短命に終わった「バルカンのケルト人王国」テュリスについてちょっとまとめてみた

テュリス(Tylis/Τύλις)は、ヨーロッパ中央部からバルカン半島まで進出してきて一時期そこに住み着いていたケルト人の王国である。
アレクサンドロス亡き後の王国分裂後、マケドニアはリュシマコスが支配していたが、そのリュシマコスが紀元前281年に戦死。出来た権力の隙をついて進出してきた。

なお、ケルト人自体はそれ以前からちょいちょい移住はしてきていたらしく、マケドニア勢力が弱まったのを景気に攻勢に出たということらしい。
ギリシャの都市デルポイを攻めたのが紀元前279年。ただしこれは撃退されている。
※パウサニアスの「ギリシャ案内記」
※この時の勢力は20万だったらしいが、ちょっと多すぎやしねえか…とも思う。

ギリシャの都市とマケドニアの攻略に失敗したあと、彼らは”中間”というべき場所でテュリスを中心に王国を築いた。
初代国王はコモントリオス。テュリスの位置については実はまだ考古学的に確定はしていないようなのだが、ケルト人が再利用していたと考えられているマル・テペ古墳を中心にした地域が仮で提唱されている。

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ただしのこの場所はトラキア人の領域で、なかなか長持ちは難しかったらしい。
紀元前212年、トラキアの諸部族と衝突して王国は離散してしまった。少数のケルト人はトラキアに残っていたようだが、残した痕跡はそれほど多くはない。

なお、テュリスを築いた部族以外のケルト人はアナトリアに定住し、のちにガラティア人と呼ばれる集団となる。
移住前はガリア人だったものが名前変わってるけど中身(というか系統)はいっしょ。


テュリス王国はほんの60年ほどしかもたなかった短命の王国だが、その後ローマに吸収されて消えていく「黒海沿岸のケルト人」の存在を語る前に、そもそもケルト人がどうやってそこにたどり着いたのか、の話は必要だと思う。

なお、この時にギリシャ進出しいたケルト人の一部はエジプトにも到達している。

エジプトに来ていたケルト人? ファイユームの盾に秘められたドラマ
https://55096962.seesaa.net/article/201301article_21.html

前からケルト人って長距離の旅しまくりだなぁと思ってたけど、改めて、ケルト人ってゲルマン人と同じで「移住の民」だと思うんだよね。
陸路使うか海路使うかの違いだけで…。