ヒッタイトの言葉4種と範囲・内容の覚書き

のちにヒッタイト帝国の版図となるアナトリアの紀元前2000年頃、帝国の成立前の時代には、4種類の民族言語集団がいたとされる。
「民族言語集団」とは聞き慣れない言葉だが、要は血縁とか文化とかでの区分ではなく、使っている言語の「xx系統」によって集団を分類したもの、と思えばいいかと思う。

内訳は以下。

 ①アッシリア人(アッシリア語)
 ②ハッティ人(ハッティ語)
 ③フリ人(フリ語)
 ④ヒッタイト人・ルウィ人・パラー人(インド=ヨーロッパ語族の各方言)

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②のハッティ人はアナトリアの先住民族。なのでハッティ語はアナトリアでは最も古くから使われていた言語の一つとなる。
ハッティ語はのちにヒッタイト人の言葉に上書きされて日常言語としては消えてしまうが、儀礼には使われ続けた。メソポタミアにおけるシュメール語と同じ扱いと理解するとわかりやすい。


④のインド・ヨーロッパ語族のうち、ヒッタイト人はのちに帝国を築く民族。
ヒッタイト人の使っていた言葉はヒッタイト語とも言われるが、自分たちでは「ネシャ語」と呼んでいた。
ルウィ人のルウィ語は主にアナトリア西部、パラー語は北部で用いられた方言で、ルウィ語は象形文ルウィ語として構成まで生き残るが、パラー語はかなり早い段階で使われなくなってしまった。


①のアッシリア語は、アッシリア商人の活動が無くなるとアナトリアでは使われなくなるが、アッシリア人の居住地では使われ続ける。


③のフリ人はアッシリア人と同じく元々はメソポタミア北部を中心に活動している民族なので、そのあたりで主に出現する。


ヒッタイト帝国の遺物として出てくる言語は上記が主なもので、だいたいネシャ語かルウィ語だが、時代や場所によって他の言語も混じっているので、まず出土した文書が何語なのか特定して分類しないといけないらしい。言語集団・多文化の交わる土地ならではの苦労だと思う。