ミイラ薬は「なぜ」ヨーロッパで流行したか。→「医者にかかりたくなかったから」

古代エジプトのミイラが、かつてヨーロッパでミイラ薬として持て囃されていたことを、知識として知っている人は多いと思う。
しかし、「なぜ」ミイラ薬が持て囃されたのか、という話まで知識をもっている人は少ないのではないだろうか。

簡単に結論から書いておくと、以下のようになる。

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●ミイラ薬が流行ったのはルネサンス期以降
●当時のヨーロッパの医療レベルはクソ低かった

 ※瀉血療法とか言ってヒルを体につけていた時代だ、と言えば想像はつくと思う。
 ※十字軍遠征したヨーロッパの騎士たちは、アラビアの医師なら治せる傷なのに自国の医師たちに殺されていた

●医療の進んだアラビアの薬を導入しようとする
●アラビア人が医療に使っていた瀝青(ムミヤ)が何なのか分からず、黒ずんだエジプトのミイラから取れるものだと勘違いした
●ミイラ化された死体自体をムミヤと呼ぶようになった
  ↓ 
●ミイラ薬誕生、ついでにミイラ化された遺体を指す「ムミヤ」という言葉も誕生。
 
 ※この「ムミヤ」が「マミー」の語源となる

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今流行りのユーチューバーとかが配信すると、もったいぶった口調でたっぷり30分は喋ったあとでチャンネル登録などお願いしてきそうだが、文章で読めばたったの5分である。そして至極単純な話である。
ちなみに資料としては「ミイラはなぜ魅力的か」という本が読み物として面白いのでオススメしておきたい。

ミイラはなぜ魅力的か―最前線の研究者たちが明かす人間の本質 - ヘザー プリングル, Pringle,Heather, 主税, 鈴木, えりか, 東郷
ミイラはなぜ魅力的か―最前線の研究者たちが明かす人間の本質 - ヘザー プリングル, Pringle,Heather, 主税, 鈴木, えりか, 東郷

さて、この話を書こうと思ったキッカケは、ミイラの語源は没薬(ミルラ)だという勘違いをいまだにしている本職の学者さんがいること、ミイラ薬はある種のカニバリズムだなとフト気づいたからである。

人肉食など未開の地のすることでは…と思うかもしれないが、まさに中世ヨーロッパは未開の地だったのだ。だから、「ミイラを粉末にして薬として服用する」という無茶が流行したのである。


中世ヨーロッパがアラブ社会視点だと蛮族世界であり、科学レベルが低かったことなどは別の資料で調べてほしいが、そのくせプライドが高かったのか、アラブ世界から学ぶという意識が低すぎたのが勘違いの生まれた原因だった。
アラビア語が読める者も、意味を解釈できる者もおらず、なんとなく知ってた「エジプトのミイラには瀝青が使われているらしい」という知識から、ミイラを薬の原料にしているに違いないと変な方向に捻って考えてしまったのだ。

ちなみにアラブの医者が使っていた本当の「ムミヤ」はペルシアの産地で取れる天然アスファルトで、これは止血などにも用いられた。
ミイラ薬の効能で、「止血に効く」などと出てくるのは、元のムミヤの効能の一つとして知られていたからだ。――当然、ミイラではそんな効果は得られないのだが。

ミイラ薬は、ミイラを砕い粉にしたものを筒のようなものに入れて保管されていた。
一見コショウ入れのようで、これに薬匙がつく。

Why did people start eating Egyptian mummies?
https://www.livescience.com/eating-egyptian-mummies

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もちろん本物のミイラが手に入るケースは稀で、多くの偽物も出回っていたというが、一体どれくらいのミイラがエジプトから輸出されていったのか正確には不明である。
ただ、最近もエジプトのサッカラ地方で数百体ぶんの棺が発見された報道があったように、墓を一つ見つければ、数百人ぶんの死体がまとめて手に入る。今ですら出てくるくらいなので、当時はもちろん、大量のミイラが国外に持ち出されていたはずなのだ。

ミイラは薬として売り、ミイラが見つけている貴金属や外側の棺は美術品として売る。
いま博物館に展示されているからの棺や、どこでいつ発掘されたかわからない装飾品の持ち主たちは、既に砕かれて薬にされ、誰かの胃袋を通過したあとかもしれない。
人が人の死体を好んで食っていた、そんな時代もあったのだということ。

人間の形をとどめたまま、現代に残ることの出来たミイラたちは、実はとても幸運だったのだ。