紅海沿岸ベレニケの町/ローマ時代の鷹神の神殿と他民族の信仰
エジプトの紅海沿岸にあり、かつてベレニケと呼ばれていた港町での発掘調査が続いている。
その報告がなかなかおもしろい内容だったのでメモっておこうと思う。なお、時代的に3-5世紀あたりなので、「古代」エジプトの範疇からは外れる。
これは、ナイル流域での伝統的なエジプト宗教が廃れようとしていた時代に、辺境の地でカスタマイズされてエジプト人ではない人々に信仰されながら生き残っていた神話伝承の世界である。
A Falcon Shrine at the Port of Berenike (Red Sea Coast, Egypt)
https://www.journals.uchicago.edu/doi/10.1086/720806
場所はココ、ただ他の資料のベレニケの位置より少し南のほうに記載されている気がする。
今回発掘されている神殿はだいたい3-5世紀あたりだろうとのことで、ローマ本国ではキリスト教が国教となっている時代にもかかっている。
イシスやホルスといったおなじみの神々が登場するが、碑文がギリシャ語になっていたり、発掘されている彫像がヌビアのメロエ文化(クシュ王国)の様式に近かったりと、ナイル上流地域との繋がりを思わせる。
※クシュ王国=
エジプト文化を取り入れてヌビアに建国された王国、エジプト側で言うと第25王朝のファラオたちがここ出身。メロエに遷都したのち、紀元後4世紀頃までには衰退し消滅。エジプトを真似て王墓としてピラミッドを作ったたため、大量のピラミッドが存在する。
今回発掘された神殿では、明確に、ブレンミュアエ族の王がイシスとセラピスの神殿に捧げ物をした記録があるという。
プレンミュアエはイシス信仰に傾倒しており、フィラエ島のイシス神殿にも参詣しているので、なるほどここでつながるのかーという感じ。
あと面白いのは犠牲獣として鷹の比率が高いこと。
鷹はホルス神やコンス神の聖獣なのでまぁ分からなくもないんだけど、よくこんだけ鷹捕まえてきたな? って感じ。
それと鷹の首を切って捧げていたというのも謎の風習。ナイル流域だと聖獣はミイラにするのが一般的なので、ここで文化が変わっている感じがする。
コンス神のレリーフが出土していること、ローマ時代のベレニケはナイル流域のコプトスと交易路で繋がっていたことから、神殿の建立にはコプトスの神官が関与したのでは、と推測されている。
また、碑文にギリシャ語で、
“It is improper to boil a head in here.”
鷹の首と思われるものを碑文のあった祠で煮るな、という謎の警告が書かれていることから、切り落とした頭に対する何らかの信仰があったのでは。という話も出てきていた。煮るためには鍋とか炉とか必要だと思うので、祠の中で使われたらそりゃ困るだろうなっていうのはあるのだが、そもそも何で「煮る」必要があったのかは謎である。
羽根をむしりやすくするために煮ていたのか、はたまた、体を捧げ物としたあと頭の部分は自分で食べて願掛けでもしていたのか。
少なくとも、禁止の看板がたてられていたからには、やってた人がいたのだろう。…ナイル流域の神殿のほうでは見たことのない奇妙な警告だが。
冒頭にも書いたが、この神殿が機能していた時代は、一般的には「古代エジプト」の範疇には入れられていない。また地域的にも紅海沿岸でナイル川沿いではないため、地理的にも「古代エジプト」と認識されないことがある。
しかし遺物の基本デザインや、そこに込められた信仰のエッセンスや背景となる神話は、間違いなく古代エジプトからの流れをくんでいる。
ローマに支配されたからといって、3000年の伝統がいきなり消えたり、全く別のものに変わってしまうわけでもない。それは当たり前といえば当たり前の話。そしてエジプト宗教は、「エジプト人」ではない別の民族によって信仰されることもあった。
今回はヌビアだが、キプロス島のエジプト宗教や、東地中海沿岸のシドンなどの都市でのエジプト美術の使われ方も独特のものがある。
それらの伝統は、いずれ新興のキリスト教に吸収され、上書きされていってしまうのだが、もしそれが無ければどのように変化していただろう、というのは、想像してみると面白い。
*****************************************
●ブレンミュアエ族の勢力圏の図は以下を参照
エジプトより上流地域のキリスト教圏にある「聖母マリア」伝説、もしかして一部はイシスかもしれない。
https://55096962.seesaa.net/article/202109article_16.html
●ベレニケ港付近でローマ時代に採掘されていたエメラルドの情報はこちら
エジプトのエメラルド鉱山と砂漠の遊牧民/ローマはいつ鉱山から撤退したか
https://55096962.seesaa.net/article/202203article_5.html
●ベレニケの発掘に関わるこれまでの記事は以下
古代エジプトが輸入する戦象を警護していた? 紅海/ベレニケ港の近くで砦が発見される
https://55096962.seesaa.net/article/201901article_15.html
もしかして: 貿易港ベレニケ、紀元前3世紀に一時的に放棄されたのは井戸水が枯れたからでは説
https://55096962.seesaa.net/article/202103article_25.html
→これらは紀元前300年頃の話
紅海沿岸の古代の貿易港ベレニケ、インド交易による動物輸入の証拠が見つかる
https://55096962.seesaa.net/article/202009article_5.html
→これは紀元前後の話
ローマ支配時代のエジプト沿岸の街ベレニケと古代のペット事情/なぜ大量の猫がそこで飼われていたのか
https://55096962.seesaa.net/article/202103article_10.html
