学者が頓珍漢な発言で炎上するとき――その裏で何が起きているのか

「人糞(じんぷん)学者」というネットスラングがある。「人文(じんぶん)学者」をもじったものである。

クソみたいなことを言ってるくせにインテリぶっている肩書きだけの奴ら、というニュアンスの汚い言葉だが、残念ながらこの言葉はある程度の人口に膾炙してしまっており、実際、「これはちょっとひどすぎるだろ…」というような内容を平然と公表する人文学者がいるのも事実である。

一例を上げるが、これは、とある人文学者(歴史・考古学ジャンル)の著書の中身である。本題は古代メソポタミアのファッションの話なのに、いきなりこんな文章がぶちこまれており、読んだ私は目を白黒させていた。どう読んでも痴漢援護の内容であり、しかも痴漢の起きる原因に対しての認識齟齬が甚だしい。

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この本は、元は雑誌連載だったものを一冊に纏めたものだという。つまり既に雑誌という形で世に出ていたはずなのだず、本人はおろか雑誌の編集も読者も、誰ひとりこの文章の異常さに気が付かなったらしいのだ。
…まぁインターネットに慣れた人たちならおわかりの通り、こんなもの、ツイッターとかネットニュースに書かれていたら、大炎上は間違いなしである。たまたま身内しか読まない場所に書いていたから燃えていないだけ。

これを書いた人は男性で、そこそこ年配で、このジャンルにおいては日本でもトップクラスの知識人である。私もこの先生の講演会に紛れ込んだことはあり、ご自分の専門ジャンルでの講義内容はとても面白い。
しかし、一歩自分の専門ジャンルを離れて、ごく一般的な社会の話をしようとすると、この体たらくなのである。


「人糞学者」と揶揄される学者先生たちの多くも、これと同じパターンが多い。
ご自分の得意分野での学識は素晴らしく、肩書や地位もある。なのに自分の専門ジャンルから離れた社会問題や一般常識的な話ではショボい見識しかなかったり、あり得ないような失言やミスを犯し、業界外の人たちから失笑されたり、ツッコまれたり、知性を疑われたりという事態になる。

 一体、何が起きているのか?

…私の職業は学者ではなく、「学会」と呼ばれるものにも一般参加枠でこそっと紛れ込んだことくらいしかない部外者なのでザックリ言ってしまおう。

●「分からないことは調べて裏取りをする」という基礎が出来ていない。

これに尽きる。
なお、冒頭の問題の部分の前後まで開示すると、このようになっている。

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繰り返すが、これは古代メソポタミアのファッションについて書かれている章の中にある文章である。ここに書くのが場違いなのはもちろん、「なぜ古代メソポタミアのファッションから現代のファッションの均一性に対する批判になっているのか」「なぜ制服から痴漢の話に飛ぶのか(なぜそこが連想で繋がるのか)」、読んでもサッパリ分からない。

そして、自分の専門ジャンルについて書いている部分は、引用文献や参考にした論文を記載して裏取りしながら構成しているのに、社会問題についてあーだこーだ言っている部分は、完全に自分の「思い込み」、多分こうだろう、という概念的なものをベースに論じている。だから見当違いのおかしな発言になってしまっているのだ。

しかも自分で「本当かどうかはさておき」まで書いているのだからタチが悪い。根拠が無いことを自覚しているのなら、そこは「さておき」してはいけない。
ちなみに、なぜ痴漢が起きるのかについては、たとえばこのような資料がある。

「男が痴漢になる理由」なぜ女性も知っておくべきなのか。満員電車でくり返される性暴力
https://www.huffingtonpost.jp/2017/10/18/sexual-molester_a_23248308/

痴漢している人たちは確かにストレスを感じているが、痴漢行為の根底にあるのは「支配欲」である。だから自分たちより弱そうな女性を狙う。私などは満員電車に乗ってても狙われたことがない。
これを社会のせい、と書けるのは、よほど理解力が無いか、自分も痴漢趣味があるので「こうさせた社会が悪い」と言い訳している人くらいではないだろうか。

もしこの内容を理解出来たなら、「そもそも見知らぬ男女が密着している空間が痴漢のトリガーとなっている」とわかるので、女性専用車によって狙われやすい女性を隔離することは痴漢抑止のために有効だと思うはずなのだ。そして、「社会が悪い」のような、解決策も何も提示しない空虚な内容を、ドヤ顔で書くこともないはずなのだ。

ほんのちょっとググれば出てくることさえ調べていない。お仕事として文章を書くのに、この態度はちょっとあり得ない。

専門家でえらい先生が専門外のジャンルに口を出して炎上するのは、ほぼこのパターンだ。
「自分にもまだまだ知らないことはある」という謙虚さを忘れていなければ、知らないことは前もって調べる。
「分からないことは調べる」という基礎が出来ていれば、自分の専門ジャンルだろうが、他のジャンルだろうが同じことをする。
自分は既に立派な知識人と思い込んでいる油断に加え、ただ単に「論文を書く場合は後ろに引用元を書かなくちゃいけないから」というお作法だけ覚えていて、その意味する本質を忘れてしまっているのだろう。

