「アクエンアテンの宰相」アペレルと一神教の歴史
ちょっと前にやってた、神話を元ネタにしたゲーム・メガテンVに「アブディエル」というキャラが出てきた。天使というポジションで、エル(神)の名が入っているから実在の天使でいるのかなーと思ってちょっと調べてみたのだが、どうやら天使ではなく人物名で、‘Abdi-el = エル神のしもべ という意味になるらしい。
で、セム系の人物名として、古代エジプトの王・アクエンアテンに仕えた宰相の名前でもある、というのを見て、「??!」ってなったので、ちょっと調べてみた。
●エジプト本に出てくる名前は「アペレル(Aper-el's)」または「アペリア(Aperia)」
この名前は墓に刻まれた名前だが、エジプト語風に訛った綴りになっている。
これは、ヒエログリフにない音は書けないためで、たとえば、ずっとあとの時代でクレオパトラの名前を書くときも、「クルゥ・パ・ドラ」のような感じで苦労して刻んでいる。
で、そこから復元された本来の名前が、「おそらくアブディエルだっただろう」となっているのだ。
Abdi-el → Aper-el という変化だ。
この名前は、シリア・カナアン系外国人のものと思われ、本人が外国人、または両親や先祖が外来系などのルーツを持っていた可能性が高い。
●墓の発見
1987-97年、と比較的最近にフランス隊によって発見された。
墓自体は古代に盗掘を受けており、かつてミイラだったものは骨になってしまっていた。しかも古代に火災にも遭っており(盗掘人の仕業かどうかは不明)、多くの遺物が焦げていたらしい。しかしそれでも、いくつかの興味深い品が見つかっており、棺の蓋は、当人の面影を感じさせる出来栄えとなっている。
参考: Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Aperel
●異例の称号ラッシュ
面白いのは、この人物が墓に刻んだ肩書の一覧だ。外来系の「宰相」、というだけではなく「神の父」や「王の子らの養育者の監督官」、さらに「戦車隊の隊長」「王の使者」といった遠征に関わってそうな称号も持っている。
たとえば「神の父」は、のちにツタンカーメンの後をついでファラオとなるアイも持っていたが、宰相と兼任でこの称号を持っていた高官は同時代に存在しない。つまり、それだけ重用された人物と考えられる。
また彼はアクエンアテンの父であるアメンホテプ3世の時代から仕えていたようで、アクエンアテンの時代だけに突然重用されたわけではなさそうだ。もしかしたら、アクエンアテンの幼少期から近くにいたのかもしれない。
●一神教との関わり
よく知られているとおり、「エル」は旧約聖書の神の別名でもある。実際には多神教世界で神を指す汎用的な単語でもあったが、のちに「全知全能の神」に変化する前の、”前身"と言ってもいい概念だ。
アクエンアテンのはじめた、アテン一神教という宗教改革は、世界で最初の一神教とも言われる。エルの名を持つ人物が側仕えをといていたというので、もしかしたら一神教の概念をアクエンアテンに吹き込んだのはこの人物なのでは、などと推測する向きもあるようだ。
しかし私としては、その考えには首をひねらざるをえない。
何故かというと、アクエンアテンの時代、カナアンのあたりはまだ、考古学的には「多神教世界」だからだ。多数の神への信仰の形跡が出てくる。時代の流れからして、逆に、エジプトから一神教の思想が輸出されたとするほうが有り得そうな話だ。
興味深いことに、アペレルは「アテンの最初のしもべ」という称号も得ている。
これは、アクエンアテンの荒唐無稽な思想に感化され、彼自身が一神教の推進者となっていったことに関連している可能性も示唆している。
彼がアクエンアテンの治世のいつ頃亡くなったのかの情報が無いのだが、少なくとも治世の初期にはまだ生存していたはずだ。だとしたら、アケトアテンへの遷都に関わっていた可能性も出てくる。
アクエンアテンの宗教改革が、かなりの無茶をやらかしたていながらなぜ実行されたのか。
それはもしかしたら、宰相自身がアテンの信奉者となっており、積極的に協力したから、…だったのかもしれない。
******
なんかゲームのネタ探していたはずなのに、思わぬところでエジプトに結びついてしまったこの一件。
断片的な情報しかなく、墓でしか知られていない人物だが、調べてみると中々面白いプロフィールの持ち主で、想像力をかきたてられることもあった。
尚、参考となる記事としては以下を紹介しておきたい。調べたことは、だいたいここにも書かれている。
Pharaoh’s Man, ‘Abdiel: The Vizier with a Semitic Name
