。
という話を以前調べて書いたことがある。
「クレオパトラのエメラルド鉱山」エジプトのエメラルド鉱山が稼働し始めたのはプトレマイオス朝以降。
https://55096962.seesaa.net/article/201908article_6.html
今回は、その時に調べていたシカイトというエメラルド鉱山で最近行われていた発掘調査の話。
Ended in Hands of Nomads as Early as the 4th Century
https://www.uab.cat/web/newsroom/news-detail/roman-empire-s-emerald-mines-may-have-ended-in-hands-of-nomads-as-early-as-the-4th-century-1345830290613.html?detid=1345855909670
ざっくり要約すると、「4世紀頃にはもう遊牧民ブレンミュアエ/ブレンミュエス(Blemmyes)の手に落ちてた可能性ある。遊牧民の作った施設が作られてる。」ということ。
ブレンミュアエとは、「首なし族」伝説にもなった遊牧民だ。
架空の首なし族「ブレンミュアエ」の名前の元ネタは、実在する遊牧民族の可能性あり
https://55096962.seesaa.net/article/201805article_18.html
で、彼らはエジプトのイシス女神への信仰にも篤かったことで知られている。
エジプトより上流地域のキリスト教圏にある「聖母マリア」伝説、もしかして一部はイシスかもしれない。
https://55096962.seesaa.net/article/202109article_16.html
ローマ軍は、この地で宝石を採掘するために集落や砦を築き、防衛にも力を入れていたというが、それも当然なのだ。
何しろ場所が東部砂漠のめっちゃヘンピな場所なので。海賊にも山賊にも狙われやすい。そして「東部砂漠」という名前とは裏腹に、周囲は岩山だらけである。(砂もあまりサラサラしていない。)
この位置関係からして、防衛が手薄になったらすぐ現地の遊牧民に制圧されるだろうな…というのは納得だ。
そして、日本でいう炭鉱の町と同じく、採掘量が減ったらあっという間に廃墟化するだろうことも想像がつくのである。
しかしそれでも、500年くらいは存続していることになる。
プトレマイオス王朝の半ば、紀元前200年頃から採掘が本格化して、紀元後300年過ぎに放棄、と考えれば、鉱山の寿命としてはまぁまぁ、普通の長さだな、という感じはする。
ビザンツ時代の宝石の産地データと合わせて見てみれば、採掘量が減ったのが原因なのかどうかは分かりそう。
あと、紅海航路の衰退とかも…。
という話を以前調べて書いたことがある。
「クレオパトラのエメラルド鉱山」エジプトのエメラルド鉱山が稼働し始めたのはプトレマイオス朝以降。
https://55096962.seesaa.net/article/201908article_6.html
今回は、その時に調べていたシカイトというエメラルド鉱山で最近行われていた発掘調査の話。
Ended in Hands of Nomads as Early as the 4th Century
https://www.uab.cat/web/newsroom/news-detail/roman-empire-s-emerald-mines-may-have-ended-in-hands-of-nomads-as-early-as-the-4th-century-1345830290613.html?detid=1345855909670
ざっくり要約すると、「4世紀頃にはもう遊牧民ブレンミュアエ/ブレンミュエス(Blemmyes)の手に落ちてた可能性ある。遊牧民の作った施設が作られてる。」ということ。
ブレンミュアエとは、「首なし族」伝説にもなった遊牧民だ。
架空の首なし族「ブレンミュアエ」の名前の元ネタは、実在する遊牧民族の可能性あり
https://55096962.seesaa.net/article/201805article_18.html
で、彼らはエジプトのイシス女神への信仰にも篤かったことで知られている。
エジプトより上流地域のキリスト教圏にある「聖母マリア」伝説、もしかして一部はイシスかもしれない。
https://55096962.seesaa.net/article/202109article_16.html
ローマ軍は、この地で宝石を採掘するために集落や砦を築き、防衛にも力を入れていたというが、それも当然なのだ。
何しろ場所が東部砂漠のめっちゃヘンピな場所なので。海賊にも山賊にも狙われやすい。そして「東部砂漠」という名前とは裏腹に、周囲は岩山だらけである。(砂もあまりサラサラしていない。)
この位置関係からして、防衛が手薄になったらすぐ現地の遊牧民に制圧されるだろうな…というのは納得だ。
そして、日本でいう炭鉱の町と同じく、採掘量が減ったらあっという間に廃墟化するだろうことも想像がつくのである。
しかしそれでも、500年くらいは存続していることになる。
プトレマイオス王朝の半ば、紀元前200年頃から採掘が本格化して、紀元後300年過ぎに放棄、と考えれば、鉱山の寿命としてはまぁまぁ、普通の長さだな、という感じはする。
ビザンツ時代の宝石の産地データと合わせて見てみれば、採掘量が減ったのが原因なのかどうかは分かりそう。
あと、紅海航路の衰退とかも…。