古代エジプト世界における「異民族」とは何なのか。→渡来系でも数世代して現地に同化すれば「現地人」なのでは?
古代エジプト史の研究では、伝統的に「異国人ファラオ」と呼ばれる人たちがいる。
代表例が第25王朝、ヌビア系の王たちが支配した時代。それと二度に及ぶペルシア支配の時代。
彼らは確かに異国人であり、エジプト国内向けにはエジプト式の王の即位を演出はしていたものの、出身地にホームランドを置いたまま遠隔支配していたので、たしかに「異国人」の王と言っていい。
しかし、エジプト外の出身でも、エジプトに移住して現地文化に馴染みながら定住していたのなら、それはもはや異国人ではないのではないか。
…というのを、最近出たこの本を読んで真っ先に思った。
取り上げられているファラオたちの半分くらい、上記のとおり現地で生まれた二世三世だったり、エジプトに馴染んでいたと思われる人々だからだ。というか、最初に「異民族」の定義をきっちり書かずに話始めちゃってるから、まとまりの悪いオムニバス形式になってしまってる気がする。「新王国時代以降のファラオたち」とかでサブタイトルに異民族うんぬんを入れるくらいで良かったのでは。。
異民族ファラオたちの古代エジプト:第三中間期と末期王朝時代 (MINERVA西洋史ライブラリー 117) - 大城道則
まずこの問題の前提となるのが、生粋のエジプト人、というものは存在しないという事実だ。
本の舞台はほぼ末期王朝だが、末期王朝まで至る前でもエジプト外の地域、異国と呼べる場所からの人の流入は常に存在した。そもそもが、第二中間期からしてアジア系移民の支配を受けていた。いわゆるヒクソス人である。
そのヒクソスも、ある日とつぜんやってきたわけではなく、長い年月かけてゆっくり増えていき、エジプト文化に馴染んでいった結果、現地民と結んで王権を取れた、という感じのやり方だったというのが最近の研究で分かってきている内容。
アジア系住民でいえば、その後の新王国時代にもたくさん傭兵として雇われているし、歴代の王たちも異国の王女を娶りまくっていたのだから王族の血筋だって別に生粋のエジプト人とかいうわけではない。また、異民族を祖先として認めているのが異民族ファラオの条件になるのなら、第19王朝のラメセス2世の家系はヒクソスの末裔と思われるため異民族の定義に当てはまってしまう。
つまりは、どこまで異国人/異民族であれば「異民族ファラオ」と呼べるのか、という定義がないと、「エジプトの王家ってずっと色んな血混じってますけど…」になってしまう。
末期王朝だけが特別な時代ではなかったのは確かだが、この本が前提としている新王国時代の終わりから起きた変化、というよりは、その前、第二中間期から、既にエジプトは多民族国家であり、歴代のファラオたちも異民族との混血/文化の混合だったと考えるのが妥当のように思う。
そう、新王国時代って「最もエジプトらしい」と言われる時代で、大抵の人が思い浮かべる「古代エジプト」のイメージは新王国時代。
だけどその時代のエジプトはかなり異国の、西アジアやアフリカ内部からの影響を受けていて、色んな文化圏の要素が混じっているんだ。人と物の流れとともに、グローバル経済の一部にもなっている。
たぶん最も閉鎖された「純エジプト」な時代って、木材の輸入すらほぼしてなかった第一中間期とか、メソポタミアとの交易が一時的に絶たれてた可能性のある黎明期の100年くらいの間だけだと思うんだ…。
なので、個々の章の中身はまあまあ面白いなと思って読めたんだけど、全体としてのまとまりというか、まず「前提」の部分と、「結局何が言いたいのか」の部分が噛み合わなくて、イマイチな印象になってしまったのであった。
伝統的に異民族ファラオとされる人たちをそのまま異民族ファラオに分類しちゃったんでは? という気がした。そこは自分の定義で定義し直しても良かったのでは。というか前書きにベタで文献リスト書くんじゃなく、そこから噛み砕いた内容を書いといて文献リストは末尾の備考にでも飛ばさないとページが無駄だし、読者は著者が何を言いたいのかが分からない。
自分は、古代エジプトという世界は常に多民族国家で、そこに「ナイル川沿いに住んでればみんなエジプト人な!」という大雑把な地理条件での「まとまり」を人工的に作った世界なのだと認識している。加わるのも離脱するのも自由だし、どの神様信仰してても別にいい。(外から持ち込んだ神もエジプト世界の神に自動的に変換される)
持ち込んだ文化もよそと衝突しなければ自由なので、村ごととか地域ごとに風習が全然違う。ナイル川の上流と下流だと言語すらかなり違う。(方言)
