日本にある「瓦のピラミッド」、土塔について調べてみた

「瓦のピラミッド」というキャッチに引かれて調べてみた。「土塔」とは、行基が主導して仏道に帰依した人々に作らせた施設で、727年に建造が始まった。つまりざっと1300年前の、堂々たる古代遺跡である。

土盛りの上にお堂のような建物をつくり、斜面は瓦に覆われた十二段、上に載せたお堂をあわせて十三段となる階段状に屋根の重なったような形をしている。
一辺は53mの正方形。現代でこそ高さはさほどでもないが、古代には上に登れば天皇陵の並ぶのが見渡せただろうという。時の権力者ではなく、無名の人々が財力と労力を持ち寄って作ったものと考えれば、かなりの規模の人口の丘である。
現代でも残りが良いが、どうも室町時代まで何度も改修されていた痕跡があるらしい。

観光ガイド
https://www.sakai-tcb.or.jp/spot/detail/26

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まずこの瓦ピラミッドの面白いところは、作らせた者が権力者ではなく宗教者であるところ、それも全国を練り歩いて一般大衆に布教していたような僧が中心となり、民間の手で作られていること。
発掘で出てきた瓦に刻まれているのがほとんど、建造に関わった人物名(一般人)だというのも、とてもおもしろい。

245694008.pnghttps://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/bunkazai/bunkazai/tenjikai/doto/mojigawara.html


行基は僧なのだが、純然たる仏教史跡というわけでもなく、天皇霊を祀った痕跡などがあり、日本古来の「祖霊崇拝」の思想を色濃く宿していること。

この土塔自体は儀式のための宗教設備や権力者の墓といった機能を持たず、あくまで「塔」として、上に登って天皇稜のあるほうを拝するというような、祈りの舞台として使われた可能性があるところ。

エジプトのピラミッドは墓だし、メソポタミアのジッグラドと呼ばれるピラミッドは上に神殿を乗せる土台である。
中米マヤやアステカのピラミッドは祭壇であるとともに中に王墓を持つこともある聖所である。
しかし、そうしたピラミッド状の土盛りと、この土塔の機能や目的は、ずいぶん違って見える。これ自体に意味はなく、これを作ろうとした思想、この山を作ること自体に込めた意味のほうが大きいと思われるからだ。

また、他のピラミッドと違い、民間で多くの人が集まって作っているためだろうか、「作った人々の名前」が残っているところも面白い。その名前というのが、発掘で見つかっている多くの瓦に書かれているのである。なにやら、寄進者の名前が神社の欄干に刻まれるシステムとの類似を思わせる。

こういう面白い遺跡も日本にあるんだなあ、と思った次第。
コロナ禍で海外に出ていけないけれど、日本国内もまだ行ってみたい場所は沢山あるのだ。