トルコの地下都市遺跡の収容人口は盛られすぎではないか、という話
2年前に、トルコ南部のマルディン州ミディヤットで発見された地下都市。
発掘が進み、かなりの規模であることが判明して来ている。
このテの地下都市といえばカッパドキアのデリングユ、カイマクル、マズゴイなどのものが有名だが、小規模なものは数百あり、さらに最近では周辺の似た地質(掘りやすい柔らかい火山性地質)でも発見されてきている。
なので、この発見自体はふーんという感じだし、今回は2-3世紀の遺物がたくさん見つかっているということなので、初期キリスト教徒が使っていたというのも特に異論はない。
Underground city unearthed in Turkey may have been refuge for early Christians
https://www.livescience.com/christians-hid-from-romans-in-underground-city
Türkiye: Excavation work in Midyat reveals huge underground city
https://www.trtworld.com/turkey/t%C3%BCrkiye-excavation-work-in-midyat-reveals-huge-underground-city-56584
…ただ、ただである。
最大で7万人収容というのはちょっと盛りすぎだろ。
いや、つか、前から言ってるんだけど、トルコの地下都市の遺構、空間の面積だけ見て収容人数を決めてるんですよ。
当時の人口とか、生活に何が必要かとかを考慮していないの!
■古代世界で5万人以上なら「地域有数の大都市」レベル
目安となるのが、紀元前後に世界最大の人口を誇っていたアレキサンドリアの町。
最大では50万人という凄まじい人口が地中海岸の限られた面積にギッチリ暮らし、衰退期でも20万人は暮らしていた、と推測されている。もちろん地下トンネルで繋がれた都市は、アレキサンドリアよりずっと狭い。そして大通りなど無く、狭い通路で各部屋が繋がれている。つまり、もし本当に地下都市に常時7万人が住んでいたら、アレキサンドリア以上の密度で人が暮らしていることになる。
それはさすがにファンタジーが過ぎる。
もし仮に本当に地下で暮らして居た場合は、すさまじい人口密度となり、劣悪な衛生環境で死亡率は相当なものとなっていたはずだ。戦闘で死ぬ前に疫病で死ぬ。
■人口を支える食料が得られない
地下都市に何万人も住んでいたことにするならば、その人たちの食料はどうやって維持していたのか、という話である。
一時的に隠れているだけでいいならば、穀物などを貯蔵しておけばいい。しかし、ずっと蓄えだけで食べていけるはずもない。
地下都市のあるあたりはどこも、火山地質であまり植生が豊かではない。金鉱などがあるわけでもない。外から食料を輸入し続けることも出来
ないため、人数分の食料は自分たちで生産しなければならない。
しかし、畑というのは面積あたりの収穫量が限られるものだ。人数✕面積で、必要な畑の面積は飛躍的に増大する。
古代世界の大都市は、どこも例外なく食料を輸入に頼ってきた。アレキサンドリアもそうだ。郊外に食料を提供する農村があるから維持できる。
しかし、地下都市は、そうした食料の供給地はもっていない。そもそも住民自体が都市民ではなく農民なので、自分たちで生産するしかない。
「地下都市は異教徒の侵略に対して避難所として使われた」のように説明されることが多いが、そこを避難所として使うためには、常にみんなが近くに住んでいなければならない。しかし畑の面積を考えると、地下都市の周辺に何万人もの人口が集中して住むこと自体が不可能だ。
■空間的には収容は出来ても、出入りが出来ない
さらにツッコむと、収容人数を考える際に内部の空間面積だけ考えて、数か所しかない狭い出入り口から全員が出入りするのに何時間かかるのかが全く考慮されていないのは、いかがなものか。
というか、内部の通路の狭さ、行き違いすら出来ないようなキツさを知っている学者がこれを指摘しないのはどうにも納得がいかない。敵が来たー!と知らせがきて、みんなで一斉にわーっと逃げ込もうとしても、通路が狭すぎて人が動けない。
人の流れを考慮して設計された、現代のスーパーアリーナや野球場でさえ、全観客の出入りには時間がかかる。導線など考慮されていない地下都市に大人数が出入りするのは難しいことくらい、コンピューターシミュレーションしなくても想像がつきそうなものだ。
地下都市の構造的に、スムーズに出入りしようとすると数千人でも厳しいレベルではないかと思う。
これについては、以下の写真などを参考にしてほしい。
君は地下都市に住みたいか。カッパドキア・ネブシェヒルで新たな地下都市を発見
■そもそも地下都市は「暮らす」ためには作られていない
以前から指摘されているとおり、地下都市と言われている遺構には台所が少ない。
煙を出して居場所を知られるのを恐れたのでは、と説明される。確かにそれはあるかもしれない。しかし、飯を食うのに湯を沸かすことすら出来ないのでは、長期滞在には向いていない。もともと、暮らすための場所というよりは、一時的な避難所、もしくは収穫後の穀物や大事な家財などを隠しておく倉庫として使われていたと考えるほうが妥当だろう。
また、トイレも少ない。
人間である以上、みんな必要なものは出さなければならないので、人数が多くなればなるほど分量が増えるのは当然。
これについては、以前、以下で軽く計算してみてドン引きしたことがあるので参考までに。
ピラミッド労働者、トイレどうしてたんだろう。っていう話
他にも、以下のように各方面からいくらでもツッコミが入れられてしまう。
収容人数をもっと少なめにするか、普段は倉庫にしてて、たまに近隣の町の人が逃げ込むことがある程度の短期滞在用と考えたほうがいい。
・7万人もいたら当時の出生・死亡率からして、毎日何人かは死者が出て、何人か生まれるレベル。地下だと死者の埋葬場所がないけどどーすんの?
