文化財の「返還」要求と文化の公共性について
久しぶりにロゼッタ・ストーンの返還要求なるニュースを見た。
「久しぶり」と言うからには定期的に出てくるわけだが、まぁ、うん。毎年誰かが主張してるような内容なんだ。
ちなみにエジプトさんが「返還」を主張するものは、ロゼッタ・ストーン(イギリス)、ネフェルティティの胸像(ドイツ)、デンデラ神殿の天井画(フランス)が定番の3点セットで、かつての西欧列強に奪われたもの、という位置づけにもなっている。
エジプトの考古学者、ロゼッタストーン返還を大英博物館に改めて要請
https://jp.reuters.com/video/watch/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E3%81%AE%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E8%80%85-%E3%83%AD%E3%82%BC%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E8%BF%94%E9%82%84%E3%82%92%E5%A4%A7%E8%8B%B1%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E3%81%AB%E6%94%B9%E3%82%81%E3%81%A6%E8%A6%81%E8%AB%8B%E5%AD%97%E5%B9%95%E3%83%BB6%E6%97%A5-id752817936?chan=8ne30pqz
で、これ自体はいつものこと、なのだが、SNSを中心に「大英博物館は盗品博物館だ」のような言説が一部飛び交っており、「盗品なのだから返すべき」と決めつけている人が散見された。これは、ちょっとあまりにも無知な物の見方だなと思った。
一方向から、しかも狭い範囲の物事しか見ていないから、そういう単純な見方に疑問を抱かないのである。
もうちょっとよく調べればいいのだが。
ロゼッタ・ストーンの場合、最初に見つけたのはフランスである。
ご近所の人が、石材として塀をつくるために積み上げていた中に埋もれていた。それを、遠征隊にいた知見のある人がたまたま見つけ、価値あるものとして拾い上げたことがヒエログリフ解読のきっかけとなった。
地元の人は価値に気づかず、歴史の闇に消えるはずだったところを拾い上げてもらったのである。
まず、ここはエジプトのみならず、全世界のエジプトファンや歴史マニアも全員、「ありがとう」から始めるべきだろう。
しかもヒエログリフ解読がスムーズに進んだのは、その後、フランスとイギリスの学者がプライドをかけて解読を競い合ったからでもある。
フランスさんはロゼッタ・ストーン争奪戦に負け、石は結局イギリスへと渡る。しかしどうしても最初の発見者として解読はしたい。写しを元に学者たちが頑張り、ついに、「古代エジプト語の解読者」という名誉の称号はフランスの学者シャンポリオンが得ることとなる。
列強が対立しあったからこその進歩であった。
これは、石がエジプトにあるままでは起こり得なかったかもしれない出来事なのだ。
そしてエジプトは、長らく、古い博物館しか持たないままだった。
ブーラーク広場にあるエジプト博物館は設備が古く、展示品はなべてコンディションが悪かった。飾られている像がホコリを被っていたり、棺に落書きをされていたりしている惨状を現地で見た人もいるだろう。
またコレクションの管理が適当で、収蔵品の台帳すら整備されていない状態が近年まで続いていた。
そこに飾られていたら、ロゼッタ・ストーンは今のようなよい状態を保てていなかった可能性もある。
今でこそ、日本の援助で新しい立派な博物館が点てられようとしているものの、やはりここでも「今まで保管してくれてありがとう」は言うべきなのではないか。
その上で、そもそも文化遺産とは誰のものであるのかという問題になる。
かつてエジプトで発見されたものは、全てエジプトの固有財産と見なすべきなのか?
