事故死すれば楽園にいける。現代における「異世界」=古代で言う「死後の世界」に近い概念なのでは?
異世界転生もの、もしくは異世界に召喚されるというところから始まるファンタジー作品は、古今東西問わずよくあるものである。
過去の世界にタイムスリップ転生するものや、近い時代の別人の体に転生(?)するものなどもあるが、ここでは、現実世界とは全く別の「異世界」へ移動する、という作品に限って話をしたい。
端的に言うと、そうした作品で想定されている「異世界」とは、世界各地の古代/中世の宗教で設定されている「死後の世界」や「あの世」に似た概念なのではないか、ということである。
■異世界行きが「特定条件下での死亡」であり帰還不能という設定
特に「異世界≒あの世」感が強いのが、「トラックにはねられた」など、不慮の事故に巻きこまれて異世界に転生する、または死亡の寸前で異世界に召喚される、というパターンだ。
死期の近い老人や、長らく病床にあった人が転生を果たし異世界でやり直す無双ものなども基本的にこの種類に入るが、死亡した人たちは異世界のほうに馴染み、現世への帰還は考慮されないのが特徴である。
なので、言ってしまえば、転移先の異世界というのは「死後の世界」である。
先に事故死した人や、あとから死亡した人が追加で転生/転移してくる作品の異世界は、現代版の死後の世界の概念だと言っていいと思う。
■異世界のほうが現世より「楽園」であることが多い
また、異世界では現世では持ち合わせていなかった恵まれた容姿や素性、能力などを持っているパターンが多い。
これは、世界各地の宗教においても同じだ。死後の世界には楽園的なイメージが設定されていることが多く、死者はそこで特別待遇を受ける。
よくネタにされる「天国にいけば四十人の処女に出迎えられて、果樹園があり蜜の流れる川がある」などは、その最も分かりやすい例の一つだろう。
ただし全員が楽園に入れてしまうといろいろ問題が起きるし、生きてる世界より死んだほうが楽しいとなると安易に自死を選んでしまうことになる。そこで宗教では、死後の世界に楽園要素を持たせながら、「死ぬ時に審判があって、合格しないと楽園には行けません。自殺した場合は失格になります」のような制限をかけることになる。
これが、現代の創作作品においては、「これは創作で、フィクションなので」という理由づけに変わる。
■大きな違い―死後の世界を支配する「ルール」の有無
従来の宗教的な死後の世界と、現代に創作物から発生した死後の世界の大きな違いは、その世界を支配する「ルール」が宗教的に設定されたものか、創作者が自分で勝手に設定したものか、という部分である。
宗教に付随する死後の世界では、当然ながらその宗教の「掟」が前提となる。たとえば、その世界で一番えらいのは死後の世界を統べる神だったり、その宗教を信仰してる人しか行けなかったり、という部分だ。創作物の死後の世界では、こうした縛りはほとんど存在しない。
■一致する場所―異世界に対する「想像力」
逆に、共通しているのは、死後の世界という別世界・異世界に対して自由な想像力をはばたかせ、様々な設定を付け加えているところである。
現実世界とは異なる世界なので、縛りがなく、「蜜と乳が流れる川」があってもいいし「永遠に老いない」でも問題ないし、「羽根の生えた獅子」のような不思議な動物がいてもいい。
別の世界だからこそ実現される様々な場面やストーリーが盛り込まれているのは、古代/中世の人たちが想像した死後の世界も、現代における創作物の転生/転移先の異世界も、同じである。
これらの観点をふまえて考えるに、結論としては、やはり、「異世界とは宗教なき時代の死後の世界の一種である」と、言えると思う。
特定の宗教に帰属意識は持っていない。でも漠然と、死んだらどこか別の世界にいくと思っている――そういう人たちは、死後にあるのは楽園だと信じているはずだ。審判があって、罰を受けたら地獄に…とかいう複雑なルールは宗教に付随するもので、嫌いな他人のことは地獄に落ちればいいくらいに思っていたとしても、自分がその同じ審判を受けるとは思っていない。