・礼拝所はあるけど小さくて百人も収容出来ない。何万人も暮らしていたとするなら、順番待ちで礼拝所はほぼ使えない →経験なキリスト教徒が地下に逃げたというストーリーとは一致しないのでは?
・そもそも7万人いたなら、半数が男性、さらにその半数が成人男性と考えて、戦闘員が常時数万人はいることになる。小規模な敵軍程度なら、地下に隠れるより戦ったほうが確実なのでは?
・地下水だけではどう考えても飲水が足りない。狭いので順番まちも難しい。一箇所でひたすら汲み上げ続ける水汲み人でも置かないとみんなで地下で暮らすのは無理では?
・地下なのでそもそも暗い。昼夜ひたすら灯りを灯し続けないとどっちが出口かも分からない。7万人分の生活に使われる油は凄まじい量になりそうだがどうやって調達する?
アナトリアの地は豊かではなく、やって来た侵略者たちは皆、通り道として利用するだけでスルーしていた。そもそも、長期間そこで暮らす意味がない。
しかも、地下の広大な遺構も、短期間で作られたものではなく、何世紀もかけて拡張されたつぎはぎだ。現状だけ見て何万人もが同時に暮らしたとかんがえるのは、机上の空論に過ぎる。地下都市、という呼び名はいかにもカッコいいのだが、実際は”都市"ではなく「近隣の村の共同地下倉庫」とか「地下の隠れ修道院」とか呼んだほうが妥当だったのでは…。という気がしている。
発掘が進み、かなりの規模であることが判明して来ている。
このテの地下都市といえばカッパドキアのデリングユ、カイマクル、マズゴイなどのものが有名だが、小規模なものは数百あり、さらに最近では周辺の似た地質(掘りやすい柔らかい火山性地質)でも発見されてきている。
なので、この発見自体はふーんという感じだし、今回は2-3世紀の遺物がたくさん見つかっているということなので、初期キリスト教徒が使っていたというのも特に異論はない。
Underground city unearthed in Turkey may have been refuge for early Christians
https://www.livescience.com/christians-hid-from-romans-in-underground-city
Türkiye: Excavation work in Midyat reveals huge underground city
https://www.trtworld.com/turkey/t%C3%BCrkiye-excavation-work-in-midyat-reveals-huge-underground-city-56584
…ただ、ただである。
最大で7万人収容というのはちょっと盛りすぎだろ。
いや、つか、前から言ってるんだけど、トルコの地下都市の遺構、空間の面積だけ見て収容人数を決めてるんですよ。
当時の人口とか、生活に何が必要かとかを考慮していないの!