一つには、古代と現在の連続性をどう見るのか、という問題がある。
ほとんど民族の入れ替わりのない日本人は意識しないことだが、古代のエジプト人と現在のエジプト人の間には、直接的な繋がりが薄い。それなりに血縁関係はあるとしても、古代から現在までに様々な民族が流入し、混血が進んでいる。さらには、宗教や文化は全く別ものになってしまっている。
「我らの祖先」としての古代エジプトの概念すら、近代に生み出された政治的なものである。(少し前まではイスラームが主要なアイデンティティだった)
その状態で、果たして現代のエジプト人に遺産の相続人たる権利はあるのかどうか。
これは、たとえばトルコのように、古代とは民族も文化も入れ替わってしまった国においては、より複雑となる。
何しろトルコ人は古代のアナトリアには存在していなかった。ヒッタイトは現在のトルコの領域に栄えた帝国だが、現代のトルコ人と古代のヒッタイト人の間に直接的な関係はほぼ無い。
文化財は人類全体の遺産である、という概念ならまだ分かる。
しかし、現代の政体に紐づけて、どこそこの国のもの、という概念は、不完全だし危険な考え方だと思う。
二つ目には、文化財の所有権を特定の政体と結びつけると、政治に左右されてしまうという問題がある。
古代エジプトの範囲と現代エジプトの範囲がだいたい一致しているエジプトはまだいいほうだ。
インダス文明のように、文化圏の範囲が現在のパキスタンとインドにまたがっている、といったケースだとどうなるか。パキスタンで発見されたものだからとパキスタンが所有権を主張し、インドで発見されたものだからとインドが所有権を主張する。同じインダス文明の遺産として、本来なら横串的に研究されるべきものが、それも出来ない。
そもそもパキスタンもインドも、別にインダス文明の末裔ではない。かつてインダス文明の栄えた地域が国の中にあった、という程度の関係性でしかない。
それで権利を主張されるのも奇妙に思われる。
エジプトが古代エジプトの末裔を主張し始めたのは近年のことで、直接関係しているかどうかかなり微妙なのは先に述べたとおりで、結局はエジプトの主張も「何の権利があるんだっけ…?」という感じなのである。
■真の問題点: 研究結果の独占
というわけで、エジプト政府やエジプトの学者がロゼッタ・ストーンの返還要求をすること自体には、正当な権利はないと自分は思っている。
また、研究してくれたこと、保管してくれたことには素直に感謝するべきで、そのお陰で古代エジプトの歴史が明らかになったことは前提として認識しておくべきだと考えている。
真の問題は、ロゼッタ・ストーンほか、古代の貴重な遺物が外国にあることではなく、それを用いて研究された内容が、現地に十分に還元されなかったことにある。
イギリスやフランスなど外国隊は長らく、エジプトで好き放題に発掘して、気に入ったものを持ち帰り、自国で研究して結果を発表して、エジプトには何も還元しなかった。遺物と研究成果の搾取だけしてきたのである。
だから現地人は、よそ者の「お偉方」にお給料もらって発掘の手伝いはしていても、出てくる財宝が具体的にどんな意味を持つのか、どんな歴史を秘めているのかよく知らないままだった。単に「高く売れる」という認識で、盗掘に手を染める者が出たのもそうした理由からだ。
エジプト人の考古学者も、半世紀前にはほとんど見かけなかった。エジプト番組に出てくるのはだいたいヨーロッパの学者。国内で考古学の専門知識が十分に学べず、知見を得るために海外留学している人もいる。遺物修復の技術は日本の学者さんが技術支援をして教えているらしい。
有事の際、地元の遺跡・遺物を守れるのは地元の人だけである。それはエジプト革命の時にも、シリアでISが遺跡を破壊していた時にも、アフガンでタリバンが破壊行為を続けていた時にも何度も繰り返し証明されてきた。
地元の人に研究結果を還元し、教育することは遺跡の保護や将来のために必要不可欠なことだったのに、それをないがしろにしてきたこと。
”自分たち"の世界ー先進国しか見ていなかったこと。
それが、大英博物館を含む列強博物館の「真の罪」なのだと思う。
だから、やるべきことは遺物などという目に見えるモノの返還ではなく、そこから得た知見を現地に還元すること。
現地に今あるもの、これから見つかるだろうものをどう守っていくかを考えた、将来性のある支援なのだと思う。
