モンゴル遊牧民の考え方が面白い、「交渉の民族誌」
サブタイトルは「モノをめぐる情報戦」、この言葉の意味は本を読んでいくと分かる。
遊牧民の世界では情報が価値観を持ち、モノに付随する情報もまた「所有財産」の一つのような扱いを受けている、という話だ。
よく遊牧民はモノをあまり持たない、モノに執着しない、と紹介されることがあるが、実際は逆で、すぐに替えが手に入るわけではなく、お店もないようなところに住んでいるため、モノはとても重要で、近隣に住む人同士で融通もし合うため、「誰が何をどのくらい持っているか」という情報自体が高い価値を持つ社会なのだという。
交渉の民族誌 モンゴル遊牧民のモノをめぐる情報戦 - あゆみ, 堀田
読んでてまずなるほどと思ったのは、遊牧民が来客をもてなすのは単純なホスピタリティではなく、来客のもたらす情報を見返りとして欲しているという、暗黙の了解があるのだそうだ。
たとえば、草の生え方や天候についての情報。
最近の毛皮取引の値段や物々交換の相場。
離れたところで宿営している知人の動向、さいきん都会に出た人から聞く街の様子。
これらは、インターネットというITネットワークではなく、仲間同士のネットワークによって情報をやり取りしている世界だと言うことができるかもしれない。モンゴルの平原では、携帯電話やテレビはあるらしいのだがインターネットはまだ無さそうだ。あったとしても、信頼できる仲間からの情報のほうが価値観が高いはずなので、対人での情報やり取りは無くならないだろう。
その情報のやり取りの中に、「ご近所のxxさんが●●を手に入れた」とか、「町に出て△を買ってきた」のような情報がある。
平原で遊牧しながら暮らしている時に、たとえば、家畜の毛を刈り取るハサミが壊れてしまったら、すぐに買い替えることも出来ずにこまることになる。その際に、誰がハサミを持っているかの情報があれば、行って「交渉」して借りてくることができる。
情報は生活の知恵であり、何かとすぐ交渉すること、交渉の慣習などは、世帯間でモノを融通し合って暮らす遊牧民の文化の一部なのだ。
この本には、そうした「モノに付随する情報やりとり」のやり方、その情報を元にした「交渉(譲渡、貸し借り、交換など)」の実例が出てくる。とても興味深い世界である。ある意味では日本でいう「世間」とか「ムラ社会」に近い感覚でもある。
遊牧民にとっては、情報が財産の一部でもあるという。
モノには限りがあるが、情報なら減らないため、モノに付与する情報を分配することによって格差を作らないようにしているともいう。
あとおもしろいなと思ったのは、遊牧民は基本的に「自力救済」の概念のもとに生きているので、自分が困った時はとにかく自分からアクションするものだという。困った顔をしていたら誰かが自動的に助けてくれる、というようなことはない。
「xxをくれ」「xxを貸してくれ」「xxを交換してほしい」のような要求をし、交渉をすることが日常となっている。中にはわりと高額なお金を貸してくれ、のような要求もあるのだが、そこは信頼関係によって貸し借りが成立するのだという。
高価な調味料を「くれ」という要望を突っ張ねられない場合、最初から人に残量を見せない工夫をするなど、細かい技があるのも面白い。
自分の所有物のうち、何を人に公開して、何の情報を渡すのかは、その家ごとに決めているのだ。まさに「交渉文化」とでも言うべき世界である。
ここに書かれている交渉やモノの融通、価値のあるモノを所有するという優越感などは、古代世界でいう「威信財」の概念にも通じている気がした。
モンゴル遊牧民の世界では、誰が裕福で誰が貧しいという貧富の差はあまりなく、似たような構成の世帯感でモノのやり取りをしているが、もしそこに、特別な技術や物流を持つ世帯が現れたらどうなるだろうか、と思うのだ。
遊牧民の世界では情報が価値観を持ち、モノに付随する情報もまた「所有財産」の一つのような扱いを受けている、という話だ。
よく遊牧民はモノをあまり持たない、モノに執着しない、と紹介されることがあるが、実際は逆で、すぐに替えが手に入るわけではなく、お店もないようなところに住んでいるため、モノはとても重要で、近隣に住む人同士で融通もし合うため、「誰が何をどのくらい持っているか」という情報自体が高い価値を持つ社会なのだという。
交渉の民族誌 モンゴル遊牧民のモノをめぐる情報戦 - あゆみ, 堀田
読んでてまずなるほどと思ったのは、遊牧民が来客をもてなすのは単純なホスピタリティではなく、来客のもたらす情報を見返りとして欲しているという、暗黙の了解があるのだそうだ。
たとえば、草の生え方や天候についての情報。
最近の毛皮取引の値段や物々交換の相場。
離れたところで宿営している知人の動向、さいきん都会に出た人から聞く街の様子。
これらは、インターネットというITネットワークではなく、仲間同士のネットワークによって情報をやり取りしている世界だと言うことができるかもしれない。モンゴルの平原では、携帯電話やテレビはあるらしいのだがインターネットはまだ無さそうだ。あったとしても、信頼できる仲間からの情報のほうが価値観が高いはずなので、対人での情報やり取りは無くならないだろう。
その情報のやり取りの中に、「ご近所のxxさんが●●を手に入れた」とか、「町に出て△を買ってきた」のような情報がある。
平原で遊牧しながら暮らしている時に、たとえば、家畜の毛を刈り取るハサミが壊れてしまったら、すぐに買い替えることも出来ずにこまることになる。その際に、誰がハサミを持っているかの情報があれば、行って「交渉」して借りてくることができる。
情報は生活の知恵であり、何かとすぐ交渉すること、交渉の慣習などは、世帯間でモノを融通し合って暮らす遊牧民の文化の一部なのだ。
この本には、そうした「モノに付随する情報やりとり」のやり方、その情報を元にした「交渉(譲渡、貸し借り、交換など)」の実例が出てくる。とても興味深い世界である。ある意味では日本でいう「世間」とか「ムラ社会」に近い感覚でもある。
遊牧民にとっては、情報が財産の一部でもあるという。
モノには限りがあるが、情報なら減らないため、モノに付与する情報を分配することによって格差を作らないようにしているともいう。
あとおもしろいなと思ったのは、遊牧民は基本的に「自力救済」の概念のもとに生きているので、自分が困った時はとにかく自分からアクションするものだという。困った顔をしていたら誰かが自動的に助けてくれる、というようなことはない。
「xxをくれ」「xxを貸してくれ」「xxを交換してほしい」のような要求をし、交渉をすることが日常となっている。中にはわりと高額なお金を貸してくれ、のような要求もあるのだが、そこは信頼関係によって貸し借りが成立するのだという。
高価な調味料を「くれ」という要望を突っ張ねられない場合、最初から人に残量を見せない工夫をするなど、細かい技があるのも面白い。
自分の所有物のうち、何を人に公開して、何の情報を渡すのかは、その家ごとに決めているのだ。まさに「交渉文化」とでも言うべき世界である。
ここに書かれている交渉やモノの融通、価値のあるモノを所有するという優越感などは、古代世界でいう「威信財」の概念にも通じている気がした。
モンゴル遊牧民の世界では、誰が裕福で誰が貧しいという貧富の差はあまりなく、似たような構成の世帯感でモノのやり取りをしているが、もしそこに、特別な技術や物流を持つ世帯が現れたらどうなるだろうか、と思うのだ。