「投票」は果たして本当に民主主義の基本なのか。現代における意味合いの変化について
選挙があるたびに報道されるのが、投票率である。
かつては70%くらいだったものが、近年はだいたい50%程度で推移している。高齢者ほど投票率が高い、という統計も出ているが、投票を自然な義務と感じている世代がそこまでなのだろう。今の40代以下が、60歳以上になった時に投票場に通っているかというと、ちょっと怪しい。
つまり今後も上がる可能性は低いだろう、ということと、そもそも今の時代において投票は民意を示すために有効なのか、という話題を提示してみたい。
■前提
まずは現状を数値で確認してみたい。
<参考>
総務省の「選挙の意義」
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo01.html
これまでの投票率の推移
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/index.html

見てのとおり、平成に入るくらいから下がりはじめている。
年代別の投票率
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/

実は60代が例外的に高く、70代以上だと低い。
今の60代は、学生運動などやってた世代か、その少し下あたりになると思われる。一番政治に関心がある年代だから投票率が高いのだとしたら、それ以降の世代が高齢化しても投票率は上がらないことになる。
■投票率が100パーセントの国はない
次の前提となるのが、「投票率は決して100パーセントにならない」「法律で義務化しても90パーセント止まり」というところである。
http://honkawa2.sakura.ne.jp/5230e.html

「投票率が低い」という意見はよく聞くが、それなら何%なら高いと見なされるのか。少なくとも、自由意志で投票する場合は高くて70%、多くの国では60%くらいである。だとすると、現状とされほど乖離しているわけでもない。私個人としてはも過半数の人が投票していれば十分ではないかと思っている。
また、法律で投票を義務化した場合、「投票しさえすれば良い」と白票や無効票を投じる人も一定数出てしまう問題があるようで、むしろそっちのほうが、選挙が蔑ろにされている制度なのではと感じる。
ベルギーの事例
https://www.nhk.or.jp/senkyo/chisiki/ch18/20160318.html
なお、「投票率が100パーセントの国はない」と書いてはいるものの、タテマエ上、100パーセントになっている国はある。
また、「投票が義務だが白票はない」という国もある。
ただしそうした国には民主主義という概念はない。どうやって実現しているかは調べてみよう。
■そもそも投票は「民意を表す手段」なのか
というわけで、本題に入る。
すでに数字に見えているとおり、日本において今後投票率が上がる可能性は低く、おそらくいいとこ現状維持に留まると思う。
なぜ投票に行かないかというと、「政治に関心がない」とかではなく、
積極的に投票したい人がいない
これである。
中の人ももうずーっと消去法で、「この人がまだマシだよな…」って感じで投票している。
インターネットで投票できたほうが便利、とかはあるだろうが、投票したい人がいて、投票する理由があるなら、人は動くはずなのだ。
だってスーパーの安売りで欲しい物があれば出かけるでしょ? コンビニのコラボ商品で気になるのあったらコンビニ寄るでしょ? 最近は期日前投票だってあるんだし、町に出たついでに寄るくらいは出来る。そのちょっとの手間さえめんどくさいほど、消極的な理由しか出てこないのだ。
そして、投票率が下がっているのは日本だけではない。
上の方に出したように、この数十年、世界の多くの国で投票率は下落傾向にある。
なぜかと突き詰めていくと、現代においては、投票は、自分の政治信条を表現する/実現するための、唯一の方法では無くなっているのではないか、という疑問が湧いてくる。
投票するよりも、フェイ●ブッ●で書き散らしているほうが、なんとなく政治に関わってる感じがする、みたいな人もいるはずだ。SNSでは頑張ればアルファになれるが。投票は誰でも等しく一人一票だし。
また、日常生活の中で政治がそれほど重要ではなくなっているとか、安定して発展している国の場合は政変によって生活が大きく変化することを望まない人が多くなるとか、この数十年の世界情勢を見るに政治を変えてきたのが常に暴力だった(「アラブの春」などはその最たる例)ために投票に意義を見出さない人が増えていることとかも関連しそうである。
このあたりを掘り下げていくと、「そもそも民主主義を実現する方法が昔ながらの投票でいいのか」という大きな命題にたどり着く。
現実問題として、投票率が劇的に上がる予定は今のところ見いだせない。そして少子化も世界的な傾向として続いているため、若者の意見が通りにくい世界ももう何十年かは続くだろう。
どれほど「お題目」をぶち上げたとしても、現実は非常である。理想はあくまで理想に過ぎず、声高に叫べば人が動くというわけでもない。
民主主義を謳う国の多くが投票率低下に悩む可能性の高い今、投票というシステムの今後を考えると、このままでいいのかという疑問は当然ながら湧いてくる。
既存の社会のあり方を持続すべきなのか、何か新しい軸を入れるべきなのか(暴力は論外にしても…)は、悩ましいところである。
*****
ひとつ案を上げるなら、「候補者」ではなく「政策」に対しての投票はあってもいいと思う。
国民投票と被ってしまうかもしれないが。
そもそも、候補者の上げている公約全てが自分が重要だと思う内容や志向と重なることはほとんどない。「この政策は候補者Aのほうが良さそうだが、別の政策はとても任せられそうにない、むしろ候補者Bの意見に近い」とか。
政党にしても、右派と左派のような単純明快な分かれ方は今や無く、政策によって、あるいは政党内の派閥によっても自分の意見と一致するかが異なる。
そうなると選びづらい。もしひとつでも合わない部分があればNGなのだとしたら、誰にも投票できなくなってしまう。
白紙で投票してしまう人や、候補者が選べない人の多くはそんな感じなのではないだろうか。(そもそもの候補者のレベルが低すぎる選挙区もあるかもしれないが…)
候補者単位、政党単位での投票ではなく、政策や方針に対して直接投票するシステムはアリだと思うのだ。
かつては70%くらいだったものが、近年はだいたい50%程度で推移している。高齢者ほど投票率が高い、という統計も出ているが、投票を自然な義務と感じている世代がそこまでなのだろう。今の40代以下が、60歳以上になった時に投票場に通っているかというと、ちょっと怪しい。
つまり今後も上がる可能性は低いだろう、ということと、そもそも今の時代において投票は民意を示すために有効なのか、という話題を提示してみたい。
■前提
まずは現状を数値で確認してみたい。
<参考>
総務省の「選挙の意義」
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo01.html
これまでの投票率の推移
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/index.html