https://www.baslibrary.org/biblical-archaeology-review/44/4/2
で、セム系の人物名として、古代エジプトの王・アクエンアテンに仕えた宰相の名前でもある、というのを見て、「??!」ってなったので、ちょっと調べてみた。
●エジプト本に出てくる名前は「アペレル(Aper-el's)」または「アペリア(Aperia)」
この名前は墓に刻まれた名前だが、エジプト語風に訛った綴りになっている。
これは、ヒエログリフにない音は書けないためで、たとえば、ずっとあとの時代でクレオパトラの名前を書くときも、「クルゥ・パ・ドラ」のような感じで苦労して刻んでいる。
で、そこから復元された本来の名前が、「おそらくアブディエルだっただろう」となっているのだ。
Abdi-el → Aper-el という変化だ。
この名前は、シリア・カナアン系外国人のものと思われ、本人が外国人、または両親や先祖が外来系などのルーツを持っていた可能性が高い。
●墓の発見
1987-97年、と比較的最近にフランス隊によって発見された。
墓自体は古代に盗掘を受けており、かつてミイラだったものは骨になってしまっていた。しかも古代に火災にも遭っており(盗掘人の仕業かどうかは不明)、多くの遺物が焦げていたらしい。しかしそれでも、いくつかの興味深い品が見つかっており、棺の蓋は、当人の面影を感じさせる出来栄えとなっている。
参考: Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Aperel
●異例の称号ラッシュ
面白いのは、この人物が墓に刻んだ肩書の一覧だ。外来系の「宰相」、というだけではなく「神の父」や「王の子らの養育者の監督官」、さらに「戦車隊の隊長」「王の使者」といった遠征に関わってそうな称号も持っている。
たとえば「神の父」は、のちにツタンカーメンの後をついでファラオとなるアイも持っていたが、宰相と兼任でこの称号を持っていた高官は同時代に存在しない。つまり、それだけ重用された人物と考えられる。
また彼はアクエンアテンの父であるアメンホテプ3世の時代から仕えていたようで、アクエンアテンの時代だけに突然重用されたわけではなさそうだ。もしかしたら、アクエンアテンの幼少期から近くにいたのかもしれない。
●一神教との関わり
よく知られているとおり、「エル」は旧約聖書の神の別名でもある。実際には多神教世界で神を指す汎用的な単語でもあったが、のちに「全知全能の神」に変化する前の、”前身"と言ってもいい概念だ。
アクエンアテンのはじめた、アテン一神教という宗教改革は、世界で最初の一神教とも言われる。エルの名を持つ人物が側仕えをといていたというので、もしかしたら一神教の概念をアクエンアテンに吹き込んだのはこの人物なのでは、などと推測する向きもあるようだ。
しかし私としては、その考えには首をひねらざるをえない。
何故かというと、アクエンアテンの時代、カナアンのあたりはまだ、考古学的には「多神教世界」だからだ。多数の神への信仰の形跡が出てくる。時代の流れからして、逆に、エジプトから一神教の思想が輸出されたとするほうが有り得そうな話だ。
興味深いことに、アペレルは「アテンの最初のしもべ」という称号も得ている。
これは、アクエンアテンの荒唐無稽な思想に感化され、彼自身が一神教の推進者となっていったことに関連している可能性も示唆している。
彼がアクエンアテンの治世のいつ頃亡くなったのかの情報が無いのだが、少なくとも治世の初期にはまだ生存していたはずだ。だとしたら、アケトアテンへの遷都に関わっていた可能性も出てくる。
アクエンアテンの宗教改革が、かなりの無茶をやらかしたていながらなぜ実行されたのか。
それはもしかしたら、宰相自身がアテンの信奉者となっており、積極的に協力したから、…だったのかもしれない。
******
なんかゲームのネタ探していたはずなのに、思わぬところでエジプトに結びついてしまったこの一件。
断片的な情報しかなく、墓でしか知られていない人物だが、調べてみると中々面白いプロフィールの持ち主で、想像力をかきたてられることもあった。
尚、参考となる記事としては以下を紹介しておきたい。調べたことは、だいたいここにも書かれている。
Pharaoh’s Man, ‘Abdiel: The Vizier with a Semitic Name
https://www.baslibrary.org/biblical-archaeology-review/44/4/2