かつて日本の外に在った神社の実体。「日本統治下の海外神社」

むかしチリに行った時、なぜか日本庭園に稲荷神社が置かれていた。
日系人が作ったもののようだったが、そういや日本から移民していった人たちが各地に作った神社があったんだよなぁ…ハワイとか…と、思い出していた。
で、ちょっと図書館で本を漁っていたのだが、別の本を見つけてしまった…。

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https://www.koubundou.co.jp/book/b156036.html

この本は、日本が大日本帝国していた頃に海外(朝鮮や台湾など)に作った神社の記録を集めて、なんで作ったんだっけ? とか、 そこにあった思想はどんなもの? というのを研究している本である。なので移民が作ったものではなく、大雑把に言うと、植民地として日本に組み込んだ土地で、その土地の人達を日本人として「教化」するために作られたもの、と理解することが出来る。

正確な記録はないため全体でいくつ作られたのかは不明、神社が在ったことの分かっている場所も鳥居だけ残ってるとか丘だけとかで元のままという状態ではない。根付くこと無く、敗戦で日本人が引き上げてしまうと消えてしまった。

その理由は、期間が短すぎた(せいぜい数十年)ことと、神道はグローバル宗教に適したフォーマットではなかったことがあると思う。


植民地に自分たちの宗教の施設を建て、現地民を改宗させる、というのは、ヨーロッパ人が散々やってきた、昔からよくある手法である。というかキリスト教などはまさに、ローマ帝国の時代から、多種多様な民族をひとまとめのアイデンティティのもとに統治するためのツールとして発達してきた宗教だった。
その長い歴史とは裏腹に、神道は明治以降、昭和初期辺りで帝国の国教としてあーだこーだ形を変えられたものなので、歴史が浅すぎた。媽祖など現地の信仰を取り込もうとした形跡もあるが時間がありなかった。あと200年くらいあればなんとか形にはなったかもしれないのだが。

天皇を神として崇める形態が微妙という意見もあるかもしれないが、そもそもキリスト教だってナザレ人イエスが神である。冷静に考えると異民族の行ったことのない場所出身の男を神扱いしているので、単純にフォーマットや教義の説得力の差でしかない。
神道には、人類普遍の救済のようでっかてタテマエがちょっと足りなかったのだと思う。


近代アジア史は専門外ジャンルな上に、そもそもなんでこの本読み始めたんだっけ…みたいな感じでさらっと一読しただけなので理解度も浅いが、機会があればいつかもう一度調べてみたいジャンルではある。