ギザのスフィンクス信仰の変遷について

エジプト・ギザ台地にあるスフィンクスについて、ふと、「古代より中世のほうがまともに信仰されているのでは…?」という気がしたので書いておく。

前提として、「古代エジプト」の時代だとスフィンクスが単体で神として信仰された形跡は、ほぼ無い。
例外としてトトメス4世の時代に夢の中にスフィンクスが出て来て王位を与えてやると言った、という話が残っているが、その場合もスフィンクスは神としては表現されていない。どっちかというと、ピラミッドに眠る過去の偉大な王の眷属、みたいな扱い。要するに、神殿を建てられるとか、お供えされたりお祭りが開催されたりするとか、神話があるとかいう状況ではない。

Great_Sphinx_of_Giza_-_20080716a.jpg

それが14世紀になると、地元民(既にイスラム教に改宗している)がお供えをするなど盛んに信仰されていたようなので、どこかのタイミングでスフィンクス単体で信仰対象となった時期があったのでは、と思う。

かーなり前に以下の記事に書いた内容だが、地元民がスフィンクスに豊穣祈願をしていた豊穣神として崇めていたために、スーフィー派のムスリムだったMuhammad Sa'im al-Dahrという人物が、怒ってスフィンクスの顔を「汚した」という。1378年のことだ。
スフィンクスの鼻は、この時に壊されたのでは、という説があるが、それ以前から壊れていた説や、がっつり全部剥ぎ取られたのは別の時代という説もある。

誰がスフィンクスの鼻を壊したか
https://55096962.seesaa.net/article/201104article_5.html

面白いのは、この時に地元民が反抗してムハンマド氏を袋叩きにしていること、のちに起きた砂嵐や、スフィンクスが砂に埋れたことがスフィンクスが「バチ」を当てたせいだと解釈されていることだ。14世紀なのでイスラム教ももはや新興宗教ではなく成熟している頃なのだが、それでも、「祈ればご利益があり、不敬を働けばバチが当たる」という多神教的な信仰が当たり前に存在したことの不思議。
しかもそれは古代から受け継がれたものではなく、むしろ古代には無かったものであるということ。

地元民はスフィンクスに豊穣を祈っているので、その時点では豊穣神という扱いなのだ。元々は王権や太陽信仰の象徴だったのだが、いつのまにか全然違う存在になっている。それもまた、古代世界の神話からはかけ離れていて面白い。

ここからは予想なのだが、スフィンクスが豊穣神にされたのは、ちょうど耕地を見下ろす高台に立っているからではないかと思う。エジプトの世界観は川沿いの豊かな耕地と、川から離れた砂漠、という二元世界で、スフィンクスはちょうどその境界に立っている。
人間へのご褒美が豊穣で、罰が砂漠からの砂嵐だというのも、存在する場所から考えるとアリだな…という気がする。

また、旧約聖書の神話だと、ピラミッドはヨセフの穀物倉庫だというものがある。倉庫番の位置にいるから豊穣の番人と考えられた可能性もあるかもしれない。

一体、いつからそんな信仰になったのか?
これは、記録にない時代が見えないので分からないが、元々あった古代エジプトの神々の信仰が廃れるのと入れ替わりなのかな、とも思う。
元の神話が残っていたら、スフィンクスを信仰しようとはならない気がするからだ。ナイルの神ハピや豊穣神オシリス、あるいはセラピスなど、元々の神々が生き残っているなら、そっちを拝むだろうし。

ライバルの神々が消えた時代だからこそ、スフィンクスは単品の、それなりに権威ある神として台頭出来たのではないだろうか。