見てのとおり、平成に入るくらいから下がりはじめている。
年代別の投票率
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/

実は60代が例外的に高く、70代以上だと低い。
今の60代は、学生運動などやってた世代か、その少し下あたりになると思われる。一番政治に関心がある年代だから投票率が高いのだとしたら、それ以降の世代が高齢化しても投票率は上がらないことになる。
■投票率が100パーセントの国はない
次の前提となるのが、「投票率は決して100パーセントにならない」「法律で義務化しても90パーセント止まり」というところである。
http://honkawa2.sakura.ne.jp/5230e.html

「投票率が低い」という意見はよく聞くが、それなら何%なら高いと見なされるのか。少なくとも、自由意志で投票する場合は高くて70%、多くの国では60%くらいである。だとすると、現状とされほど乖離しているわけでもない。私個人としてはも過半数の人が投票していれば十分ではないかと思っている。
また、法律で投票を義務化した場合、「投票しさえすれば良い」と白票や無効票を投じる人も一定数出てしまう問題があるようで、むしろそっちのほうが、選挙が蔑ろにされている制度なのではと感じる。
ベルギーの事例
https://www.nhk.or.jp/senkyo/chisiki/ch18/20160318.html
なお、「投票率が100パーセントの国はない」と書いてはいるものの、タテマエ上、100パーセントになっている国はある。
また、「投票が義務だが白票はない」という国もある。
ただしそうした国には民主主義という概念はない。どうやって実現しているかは調べてみよう。
■そもそも投票は「民意を表す手段」なのか
というわけで、本題に入る。
すでに数字に見えているとおり、日本において今後投票率が上がる可能性は低く、おそらくいいとこ現状維持に留まると思う。
なぜ投票に行かないかというと、「政治に関心がない」とかではなく、
積極的に投票したい人がいない
これである。
中の人ももうずーっと消去法で、「この人がまだマシだよな…」って感じで投票している。
インターネットで投票できたほうが便利、とかはあるだろうが、投票したい人がいて、投票する理由があるなら、人は動くはずなのだ。
だってスーパーの安売りで欲しい物があれば出かけるでしょ? コンビニのコラボ商品で気になるのあったらコンビニ寄るでしょ? 最近は期日前投票だってあるんだし、町に出たついでに寄るくらいは出来る。そのちょっとの手間さえめんどくさいほど、消極的な理由しか出てこないのだ。
そして、投票率が下がっているのは日本だけではない。
上の方に出したように、この数十年、世界の多くの国で投票率は下落傾向にある。
なぜかと突き詰めていくと、現代においては、投票は、自分の政治信条を表現する/実現するための、唯一の方法では無くなっているのではないか、という疑問が湧いてくる。
投票するよりも、フェイ●ブッ●で書き散らしているほうが、なんとなく政治に関わってる感じがする、みたいな人もいるはずだ。SNSでは頑張ればアルファになれるが。投票は誰でも等しく一人一票だし。
また、日常生活の中で政治がそれほど重要ではなくなっているとか、安定して発展している国の場合は政変によって生活が大きく変化することを望まない人が多くなるとか、この数十年の世界情勢を見るに政治を変えてきたのが常に暴力だった(「アラブの春」などはその最たる例)ために投票に意義を見出さない人が増えていることとかも関連しそうである。
このあたりを掘り下げていくと、「そもそも民主主義を実現する方法が昔ながらの投票でいいのか」という大きな命題にたどり着く。
現実問題として、投票率が劇的に上がる予定は今のところ見いだせない。そして少子化も世界的な傾向として続いているため、若者の意見が通りにくい世界ももう何十年かは続くだろう。
どれほど「お題目」をぶち上げたとしても、現実は非常である。理想はあくまで理想に過ぎず、声高に叫べば人が動くというわけでもない。
民主主義を謳う国の多くが投票率低下に悩む可能性の高い今、投票というシステムの今後を考えると、このままでいいのかという疑問は当然ながら湧いてくる。
既存の社会のあり方を持続すべきなのか、何か新しい軸を入れるべきなのか(暴力は論外にしても…)は、悩ましいところである。
*****
ひとつ案を上げるなら、「候補者」ではなく「政策」に対しての投票はあってもいいと思う。
国民投票と被ってしまうかもしれないが。
そもそも、候補者の上げている公約全てが自分が重要だと思う内容や志向と重なることはほとんどない。「この政策は候補者Aのほうが良さそうだが、別の政策はとても任せられそうにない、むしろ候補者Bの意見に近い」とか。
政党にしても、右派と左派のような単純明快な分かれ方は今や無く、政策によって、あるいは政党内の派閥によっても自分の意見と一致するかが異なる。
そうなると選びづらい。もしひとつでも合わない部分があればNGなのだとしたら、誰にも投票できなくなってしまう。
白紙で投票してしまう人や、候補者が選べない人の多くはそんな感じなのではないだろうか。(そもそもの候補者のレベルが低すぎる選挙区もあるかもしれないが…)
候補者単位、政党単位での投票ではなく、政策や方針に対して直接投票するシステムはアリだと思うのだ。