「古代エジプト」の範囲と現代の国境線。ナイル第二急湍の位置確認

「古代」エジプトと「現代」エジプトは、南北の範囲で言うとほぼ同じなのだが、東西の幅は異なっている。
西は、シーワ・オアシスがエジプト人に知られるようになったのが結構あとの時代で、東は、時代によってレバノンあたりまで支配下に置いていたり、シナイ半島まで撤退してたり、はたまたキプロス島を支配下に置いていたりとまちまち。

という話を以前、このへんに書いた。

古代と現代、エジプトの国土の形~エジプトっていつからその形?
https://55096962.seesaa.net/article/202008article_22.html

今回ふと気になったのは、ナイルの「第二急湍」と呼ばれる場所のことである。
「急湍」とは、岩だらけで流れが急になり、船で下ることも遡ることも出来ないためいったん船から降りて陸路で移動するしかないような場所のことだ。「早瀬」と言い換えると分かり易いかもしれない。

エジプト国内ではほとんど真っ平らで、流れてるのか流れてないのかも分からないような穏やかなナイルが、川を遡ってゆくとアスワンのあたりで第一急湍に差し掛かり、流れが急になる――ダムが出来る以前には、なっていた。

その上流にあるのがアブ・シンベル。
さらにアブ・シンベルから少し川を遡ると第二急湍となり、歴史的に、ここが古代エジプト王国の南の国境である。歴代の王たちが直接遠征していたのは、大抵ここまでだ。

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で、この場所をGoogleで探してみると、だいたいこのへん。
そう、国境のすぐ南、なんである。イギリスさん、実にうまい感じに国境をものさしで引いたな…?

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かつては、この場所のほとりに古代から使われていた要塞の遺跡があったが、現在はアスワン・ハイ・ダムが作られた時に出来たダム湖に水没してしまっている。なので急湍自体ももう姿を消してしまっているか、かなり姿を変えているはずなのだが、「古代エジプトの国土はダム湖の南端あたりだった」「そこらへんがかつてのケルマ(地名)」と覚えておくと分かり易いかもしれない。


なお、第二急湍のあたりから西へ向かうと、古王国時代から知られていた「水の山」と呼ばれる遺跡がある。
かつてはここにオアシスか、湧き水があったとされている。

古代エジプト人の通った道・西方砂漠と「ジェドエフラーの水の山」
https://55096962.seesaa.net/article/201403article_18.html

現代において砂漠を突っ切る車道が走るその場所には、かつて、ロバと人の行き交う交易路が存在したのだ。
そして、その頃には今とは別の意味の「国境」――人の住む世界である川べりと、人を寄せ付けない砂漠世界の間に存在する壁が意識されていたはずだと思う。