→これは紀元後1-2世紀の話
その報告がなかなかおもしろい内容だったのでメモっておこうと思う。なお、時代的に3-5世紀あたりなので、「古代」エジプトの範疇からは外れる。
これは、ナイル流域での伝統的なエジプト宗教が廃れようとしていた時代に、辺境の地でカスタマイズされてエジプト人ではない人々に信仰されながら生き残っていた神話伝承の世界である。
A Falcon Shrine at the Port of Berenike (Red Sea Coast, Egypt)
https://www.journals.uchicago.edu/doi/10.1086/720806
場所はココ、ただ他の資料のベレニケの位置より少し南のほうに記載されている気がする。
今回発掘されている神殿はだいたい3-5世紀あたりだろうとのことで、ローマ本国ではキリスト教が国教となっている時代にもかかっている。
イシスやホルスといったおなじみの神々が登場するが、碑文がギリシャ語になっていたり、発掘されている彫像がヌビアのメロエ文化(クシュ王国)の様式に近かったりと、ナイル上流地域との繋がりを思わせる。
※クシュ王国=
エジプト文化を取り入れてヌビアに建国された王国、エジプト側で言うと第25王朝のファラオたちがここ出身。メロエに遷都したのち、紀元後4世紀頃までには衰退し消滅。エジプトを真似て王墓としてピラミッドを作ったたため、大量のピラミッドが存在する。
今回発掘された神殿では、明確に、ブレンミュアエ族の王がイシスとセラピスの神殿に捧げ物をした記録があるという。
プレンミュアエはイシス信仰に傾倒しており、フィラエ島のイシス神殿にも参詣しているので、なるほどここでつながるのかーという感じ。
あと面白いのは犠牲獣として鷹の比率が高いこと。
鷹はホルス神やコンス神の聖獣なのでまぁ分からなくもないんだけど、よくこんだけ鷹捕まえてきたな? って感じ。
それと鷹の首を切って捧げていたというのも謎の風習。ナイル流域だと聖獣はミイラにするのが一般的なので、ここで文化が変わっている感じがする。
コンス神のレリーフが出土していること、ローマ時代のベレニケはナイル流域のコプトスと交易路で繋がっていたことから、神殿の建立にはコプトスの神官が関与したのでは、と推測されている。
また、碑文にギリシャ語で、
“It is improper to boil a head in here.”
鷹の首と思われるものを碑文のあった祠で煮るな、という謎の警告が書かれていることから、切り落とした頭に対する何らかの信仰があったのでは。という話も出てきていた。煮るためには鍋とか炉とか必要だと思うので、祠の中で使われたらそりゃ困るだろうなっていうのはあるのだが、そもそも何で「煮る」必要があったのかは謎である。
羽根をむしりやすくするために煮ていたのか、はたまた、体を捧げ物としたあと頭の部分は自分で食べて願掛けでもしていたのか。
少なくとも、禁止の看板がたてられていたからには、やってた人がいたのだろう。…ナイル流域の神殿のほうでは見たことのない奇妙な警告だが。
冒頭にも書いたが、この神殿が機能していた時代は、一般的には「古代エジプト」の範疇には入れられていない。また地域的にも紅海沿岸でナイル川沿いではないため、地理的にも「古代エジプト」と認識されないことがある。
しかし遺物の基本デザインや、そこに込められた信仰のエッセンスや背景となる神話は、間違いなく古代エジプトからの流れをくんでいる。
ローマに支配されたからといって、3000年の伝統がいきなり消えたり、全く別のものに変わってしまうわけでもない。それは当たり前といえば当たり前の話。そしてエジプト宗教は、「エジプト人」ではない別の民族によって信仰されることもあった。
今回はヌビアだが、キプロス島のエジプト宗教や、東地中海沿岸のシドンなどの都市でのエジプト美術の使われ方も独特のものがある。
それらの伝統は、いずれ新興のキリスト教に吸収され、上書きされていってしまうのだが、もしそれが無ければどのように変化していただろう、というのは、想像してみると面白い。
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●ブレンミュアエ族の勢力圏の図は以下を参照
エジプトより上流地域のキリスト教圏にある「聖母マリア」伝説、もしかして一部はイシスかもしれない。
https://55096962.seesaa.net/article/202109article_16.html
●ベレニケ港付近でローマ時代に採掘されていたエメラルドの情報はこちら
エジプトのエメラルド鉱山と砂漠の遊牧民/ローマはいつ鉱山から撤退したか
https://55096962.seesaa.net/article/202203article_5.html
●ベレニケの発掘に関わるこれまでの記事は以下
古代エジプトが輸入する戦象を警護していた? 紅海/ベレニケ港の近くで砦が発見される
https://55096962.seesaa.net/article/201901article_15.html
もしかして: 貿易港ベレニケ、紀元前3世紀に一時的に放棄されたのは井戸水が枯れたからでは説
https://55096962.seesaa.net/article/202103article_25.html
→これらは紀元前300年頃の話
紅海沿岸の古代の貿易港ベレニケ、インド交易による動物輸入の証拠が見つかる
https://55096962.seesaa.net/article/202009article_5.html
→これは紀元前後の話
ローマ支配時代のエジプト沿岸の街ベレニケと古代のペット事情/なぜ大量の猫がそこで飼われていたのか
https://55096962.seesaa.net/article/202103article_10.html
→これは紀元後1-2世紀の話