ヒッタイトを襲った「エジプトの呪い」の正体。紀元前14世紀の疫病の正体と、当時の検疫事情について

古代エジプトとヒッタイト、といえば、ラメセス2世の時代に起きたカデシュの戦い、そしてその後に結ばれた停戦協定あたりの下りが有名だが、2つの大国の関わりの歴史は、それより百年前には既に始まっている。
で、ラメセス2世に先立つ第18王朝あたりの記録を調べてみると、ざっくりと以下の概要のような歴史がある。

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ツタンカーメンの死後、王妃アンケセナーメンはヒッタイト王シュッピルリウマ1世に対し「私の夫は死にました、あなたの息子を私の夫として送って下さい」という手紙を書く。シュッピルリウマ1世は息子ザンナンザをエジプトへ送り出す。しかし王子は道中で暗殺されてしまう。
怒ったシュッピルリウマ1世はエジプト同盟国だったシリア・パレスティナ近辺へ派兵する。
しかしその時に疫病を持ち帰ってしまい、その後、20年に渡りヒッタイトはこの病に苦しめられることになる。
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この病が何だったのか、ということと、なんで同時期のエジプトは病が起きてた記録がないの、というのが気になったので、ちょっと調べてみた。
結論から言うと、この「ヒッタイトのペスト」とも呼ばれている病気の正体は、現在の研究結果だと野兎病の可能性がありそう、らしい。

The 'Hittite plague', an epidemic of tularemia and the first record of biological warfare
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/17499936/

※研究論文

Were 'cursed' rams the first biological weapons?
https://www.newscientist.com/article/dn12960-were-cursed-rams-the-first-biological-weapons/

※この論文と関連する記事、感染者のややグロい写真あり

Hittite plague
https://en.wikipedia.org/wiki/Hittite_plague

※Wikipediaの概要

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野兎病ってなんだよ? というのは、以下の日本語ページを参照。
野兎が主要な宿主となる病気で、日本でも発症例がある。戦後の食糧難の時代に野兎狩りが多く行われたことから、その時期の感染例は多いのだとか。

https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/522-tularemia.html
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感染力が非常に高く、目などから入り込むのはもちろん、傷ついていない健康な皮膚からも入り込んで高熱を引き起こす、というのは、なかなかに怖い。現代では対処法が出来ているものの、古代世界では死亡率15%ほどだろう、とも。

また、エジプト側があまり被害を出していない理由としては、エジプト側はこの病の発生を先行して書簡で受け取ってて適切な検疫が出来ていたからのようだ。

・最初の発生はフェニキア人の都市Simyra(Sumur)で、アクエンアテン宛に疫病の発生が報告されている
 →アマルナ文書がソース

・エジプト側は「輸送にロバ(=病気を媒介する動物)を使うな」というお達しを出して流行を免れる

・情報のないヒッタイトはSimyra付近のエジプト同盟都市を攻めて罹患

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ヒッタイト側の被害は甚大で、シュッピルリウマ1世自身ものちにこの病で命を落とす。
また、息子のアルヌワンダ2世の死因も同じとされている。ヒッタイトの疫病流行地域では、約20年のうちに15-20%の人口が失われた、とする試算もあり、「エジプトの呪い」扱いされる気持ちもまぁ分からんでもない。

あと面白いのは、ヒッタイトが弱体化したのを見計らって攻め込もうとしたアルザワも、この病の流行に巻き込まれて攻め入ることが出来なかった、という話だ。
これを、ヒッタイト側が意図的に病に罹患した雄羊をアルザワに送り込んだせいだとし、「疫病が兵器として使われた史上初の例」と呼ぶ向きもあるようだが、実際にそうだったかどうかは不明である。

というかアルザワはヒッタイトに隣接する地域なので、たまたまその時期に疫病が入り込んできただけなのでは…? という気がしなくもない。

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エジプトは、地図を見れば分かるのだが、シリア方面からの陸路の幅が狭い。シナイ半島を越えて今のスエズ運河の入り口あたりを通過する街道以外に陸路でエジプトに入る方法がない。なので、ここで検疫を設けて「家畜の持ち込みNGな」ってすれば疫病の侵入は防げた可能性が高い。

だがヒッタイトやアルザワは、シリア方面から国内に入ってくることの出来るルートが複数あり、陸路の国境線も長い。ぜんぶ検疫するのは難しかったと思う。迷い羊とか迷いロバとかが誰もいないとこから国境越えてくる可能性もあっただろうし。



ヒッタイトを襲った「エジプトの呪い」の正体は、こうして、一定の決着を見たのであった。
野生動物はやっぱ、いろんな病気持ってるから接触はリスキーですね。治療法の確立されてる現代で良かったぜ…