そこにリビア人なりヌビア人なりがやってきたとしても、しばらく住んでいればみんな「エジプト人」になるのではないか。
というか、プトレマイオス朝の王たちでさえ、エジプト生まれの世代からはギリシャ系エジプト人と言っていいと思ってる。異民族ファラオというならば、最低限、ナイル川沿いに住んでないこと、アイデンティテイをエジプトに持っていないこと、くらいの条件は欲しい。
あと、個々の章でもちょっと「ん…?」と思うところはあった。
たとえばプスセンネス1世の銀の棺が、リビア人の銀を好む風習から来ているのでは、という話とか。プスセンネス1世は、棺は珍しい銀なのだが、マスクは金で作っているのである。銀が好きならなぜ、一番重要なマスクの部分を金で作ったのか。というかミイラが直接身につけているのはマスクだけなのだから、銀を身につけるのが好きなら逆にマスクだけ銀にするのでは。
新王国時代以降は金が不足して、傭兵への支払いなどに当てるために過去の王墓を暴いて副葬品を転用したりしていたはずだから、妥当な解釈としては「金は支払いに使っちゃって足りなかったので、一番大事なマスクの部分だけ金にして残りは銀で代用しました」あたりではないだろうか。
カルガ・オアシスのヒビス神殿のくだりも、そもそもあのオアシスが重要視されたのって周辺の資源を得るための拠点だったからでは…という気がしていて、要するにシナイ半島の銅山が有力だった時代にハトホル神殿作ってたのと同じ理由なのでは。異民族とか関係ない気がする。
あと章ごとに言ってることが微妙に違う。
異民族はエジプトに来たらみんなエジプト人になってしまった、と言ってる章もあれば、二世や三世と思われるファラオを異民族ファラオ扱いしているとか。
一人で本を書いているのなら、頭からしっぽまで一本筋を通して見解を統一してくれても良かった気がする。
私とは解釈違いだなーと思うところもあった。エジプト文化は常に周囲に発信され続けていた、としながら、最終的にギリシャ・ローマ文化に飲み込まれたとするところとか。ビザンツやアラブ支配の時代を経てオスマン朝の時代に至るまでエジプトはエジプトのままで、だから切り離してオスマン崩壊するより前に独立出来たと思っているので。
もうちょっとテーマを練り込んで言いたいことを明確にしたほうが、タイトルに沿った内容になったのでは、と思いながら本棚にIN.
代表例が第25王朝、ヌビア系の王たちが支配した時代。それと二度に及ぶペルシア支配の時代。
彼らは確かに異国人であり、エジプト国内向けにはエジプト式の王の即位を演出はしていたものの、出身地にホームランドを置いたまま遠隔支配していたので、たしかに「異国人」の王と言っていい。
しかし、エジプト外の出身でも、エジプトに移住して現地文化に馴染みながら定住していたのなら、それはもはや異国人ではないのではないか。
…というのを、最近出たこの本を読んで真っ先に思った。
取り上げられているファラオたちの半分くらい、上記のとおり現地で生まれた二世三世だったり、エジプトに馴染んでいたと思われる人々だからだ。というか、最初に「異民族」の定義をきっちり書かずに話始めちゃってるから、まとまりの悪いオムニバス形式になってしまってる気がする。「新王国時代以降のファラオたち」とかでサブタイトルに異民族うんぬんを入れるくらいで良かったのでは。。
異民族ファラオたちの古代エジプト:第三中間期と末期王朝時代 (MINERVA西洋史ライブラリー 117) - 大城道則
まずこの問題の前提となるのが、生粋のエジプト人、というものは存在しないという事実だ。
本の舞台はほぼ末期王朝だが、末期王朝まで至る前でもエジプト外の地域、異国と呼べる場所からの人の流入は常に存在した。そもそもが、第二中間期からしてアジア系移民の支配を受けていた。いわゆるヒクソス人である。
そのヒクソスも、ある日とつぜんやってきたわけではなく、長い年月かけてゆっくり増えていき、エジプト文化に馴染んでいった結果、現地民と結んで王権を取れた、という感じのやり方だったというのが最近の研究で分かってきている内容。
アジア系住民でいえば、その後の新王国時代にもたくさん傭兵として雇われているし、歴代の王たちも異国の王女を娶りまくっていたのだから王族の血筋だって別に生粋のエジプト人とかいうわけではない。また、異民族を祖先として認めているのが異民族ファラオの条件になるのなら、第19王朝のラメセス2世の家系はヒクソスの末裔と思われるため異民族の定義に当てはまってしまう。