「初心忘るべからず」は、何度も心に刻んでおきたい言葉だ。


●人文学のジャンルでは「権威からの引用」が根拠となりがち

自分の知らないジャンルで炎上するだけなら、どのジャンルでもよくある話なのだが、人文学というジャンルの先生たちはとかく根拠のない失言をしがちである。(ツイッター上での自分調べ) 
そして、お互いにリツイートしあうお仲間クラスタが非常に濃厚に出来上がっている。

これはSNS上だけではなく、著書や論文でも頻繁に見られる現象である。
著書ならば、「このxxについては、●●先生の研究によれば~」と知己の学者の研究を挙げる。
論文なら、「これについては●●の研究が詳しい」と知己の学者の論文を引用する。
確かに詳しい人が身近にいれば、そのジャンルについてはイチから調べるより本人に聞いて共有してもらったほうが早いのだが、このやり方に
慣れすぎて、狭いジャンル内には詳しいが、その外に出ていけない、専門特化しすぎた研究者はしばしば見かける。そのせいで、詳しくないジャンルにおいてはポンコツになりがちだ。

そして数字やデータで証明できる学問と違い、人文学の多くは、仮説を積み重ねて、より最もらしい答えを推測する という答えの導き出し方をする。特に歴史や考古学ともなれば、先人たちの研究を参照するのはもちろん、先行する研究や記録を踏まえた上で、権威の先生方の顔色を伺いながら自説を展開する、というジャンルである。
社会問題に対してもこれと同じアプローチの仕方をしてるから、権威の先生Aが失言してそれに乗ってると、親亀コケたら皆コケた状態で芋づる式に炎上するハメになるわけだ。

この芋づる炎上の好例が「オープンレター問題」だと思う。
ある偉い先生(男性)が別の先生(女性)の悪口を鍵垢で言い、それが勝手に公開されて炎上、なぜか女性差別だとか謎の方向に盛り上がった挙げ句、最初に悪口を言った先生が失職に追い込まれるわ、個人同士のケンカに学会が乗り出して声明文を出して火に油を注ぐわと、無駄な労力を使った挙げ句に「人糞学者」のスラングを定着させるという”素晴らしい"成果を残した事件である。

知己の先生が「これは問題だ!」と騒いでいるから乗っかってリツイートする。「署名お願いします」と言われたから機会的に署名する。
それが正しいか、妥当な行動かを自分の頭で都度考える、ということをしていない。
著書や論文で多様されている「権威からの引用」が、SNSでは「リツイート」に変わっているだけなのだ。

そして、専門書ならお仲間以外はほぼ入ってこないジャンルなのに対して、SNSは広く世の中に公開されているために、おかしな言動をしていたら速やかなツッコミが入る、ただそれだけなのだ。



●忘れてはならない「知の基本」

それならば、自分の知らないジャンルのことを発言したいときはどうするのか。
日本には「沈黙は金」という言葉もあるが、何か一言言いたいこともあるだろう。そんな時は簡単である。

 ・論拠となるソースやデータに当たる
 ・そこから推測される結論が妥当かを検討する
 ・主張したい内容に沿って文章を組み立てる

単純に、論文などを書く時と同じ手法を使えばいいだけ。やることは自分の専門ジャンルだろうがそれ以外だろうが全く同じ。学者を名乗るなら最低限、このくらいは出来るはずなのだ。
なのに自分の専門外のジャンルになるといきなり出来なくなってポンコツになるのは、「基礎ができてない」、「ふだん自分がやっていることの本質を理解してない」としか言いようがない。


しかしそもそもを言うならば、書かなくていいことは、書かないでいい。

最初に戻るが、歴史とか人文学のジャンルの本を開いたらいきなり、見開き2ページも使って「日本には制服というものがあるがアレはダメだ個性がなくなる」なんて昭和かよみたいな自説が書かれているのはどうなのか。そんなにそれを訴えたかったのか。こちらとしては1ミリもそんな話は求めていないし、ぶっちゃけ不愉快である。(元の掲載雑誌はそういうのが好きな意識高い人が集まっていたのかもしれないが。)
この本が図書館で借りたもので、自分で買ったものではなかったのが不幸中の幸いであった。

他にも独りよがりな視点で書かれたイタい文章があちこちに混じっていて、ちょっとはググろうよ…と情けなくなってしまった。多少の勘違いは仕方ないにしても、分からないことは調べる、自信なかったら裏とりしてみる。そんなの基本中の基本では?


筆がノッて日常の愚痴をひたすら書き連ねたり、知ったかで政治問題を語りだす人のことを、私は賢者と思ったことはない。
何か腹に据えかねる問題があっても、その問題を真剣に考えていればいるほど、軽々しく場違いな場所で口にするなど出来ないはずなのだから。

学者諸先生方は、あまり素人を幻滅させないでいただきたいものである。