■古代世界で5万人以上なら「地域有数の大都市」レベル
目安となるのが、紀元前後に世界最大の人口を誇っていたアレキサンドリアの町。
最大では50万人という凄まじい人口が地中海岸の限られた面積にギッチリ暮らし、衰退期でも20万人は暮らしていた、と推測されている。もちろん地下トンネルで繋がれた都市は、アレキサンドリアよりずっと狭い。そして大通りなど無く、狭い通路で各部屋が繋がれている。つまり、もし本当に地下都市に常時7万人が住んでいたら、アレキサンドリア以上の密度で人が暮らしていることになる。
それはさすがにファンタジーが過ぎる。
もし仮に本当に地下で暮らして居た場合は、すさまじい人口密度となり、劣悪な衛生環境で死亡率は相当なものとなっていたはずだ。戦闘で死ぬ前に疫病で死ぬ。
■人口を支える食料が得られない
地下都市に何万人も住んでいたことにするならば、その人たちの食料はどうやって維持していたのか、という話である。
一時的に隠れているだけでいいならば、穀物などを貯蔵しておけばいい。しかし、ずっと蓄えだけで食べていけるはずもない。
地下都市のあるあたりはどこも、火山地質であまり植生が豊かではない。金鉱などがあるわけでもない。外から食料を輸入し続けることも出来
ないため、人数分の食料は自分たちで生産しなければならない。
しかし、畑というのは面積あたりの収穫量が限られるものだ。人数✕面積で、必要な畑の面積は飛躍的に増大する。
古代世界の大都市は、どこも例外なく食料を輸入に頼ってきた。アレキサンドリアもそうだ。郊外に食料を提供する農村があるから維持できる。
しかし、地下都市は、そうした食料の供給地はもっていない。そもそも住民自体が都市民ではなく農民なので、自分たちで生産するしかない。
「地下都市は異教徒の侵略に対して避難所として使われた」のように説明されることが多いが、そこを避難所として使うためには、常にみんなが近くに住んでいなければならない。しかし畑の面積を考えると、地下都市の周辺に何万人もの人口が集中して住むこと自体が不可能だ。
■空間的には収容は出来ても、出入りが出来ない
さらにツッコむと、収容人数を考える際に内部の空間面積だけ考えて、数か所しかない狭い出入り口から全員が出入りするのに何時間かかるのかが全く考慮されていないのは、いかがなものか。
というか、内部の通路の狭さ、行き違いすら出来ないようなキツさを知っている学者がこれを指摘しないのはどうにも納得がいかない。敵が来たー!と知らせがきて、みんなで一斉にわーっと逃げ込もうとしても、通路が狭すぎて人が動けない。
人の流れを考慮して設計された、現代のスーパーアリーナや野球場でさえ、全観客の出入りには時間がかかる。導線など考慮されていない地下都市に大人数が出入りするのは難しいことくらい、コンピューターシミュレーションしなくても想像がつきそうなものだ。
地下都市の構造的に、スムーズに出入りしようとすると数千人でも厳しいレベルではないかと思う。
これについては、以下の写真などを参考にしてほしい。
君は地下都市に住みたいか。カッパドキア・ネブシェヒルで新たな地下都市を発見
■そもそも地下都市は「暮らす」ためには作られていない
以前から指摘されているとおり、地下都市と言われている遺構には台所が少ない。
煙を出して居場所を知られるのを恐れたのでは、と説明される。確かにそれはあるかもしれない。しかし、飯を食うのに湯を沸かすことすら出来ないのでは、長期滞在には向いていない。もともと、暮らすための場所というよりは、一時的な避難所、もしくは収穫後の穀物や大事な家財などを隠しておく倉庫として使われていたと考えるほうが妥当だろう。
また、トイレも少ない。
人間である以上、みんな必要なものは出さなければならないので、人数が多くなればなるほど分量が増えるのは当然。
これについては、以前、以下で軽く計算してみてドン引きしたことがあるので参考までに。
ピラミッド労働者、トイレどうしてたんだろう。っていう話
他にも、以下のように各方面からいくらでもツッコミが入れられてしまう。
収容人数をもっと少なめにするか、普段は倉庫にしてて、たまに近隣の町の人が逃げ込むことがある程度の短期滞在用と考えたほうがいい。
・7万人もいたら当時の出生・死亡率からして、毎日何人かは死者が出て、何人か生まれるレベル。地下だと死者の埋葬場所がないけどどーすんの?
・礼拝所はあるけど小さくて百人も収容出来ない。何万人も暮らしていたとするなら、順番待ちで礼拝所はほぼ使えない →経験なキリスト教徒が地下に逃げたというストーリーとは一致しないのでは?
・そもそも7万人いたなら、半数が男性、さらにその半数が成人男性と考えて、戦闘員が常時数万人はいることになる。小規模な敵軍程度なら、地下に隠れるより戦ったほうが確実なのでは?
・地下水だけではどう考えても飲水が足りない。狭いので順番まちも難しい。一箇所でひたすら汲み上げ続ける水汲み人でも置かないとみんなで地下で暮らすのは無理では?
・地下なのでそもそも暗い。昼夜ひたすら灯りを灯し続けないとどっちが出口かも分からない。7万人分の生活に使われる油は凄まじい量になりそうだがどうやって調達する?
アナトリアの地は豊かではなく、やって来た侵略者たちは皆、通り道として利用するだけでスルーしていた。そもそも、長期間そこで暮らす意味がない。
しかも、地下の広大な遺構も、短期間で作られたものではなく、何世紀もかけて拡張されたつぎはぎだ。現状だけ見て何万人もが同時に暮らしたとかんがえるのは、机上の空論に過ぎる。地下都市、という呼び名はいかにもカッコいいのだが、実際は”都市"ではなく「近隣の村の共同地下倉庫」とか「地下の隠れ修道院」とか呼んだほうが妥当だったのでは…。という気がしている。