つまりは、どこまで異国人/異民族であれば「異民族ファラオ」と呼べるのか、という定義がないと、「エジプトの王家ってずっと色んな血混じってますけど…」になってしまう。
末期王朝だけが特別な時代ではなかったのは確かだが、この本が前提としている新王国時代の終わりから起きた変化、というよりは、その前、第二中間期から、既にエジプトは多民族国家であり、歴代のファラオたちも異民族との混血/文化の混合だったと考えるのが妥当のように思う。
そう、新王国時代って「最もエジプトらしい」と言われる時代で、大抵の人が思い浮かべる「古代エジプト」のイメージは新王国時代。
だけどその時代のエジプトはかなり異国の、西アジアやアフリカ内部からの影響を受けていて、色んな文化圏の要素が混じっているんだ。人と物の流れとともに、グローバル経済の一部にもなっている。
たぶん最も閉鎖された「純エジプト」な時代って、木材の輸入すらほぼしてなかった第一中間期とか、メソポタミアとの交易が一時的に絶たれてた可能性のある黎明期の100年くらいの間だけだと思うんだ…。
なので、個々の章の中身はまあまあ面白いなと思って読めたんだけど、全体としてのまとまりというか、まず「前提」の部分と、「結局何が言いたいのか」の部分が噛み合わなくて、イマイチな印象になってしまったのであった。
伝統的に異民族ファラオとされる人たちをそのまま異民族ファラオに分類しちゃったんでは? という気がした。そこは自分の定義で定義し直しても良かったのでは。というか前書きにベタで文献リスト書くんじゃなく、そこから噛み砕いた内容を書いといて文献リストは末尾の備考にでも飛ばさないとページが無駄だし、読者は著者が何を言いたいのかが分からない。
自分は、古代エジプトという世界は常に多民族国家で、そこに「ナイル川沿いに住んでればみんなエジプト人な!」という大雑把な地理条件での「まとまり」を人工的に作った世界なのだと認識している。加わるのも離脱するのも自由だし、どの神様信仰してても別にいい。(外から持ち込んだ神もエジプト世界の神に自動的に変換される)
持ち込んだ文化もよそと衝突しなければ自由なので、村ごととか地域ごとに風習が全然違う。ナイル川の上流と下流だと言語すらかなり違う。(方言)
そこにリビア人なりヌビア人なりがやってきたとしても、しばらく住んでいればみんな「エジプト人」になるのではないか。
というか、プトレマイオス朝の王たちでさえ、エジプト生まれの世代からはギリシャ系エジプト人と言っていいと思ってる。異民族ファラオというならば、最低限、ナイル川沿いに住んでないこと、アイデンティテイをエジプトに持っていないこと、くらいの条件は欲しい。
あと、個々の章でもちょっと「ん…?」と思うところはあった。
たとえばプスセンネス1世の銀の棺が、リビア人の銀を好む風習から来ているのでは、という話とか。プスセンネス1世は、棺は珍しい銀なのだが、マスクは金で作っているのである。銀が好きならなぜ、一番重要なマスクの部分を金で作ったのか。というかミイラが直接身につけているのはマスクだけなのだから、銀を身につけるのが好きなら逆にマスクだけ銀にするのでは。
新王国時代以降は金が不足して、傭兵への支払いなどに当てるために過去の王墓を暴いて副葬品を転用したりしていたはずだから、妥当な解釈としては「金は支払いに使っちゃって足りなかったので、一番大事なマスクの部分だけ金にして残りは銀で代用しました」あたりではないだろうか。
カルガ・オアシスのヒビス神殿のくだりも、そもそもあのオアシスが重要視されたのって周辺の資源を得るための拠点だったからでは…という気がしていて、要するにシナイ半島の銅山が有力だった時代にハトホル神殿作ってたのと同じ理由なのでは。異民族とか関係ない気がする。
あと章ごとに言ってることが微妙に違う。
異民族はエジプトに来たらみんなエジプト人になってしまった、と言ってる章もあれば、二世や三世と思われるファラオを異民族ファラオ扱いしているとか。
一人で本を書いているのなら、頭からしっぽまで一本筋を通して見解を統一してくれても良かった気がする。
私とは解釈違いだなーと思うところもあった。エジプト文化は常に周囲に発信され続けていた、としながら、最終的にギリシャ・ローマ文化に飲み込まれたとするところとか。ビザンツやアラブ支配の時代を経てオスマン朝の時代に至るまでエジプトはエジプトのままで、だから切り離してオスマン崩壊するより前に独立出来たと思っているので。
もうちょっとテーマを練り込んで言いたいことを明確にしたほうが、タイトルに沿った内容になったのでは、と思いながら本棚にIN.