結局、人間は、宗教の有無によらず、死後に訪れる異世界を必要としている。もしくは、それがあると想像することに楽しさを覚える。
そういう種族なのだと思う。
過去の世界にタイムスリップ転生するものや、近い時代の別人の体に転生(?)するものなどもあるが、ここでは、現実世界とは全く別の「異世界」へ移動する、という作品に限って話をしたい。
端的に言うと、そうした作品で想定されている「異世界」とは、世界各地の古代/中世の宗教で設定されている「死後の世界」や「あの世」に似た概念なのではないか、ということである。
■異世界行きが「特定条件下での死亡」であり帰還不能という設定
特に「異世界≒あの世」感が強いのが、「トラックにはねられた」など、不慮の事故に巻きこまれて異世界に転生する、または死亡の寸前で異世界に召喚される、というパターンだ。
死期の近い老人や、長らく病床にあった人が転生を果たし異世界でやり直す無双ものなども基本的にこの種類に入るが、死亡した人たちは異世界のほうに馴染み、現世への帰還は考慮されないのが特徴である。
なので、言ってしまえば、転移先の異世界というのは「死後の世界」である。
先に事故死した人や、あとから死亡した人が追加で転生/転移してくる作品の異世界は、現代版の死後の世界の概念だと言っていいと思う。
■異世界のほうが現世より「楽園」であることが多い
また、異世界では現世では持ち合わせていなかった恵まれた容姿や素性、能力などを持っているパターンが多い。
これは、世界各地の宗教においても同じだ。死後の世界には楽園的なイメージが設定されていることが多く、死者はそこで特別待遇を受ける。
よくネタにされる「天国にいけば四十人の処女に出迎えられて、果樹園があり蜜の流れる川がある」などは、その最も分かりやすい例の一つだろう。
ただし全員が楽園に入れてしまうといろいろ問題が起きるし、生きてる世界より死んだほうが楽しいとなると安易に自死を選んでしまうことになる。そこで宗教では、死後の世界に楽園要素を持たせながら、「死ぬ時に審判があって、合格しないと楽園には行けません。自殺した場合は失格になります」のような制限をかけることになる。
これが、現代の創作作品においては、「これは創作で、フィクションなので」という理由づけに変わる。
■大きな違い―死後の世界を支配する「ルール」の有無
従来の宗教的な死後の世界と、現代に創作物から発生した死後の世界の大きな違いは、その世界を支配する「ルール」が宗教的に設定されたものか、創作者が自分で勝手に設定したものか、という部分である。
宗教に付随する死後の世界では、当然ながらその宗教の「掟」が前提となる。たとえば、その世界で一番えらいのは死後の世界を統べる神だったり、その宗教を信仰してる人しか行けなかったり、という部分だ。創作物の死後の世界では、こうした縛りはほとんど存在しない。
■一致する場所―異世界に対する「想像力」
逆に、共通しているのは、死後の世界という別世界・異世界に対して自由な想像力をはばたかせ、様々な設定を付け加えているところである。
現実世界とは異なる世界なので、縛りがなく、「蜜と乳が流れる川」があってもいいし「永遠に老いない」でも問題ないし、「羽根の生えた獅子」のような不思議な動物がいてもいい。
別の世界だからこそ実現される様々な場面やストーリーが盛り込まれているのは、古代/中世の人たちが想像した死後の世界も、現代における創作物の転生/転移先の異世界も、同じである。
これらの観点をふまえて考えるに、結論としては、やはり、「異世界とは宗教なき時代の死後の世界の一種である」と、言えると思う。
特定の宗教に帰属意識は持っていない。でも漠然と、死んだらどこか別の世界にいくと思っている――そういう人たちは、死後にあるのは楽園だと信じているはずだ。審判があって、罰を受けたら地獄に…とかいう複雑なルールは宗教に付随するもので、嫌いな他人のことは地獄に落ちればいいくらいに思っていたとしても、自分がその同じ審判を受けるとは思っていない。
結局、人間は、宗教の有無によらず、死後に訪れる異世界を必要としている。もしくは、それがあると想像することに楽しさを覚える。
そういう種族なのだと思う。