古代エジプト・第三中間期の墓~タニス王墓の謎

タニス王墓とは、ナイル下流のデルタ地帯にあるタニスに存在する第三中間期の王墓群のこと。
「銀の棺のファラオ」で知られるプスセンネス1世の墓もここにある。第21王朝~第22王朝の王と将軍、王子や王妃が埋葬された地下墳墓である。ほぼ未盗掘で発見されたわりに知名度が低い、不憫な遺跡でもある。

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参考:第三中間期の王リスト
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/index-middle3.htm

発見は1939年、フランス隊が発掘している。
ナイルデルタという人多いところながら、この遺跡が未盗掘だったのは、墓の上部構造が完全に破壊されて土に埋もれ、さらに後世にプトレマイオス朝の遺構が作られていたからなのだった。そんなとこに別の時代の墓があるとは誰も気づいていなかった。

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分かりやすい遺跡にしなかったからこそ、王族たちはゆっくり永眠出来たわけなのだが、ひとたび発見されてからはそうもいかなかった。
大急ぎで発掘されたために、記録や保存は不完全で、失われてしまった情報もある。被葬者不明となっている墓はおそらく、第21-22王朝の王で、ここに埋葬されたことが確認されていないどれかの王に関連していたのだろうが、それももう分からない。

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※墓と被葬者のリストなどはここ

その中で気になっていたのは、この墓狭すぎない??ということだ。

エジブト学者で、このへん専門にしてる人が資料を上げていたので見てみたのだが。。。
埋葬室に棺ギッチギチである。

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たぶんこれ棺の長さが部屋に合わなかったんだろうな…って感じの斜めにむりくり突っ込まれた部屋もあったり。

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一応、壁画とかはちゃんと…あるらしい…んだけど。
とにかく狭い。ツタンカーメン墓も王墓にしては狭いって言われていたけど、それでもこれに比べたらまだ広い。

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前室とか通路という概念がなく、とにかく部屋に棺と副葬品を突っ込むことだけ考えて作られた省スペース墓なのだ。
これが第三中間期、エジプトの国力がかつてよりも衰え、統一王朝を成立させることも難しくなっていた時代の王墓の形態だった。

ちなみに第21-22王朝は外来系の血を引く王たちの王朝とされている。名前からしてリビア系だっただろうとも言われている。
そんな外来の王たちであっても、埋葬の形式はエジプトの伝統を採用していたことは実に興味深い。彼らの棺や埋葬室を見れば、誰でもすぐに「古代エジプト」の遺跡だと認識できるだろう。確立された様式のアイデンティティの強さを感じる。

埋葬にあたり、彼らが採用したものが何で、採用しなかったものが何なのか、という部分が、何をもって”古代エジプト様式”とされるのかに関わっているような気がしている。