遺物の返還要求はまぁ政治的なパフォーマンスの意味合いもあって定期的にやっているのだと思うんだけど、毎回それに踊らされて上っ面だけの反応してちゃ意味ないですよ。どうせ返還とかしないんで。エジプト側も本気で返還されるとは思ってないんで…。
あとイギリスもフランスも、確かに違法まがいで持ち出されたものを博物館に収蔵してるケースはあるんだけれど、そんな昔のことより最近のやらかしのほうが何倍もマズいと思うんだ。現在進行系で盗掘支援をしてしまっているということなので、これ。
「久しぶり」と言うからには定期的に出てくるわけだが、まぁ、うん。毎年誰かが主張してるような内容なんだ。
ちなみにエジプトさんが「返還」を主張するものは、ロゼッタ・ストーン(イギリス)、ネフェルティティの胸像(ドイツ)、デンデラ神殿の天井画(フランス)が定番の3点セットで、かつての西欧列強に奪われたもの、という位置づけにもなっている。
エジプトの考古学者、ロゼッタストーン返還を大英博物館に改めて要請
https://jp.reuters.com/video/watch/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E3%81%AE%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E8%80%85-%E3%83%AD%E3%82%BC%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E8%BF%94%E9%82%84%E3%82%92%E5%A4%A7%E8%8B%B1%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E3%81%AB%E6%94%B9%E3%82%81%E3%81%A6%E8%A6%81%E8%AB%8B%E5%AD%97%E5%B9%95%E3%83%BB6%E6%97%A5-id752817936?chan=8ne30pqz
で、これ自体はいつものこと、なのだが、SNSを中心に「大英博物館は盗品博物館だ」のような言説が一部飛び交っており、「盗品なのだから返すべき」と決めつけている人が散見された。これは、ちょっとあまりにも無知な物の見方だなと思った。
一方向から、しかも狭い範囲の物事しか見ていないから、そういう単純な見方に疑問を抱かないのである。
もうちょっとよく調べればいいのだが。
ロゼッタ・ストーンの場合、最初に見つけたのはフランスである。
ご近所の人が、石材として塀をつくるために積み上げていた中に埋もれていた。それを、遠征隊にいた知見のある人がたまたま見つけ、価値あるものとして拾い上げたことがヒエログリフ解読のきっかけとなった。
地元の人は価値に気づかず、歴史の闇に消えるはずだったところを拾い上げてもらったのである。
まず、ここはエジプトのみならず、全世界のエジプトファンや歴史マニアも全員、「ありがとう」から始めるべきだろう。
しかもヒエログリフ解読がスムーズに進んだのは、その後、フランスとイギリスの学者がプライドをかけて解読を競い合ったからでもある。
フランスさんはロゼッタ・ストーン争奪戦に負け、石は結局イギリスへと渡る。しかしどうしても最初の発見者として解読はしたい。写しを元に学者たちが頑張り、ついに、「古代エジプト語の解読者」という名誉の称号はフランスの学者シャンポリオンが得ることとなる。
列強が対立しあったからこその進歩であった。
これは、石がエジプトにあるままでは起こり得なかったかもしれない出来事なのだ。
そしてエジプトは、長らく、古い博物館しか持たないままだった。
ブーラーク広場にあるエジプト博物館は設備が古く、展示品はなべてコンディションが悪かった。飾られている像がホコリを被っていたり、棺に落書きをされていたりしている惨状を現地で見た人もいるだろう。
またコレクションの管理が適当で、収蔵品の台帳すら整備されていない状態が近年まで続いていた。
そこに飾られていたら、ロゼッタ・ストーンは今のようなよい状態を保てていなかった可能性もある。
今でこそ、日本の援助で新しい立派な博物館が点てられようとしているものの、やはりここでも「今まで保管してくれてありがとう」は言うべきなのではないか。
その上で、そもそも文化遺産とは誰のものであるのかという問題になる。
かつてエジプトで発見されたものは、全てエジプトの固有財産と見なすべきなのか?
