知らない世界の扉が開く…「妖怪学の基礎知識」

タイトルに惹かれて読んでしまった本。お硬いタイトルだが中身は読みやすく、「妖怪は何か」や「日本における妖怪の変遷・歴史」、近代の「妖怪ブーム」についてなど、全般を網羅的に扱ってくれている。そもそも妖怪に「学」をつけて研究しているのが面白く、さらに「妖怪研究が民俗学に入れられているのはなぜなのか」といった基本的な話にも触れてくれている。
言われて見ると、ああー確かに…という部分が多くて、まさに「基礎知識」のタイトルに相応しい内容となっている。

妖怪学の基礎知識 (角川選書) - 小松 和彦
妖怪学の基礎知識 (角川選書) - 小松 和彦

まず言われて初めて気がついたのは、口承の昔話には妖怪が妖怪として出て来ない、という話である。

「なんとなく不思議なことがあった」、という語りだけが伝えられ、それに名前がつくのは別のプロセスとなっている。
うちの田舎だと「阿波のたぬき伝説」といってもともと口承だった「たぬきに化かされた」系の伝説がたくさんあるのだが、「♪桶屋が夜中に桶づくり~コトコトコトコト」の歌にもあるように、日常のちょっとした不思議を、あとで再解釈して「ほんなら、あれは狸であったんじゃ」と狸のせいにしている。
「不思議な現象」自体には、妖怪の姿や名前はない。誰かが再解釈してはじめて、何かの妖怪として固定される。
狸伝説も、ほかの地域ならきっと別の何かのしわざにされているはずだ。

そして、大もとの伝承では妖怪の姿はイメージされていない、というのも、なるほどと思った。
口承にしろ、文章として残されたものにせよ、「不思議な現象」が記憶された時点では、それが何か分かっていないので、姿がないのである。姿が現れるのは絵にされたとき、つまり「娯楽」の対象として創作され、キャラクター化される時なのだ。

妖怪の娯楽化は、18世紀後半にはもう盛んに行われていた、という。
かつてはただ「不思議な現象」として恐れの対象だったものが、文明が進み、人が都市など人工的に作られた里の中に集中するようになると、妖怪なんて本当にはいないんじゃん、となって、本当はいないけど居るものとして楽しむものに変わっていくのだという。

そう、妖怪を楽しんでいたのは、現代人だけではなく、近世の人々も同じだった。
娯楽として楽しんでいたから、たくさんの妖怪絵巻が作られた。さらに「妖怪手品」なるものも江戸時代にはあったとかで、妖怪に見えるように仮装する、みたいなノリでなんだか学芸会の匂いがする。

そして、その流れを汲んで現代の妖怪ブームへと至り、妖怪ウォッチやゲゲゲの鬼太郎の新シリーズのブレイク、アマビエのキャラクター化などに繋がっていく。


あと、妖怪は人間がストレスを感じた場所に生まれる、という話も面白かった。
昔の地図を重ねてみた結果、首切れ馬が出現するのは決まって村の中の「字」の境界だという話とか。首切れ馬の出現する道沿いギリギリには家を建ててはいけない、という伝承は、吉野川の氾濫で頻繁に村の境界がわからなくなることから来ているのではないか、とか。
不思議な現象のすべてに合理的な理由がつくとは限らないが、少なくとも妖怪の中には、出現ロジックが説明出来る例があるわけだ。人間がどういうときに妖怪的な現象を求めるか、という話でもある。


最近ではインターネット上でググればすぐ出てくる情報も多いので、部分的に知っているという人は多そうだが、まとめて通しで整理された情報を読める本はあまり見たことがない。
妖怪と幽霊はどう違うの? みたいな疑問のある人や、妖怪マニアを目指す人には、ぜひおすすめしておきたい。