「中世エジプト」と「古代エジプト」がクロスする時。「エジプト死者の街と聖墓参詣」
中の人は古代エジプトのマニアだが、中世エジプトや近代エジプトもそれなりに手を出している。
というか歴史というのは繋がっているものなので、ある瞬間にいきなりすっぱり切れるわけではない。歴史本が毎回ある時点で語るのを終えるのは、その先の時代について研究者が不勉強だからか、専門外に手を出したくないからか、ページ数が足りないだけである。なので「古代エジプト」の本を読み終わったあと、その先の時代について知りたければ、別の本に手を出せばいい。
この本は、何冊か集めている「中世エジプト」、それもローマ→ビザンツの支配が終わったあと、アラブ支配が安定していた14-16世紀あたりが中心の民間信仰についての研究書になっている。タイトルの「聖墓参詣」はズィヤーラという言葉で表現される。古代エジプトにはアビドスのような古い墓地を参詣する巡礼があったが、中世エジプトでも同じように聖者の墓とされた墓地を巡礼・参詣するイベントがあった、という話である。

エジプト死者の街と聖墓参詣: ムスリムと非ムスリムのエジプト社会史 - 哲也, 大稔
主な参詣の場所は現代のカイロの南のほう、ムカッタム山のふもとになる。
ここが一大墓地になっていて、生きた人間の住処と隣接するように死者の街が広がっている。
一神教なのに聖人の墓地への参詣なんていいの? という話だが、盛んになりすぎて禁止されたり控えるよう言われる時代もあったらしい。
ただ、現代まで続く風習として残っているあたり、禁止もあまり意味が無かったんだな…という感じである。

面白いのは、この聖墓参詣や聖者崇拝の文化が、古代の信仰のあり方と様々な点で重なるところだ。
古代エジプト人も、ピラミッドは参詣対象と見ていたし、王家の谷にある王族の墓は川べりにある葬祭殿で崇拝の儀式を行っていた。墓が参詣対象なのは、いわば古代から共通の民族的な歴史概念と言える。
参詣の際に泣き女が同行すること、音楽や酒を持ち込むことなども同じで、対象がファラオからイスラム教やキリスト教の聖人に変わっただけのようにも見える。
なお、エジプトは一定数のキリスト教徒(コプト教徒)を、今も抱える国である。
イスラム教徒だけでなく、キリスト教徒も聖人の墓参りを行っていたこと、やり方がほぼ同じであることはなかなか面白い。
一神教の国の中でも、エジプトは特に聖人崇拝が強いと言われるが、それって元々の土着文化だったんだろうな…だから宗教関係なく同じ方向に流れるんだろうな…と思う。
※そのへんは、似たテーマの本でキリスト教視点のものもあるので、こちらと合わせて読むとさらに理解できると思う。
「コプト聖人伝にみる十四世紀エジプト」

コプト聖人伝にみる十四世紀エジプト社会 (山川歴史モノグラフ) - 明日香, 辻
古代エジプトの時代に三千年かけて確立された「エジプトらしさ」の要素は、たとえ一神教が入ってきてからも失われることなく、民衆の教義の中にしぶとく生き残り続けていた、と言えるのかもしれない。
というか歴史というのは繋がっているものなので、ある瞬間にいきなりすっぱり切れるわけではない。歴史本が毎回ある時点で語るのを終えるのは、その先の時代について研究者が不勉強だからか、専門外に手を出したくないからか、ページ数が足りないだけである。なので「古代エジプト」の本を読み終わったあと、その先の時代について知りたければ、別の本に手を出せばいい。
この本は、何冊か集めている「中世エジプト」、それもローマ→ビザンツの支配が終わったあと、アラブ支配が安定していた14-16世紀あたりが中心の民間信仰についての研究書になっている。タイトルの「聖墓参詣」はズィヤーラという言葉で表現される。古代エジプトにはアビドスのような古い墓地を参詣する巡礼があったが、中世エジプトでも同じように聖者の墓とされた墓地を巡礼・参詣するイベントがあった、という話である。

エジプト死者の街と聖墓参詣: ムスリムと非ムスリムのエジプト社会史 - 哲也, 大稔
主な参詣の場所は現代のカイロの南のほう、ムカッタム山のふもとになる。
ここが一大墓地になっていて、生きた人間の住処と隣接するように死者の街が広がっている。
一神教なのに聖人の墓地への参詣なんていいの? という話だが、盛んになりすぎて禁止されたり控えるよう言われる時代もあったらしい。
ただ、現代まで続く風習として残っているあたり、禁止もあまり意味が無かったんだな…という感じである。

面白いのは、この聖墓参詣や聖者崇拝の文化が、古代の信仰のあり方と様々な点で重なるところだ。
古代エジプト人も、ピラミッドは参詣対象と見ていたし、王家の谷にある王族の墓は川べりにある葬祭殿で崇拝の儀式を行っていた。墓が参詣対象なのは、いわば古代から共通の民族的な歴史概念と言える。
参詣の際に泣き女が同行すること、音楽や酒を持ち込むことなども同じで、対象がファラオからイスラム教やキリスト教の聖人に変わっただけのようにも見える。
なお、エジプトは一定数のキリスト教徒(コプト教徒)を、今も抱える国である。
イスラム教徒だけでなく、キリスト教徒も聖人の墓参りを行っていたこと、やり方がほぼ同じであることはなかなか面白い。
一神教の国の中でも、エジプトは特に聖人崇拝が強いと言われるが、それって元々の土着文化だったんだろうな…だから宗教関係なく同じ方向に流れるんだろうな…と思う。
※そのへんは、似たテーマの本でキリスト教視点のものもあるので、こちらと合わせて読むとさらに理解できると思う。
「コプト聖人伝にみる十四世紀エジプト」

コプト聖人伝にみる十四世紀エジプト社会 (山川歴史モノグラフ) - 明日香, 辻
古代エジプトの時代に三千年かけて確立された「エジプトらしさ」の要素は、たとえ一神教が入ってきてからも失われることなく、民衆の教義の中にしぶとく生き残り続けていた、と言えるのかもしれない。