一つには、古代と現在の連続性をどう見るのか、という問題がある。
ほとんど民族の入れ替わりのない日本人は意識しないことだが、古代のエジプト人と現在のエジプト人の間には、直接的な繋がりが薄い。それなりに血縁関係はあるとしても、古代から現在までに様々な民族が流入し、混血が進んでいる。さらには、宗教や文化は全く別ものになってしまっている。
「我らの祖先」としての古代エジプトの概念すら、近代に生み出された政治的なものである。(少し前まではイスラームが主要なアイデンティティだった)
その状態で、果たして現代のエジプト人に遺産の相続人たる権利はあるのかどうか。
これは、たとえばトルコのように、古代とは民族も文化も入れ替わってしまった国においては、より複雑となる。
何しろトルコ人は古代のアナトリアには存在していなかった。ヒッタイトは現在のトルコの領域に栄えた帝国だが、現代のトルコ人と古代のヒッタイト人の間に直接的な関係はほぼ無い。
文化財は人類全体の遺産である、という概念ならまだ分かる。
しかし、現代の政体に紐づけて、どこそこの国のもの、という概念は、不完全だし危険な考え方だと思う。
二つ目には、文化財の所有権を特定の政体と結びつけると、政治に左右されてしまうという問題がある。
古代エジプトの範囲と現代エジプトの範囲がだいたい一致しているエジプトはまだいいほうだ。
インダス文明のように、文化圏の範囲が現在のパキスタンとインドにまたがっている、といったケースだとどうなるか。パキスタンで発見されたものだからとパキスタンが所有権を主張し、インドで発見されたものだからとインドが所有権を主張する。同じインダス文明の遺産として、本来なら横串的に研究されるべきものが、それも出来ない。
そもそもパキスタンもインドも、別にインダス文明の末裔ではない。かつてインダス文明の栄えた地域が国の中にあった、という程度の関係性でしかない。
それで権利を主張されるのも奇妙に思われる。
エジプトが古代エジプトの末裔を主張し始めたのは近年のことで、直接関係しているかどうかかなり微妙なのは先に述べたとおりで、結局はエジプトの主張も「何の権利があるんだっけ…?」という感じなのである。
■真の問題点: 研究結果の独占
というわけで、エジプト政府やエジプトの学者がロゼッタ・ストーンの返還要求をすること自体には、正当な権利はないと自分は思っている。
また、研究してくれたこと、保管してくれたことには素直に感謝するべきで、そのお陰で古代エジプトの歴史が明らかになったことは前提として認識しておくべきだと考えている。
真の問題は、ロゼッタ・ストーンほか、古代の貴重な遺物が外国にあることではなく、それを用いて研究された内容が、現地に十分に還元されなかったことにある。
イギリスやフランスなど外国隊は長らく、エジプトで好き放題に発掘して、気に入ったものを持ち帰り、自国で研究して結果を発表して、エジプトには何も還元しなかった。遺物と研究成果の搾取だけしてきたのである。
だから現地人は、よそ者の「お偉方」にお給料もらって発掘の手伝いはしていても、出てくる財宝が具体的にどんな意味を持つのか、どんな歴史を秘めているのかよく知らないままだった。単に「高く売れる」という認識で、盗掘に手を染める者が出たのもそうした理由からだ。
エジプト人の考古学者も、半世紀前にはほとんど見かけなかった。エジプト番組に出てくるのはだいたいヨーロッパの学者。国内で考古学の専門知識が十分に学べず、知見を得るために海外留学している人もいる。遺物修復の技術は日本の学者さんが技術支援をして教えているらしい。
有事の際、地元の遺跡・遺物を守れるのは地元の人だけである。それはエジプト革命の時にも、シリアでISが遺跡を破壊していた時にも、アフガンでタリバンが破壊行為を続けていた時にも何度も繰り返し証明されてきた。
地元の人に研究結果を還元し、教育することは遺跡の保護や将来のために必要不可欠なことだったのに、それをないがしろにしてきたこと。
”自分たち"の世界ー先進国しか見ていなかったこと。
それが、大英博物館を含む列強博物館の「真の罪」なのだと思う。
だから、やるべきことは遺物などという目に見えるモノの返還ではなく、そこから得た知見を現地に還元すること。
現地に今あるもの、これから見つかるだろうものをどう守っていくかを考えた、将来性のある支援なのだと思う。
遺物の返還要求はまぁ政治的なパフォーマンスの意味合いもあって定期的にやっているのだと思うんだけど、毎回それに踊らされて上っ面だけの反応してちゃ意味ないですよ。どうせ返還とかしないんで。エジプト側も本気で返還されるとは思ってないんで…。
あとイギリスもフランスも、確かに違法まがいで持ち出されたものを博物館に収蔵してるケースはあるんだけれど、そんな昔のことより最近のやらかしのほうが何倍もマズいと思うんだ。現在進行系で盗掘支援をしてしまっているということなので、これ。