フェニキア人の町のプール、軍港ではなく宗教施設と判明する

シチリア島の北西部にあるモティア島の遺跡にある巨大プールが、再調査の結果、実は軍港ではなく隣のバアル神の神殿に付随する宗教施設だったと判明したそうだ。今まで通称名として使われていた「コトン(kothon)」とは、古代のギリシャ人やローマ人による軍港の呼び名で、近隣の遺跡では似たような構造体が多く見つかっているという。

似てるんだからコトンでしょー、と思ってたのに、池の水ぜんぬぶ抜いてさらってみたら、バアル神の像を立てる台が中心に見つかり、しかも海とは繋がっていなかったのだそうだ。そんなことあるもんだ。

The sacred pool of Ba'al: a reinterpretation of the ‘Kothon’ at Motya
https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/sacred-pool-of-baal-a-reinterpretation-of-the-kothon-at-motya/329646E6561765FD30A9D6EC5FD5B6CB

Motya
https://en.wikipedia.org/wiki/Motya

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グーグルアースで場所を見てみると、あーこれはパッと見、港って思っちゃうな…という感じの位置。
ただ、今回の詳細な発掘結果の見取り図を見ると、周辺の神殿や塔の位置関係からしても神殿前庭の「聖なる池」なんだと判る。

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紛らわしいことに海に向かう水路のようなものもあるのだが、この水路は細すぎるし、池の中に水が湧き出す場所があるそうなので、おそらく排水溝。
この遺跡を作ったフェニキア人にとってはバアルは主神で、ローマとドンパチやっていた時代に作られているそうなので、カルタゴの威信を示すためという意味もあったのかもしれない。また、神殿や池の位置づけから、航海に必要な天体観測を行っていたのではないか、とも。

面白いなと思ったのは、こんな場所にバアルやアスタルテなど西アジアの神々の聖域が立派に作られているということ。
いやフェニキア人の国カルタゴがもっと西まで勢力を伸ばしているんだから当たり前なんだけど。シチリア島でアスタルテとか、若干の違和感が無くもない。

あとこの遺跡からはエジプトの聖なる狒々の像(おそらくトト神)も見つかっているようで、ギリシャ文化とオリエント文化の習合した場所だったんだろうなと。
あ、あとギリシャ語のバアルが「ベリオス」だって知って、おま…なにスタイリッシュな名前になってんの…! とはちょっと思いましたまる

いやー意外な場所にある意外な神殿、いいっすねー。
まぁどうせローマに壊されるんですけd(闇

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