「遊牧民」はなぜ誕生したのか。その生活スタイルの起源が意外と謎だった。
定住せずに、移動しまくりながら生活していく「遊牧」という生活スタイルは、一体いつ、どのようにして生まれたのか。
そんな疑問がフト浮かび、そもそも彼らはいつから遊牧生活してるのか、とか調べようと思った。意外と知らない遊牧スタイルの起源ーー。
●遊牧と移牧の違い
まず最初に、「遊牧」と「移牧」の違いをおさらいしておく。
遊牧は、一定の揃い範囲を周回していく生活様式。移牧は、基本的な定住拠点はありつつ、夏と冬で住居を使い分けるなどして往復していく生活様式で、農耕と組み合わせている場合も多い。
前者だと代表的なのがシベリアのトナカイ遊牧とか、モンゴルのウマやヒツジ放牧、アラビア半島のラクダ遊牧などになる。
後者だとアンデス山脈で夏は山の上、冬はふもとと垂直移動している民族などが当てはまる。


●遊牧民は農耕をしない
この定義から分かるとおり、遊牧は広い範囲をあちこち移動しながら生活するスタイルなので、拠点がない。
モンゴル遊牧民だと「よく夏に戻ってくる場所」のようなお気に入りの牧草地があったりするようだが、必ず毎年戻ってくるわけではなく、何か目印や所有を示すものがあるわけでもない。
また、夏の間ずっと同じ場所に居を構えるかというとそうではなく、「嫌な家族が近くに来たから」とかで再移動することも簡単に出来る。
この生活形態では、拠点がないので農耕は出来ない。農業で得られる野菜などはあまり食べず、食べるとしても物々交換した少量となる。
●遊牧には家畜が必要
しかし遊牧民の誕生は、どう考えても農耕技術の獲得よりはあとである。
遊牧生活をするには家畜が必要だが、農耕の開始が1万年くらい前とされているのに対し、ヒツジ、ヤギ、ロバ、ウシ、ウマ、ラクダ、トナカイなど、いずれの「家畜」たちもそれよりあとに飼いならされている。ヒツジやヤギあたりは農耕と同時だった可能性があるが、ウマは最大に遡って紀元前千五百年くらい、ラクダに至っては紀元前千年くらいになる。
つまり遊牧生活は、農耕という生活手段を敢えて選ばず、家畜のみに財と食料を集中される選択だったことになる。
なんでそれを選んだ? ここが謎なのだ。
●世界各地の遊牧民の起源は別
ちなみに、世界中にいる遊牧民たちは、地域ごとにチョイスしている家畜が別である。
メインとしてラクダを飼ってる遊牧民がいれば、ロバだったり、ヒツジだったり、ウマだったり、トナカイだったりする。それぞれの動物で特性が違うので、遊牧という生活スタイルは、その地域ごとに別個に発生したのだと考えることが出来る。
厄介なのが、その「別個」の発生ゆえに、遊牧を選択した時代も気候条件も全然違うということなのだ。
何が契機で定住を捨てたのか、あるいは元々定住していなかったとしてなぜその家畜を選択したのか、といった「生活スタイルの起源」が見えてこない。
たとえばトナカイ遊牧民だと、北の大地では食料がとれるかどうか不明な時期が長いので、「生きた食料庫」であるトナカイを身近に置いておくことが安心に繋がったのかもしれない。だが、ラクダを飼ってるアラブの民は、移動手段以外であんな大量にラクダ飼う必要があったのか…? 食料ならヤギでもいい気がするが…。自分で歩く財産として所有したかったのか。
敢えて遊牧スタイルを選んだからには、そして現代までつながっているからには、生存に有利だったのだろうが、その生活を選んだ理由はうまく説明しづらいところがある。
●遊牧ならではの強み
ただ、一つはっきりしていることは、遊牧生活なら、定住出来ない/しづらい土地でも住める という強みがある。
農耕に適さない枯れた土地や、冬が長い土地、山間部の狭い土地などでも、家畜をメイン食料とすれば生きていける。おそらく遊牧生活を選択した人々の理由の一つは、「農耕/定住から弾かれた」だったのではないかと思う。
遅い時代に遊牧に入った人々は、良い土地を強い部族に抑えられていて入り込めない、とかだった可能性はありそうだ。
またもう一つの理由が、「農耕/定住民が手に入れられないものを生産する担当」だった可能性もある。
モンゴルの遊牧民は、必要なものを定期的に町に買いに行く、という。交換材料は家畜だったり家畜の一部だったりする。またシベリアのトナカイ飼育者も、魚や小麦をトナカイの毛皮と交換しているという。
定住者は定住ならではの品を供給し、遊牧民は遊牧ならではの品を供給する。地域によっては、相互の役割分担というのが遊牧の選択された理由かもしれない。
さらに、遊牧は気候変動に対応する手段だった可能性もある。
雨の降り方が不安定な時代があったとして、もともとが遊牧民なら、雨が降って草のある場所を目指せばいい。定住者はそうもいかない。動かせない畑を前に、ひたすら雨が降るのを待つか、必死に水を運ぶかする必要がある。
気候が不安定な時代に農耕を捨てた集団、というのも場所によってはあるのかもしれない。
■結論
いくつか、可能性のありそうな答えは見つかったものの、地域ごとに理由が全然違いそうなので「なんか調べるの大変だなこれ…」っていう感じになってしまった。
ただ、いずれの地域においても共通しているのは、「家畜を大量に飼う以上、移動しながら生活するしかない」ということである。
ウマにしろ、ヒツジにしろ、その他の家畜にしろ、草食動物はすべからく草木を食う。食われたほうは、家畜に食べられるとそのぶん減ってしまう。再生速度は追いつかない。
一年草なら一年後に復活するだろうが、常緑の木々や、成長の遅いシベリアの苔類などはそうもいかない。
人間が飼う家畜の数と密度は、自然界ではありえないほど多い。一箇所でまとめて大量の家畜を飼えば、その土地の緑は短期間で食い尽くされてしまうのである。
だから家畜の食料が消えると移住せざるを得ない。家畜を大量に飼うことを選択した以上、家畜を養うために移動しつづける生活は宿命だった。農耕とは別の苦労がある暮らし方なのだ。どっちも大変。
とはいえ、作物が育つのを待ってればいい時期もある農耕に比べ、一日も絶やさず餌を与えなくてはならない牧畜は厳しい。敢えてその厳しい生活を選ばせた理由はなんだったのかは、やはり気になるところである。
そんな疑問がフト浮かび、そもそも彼らはいつから遊牧生活してるのか、とか調べようと思った。意外と知らない遊牧スタイルの起源ーー。
●遊牧と移牧の違い
まず最初に、「遊牧」と「移牧」の違いをおさらいしておく。
遊牧は、一定の揃い範囲を周回していく生活様式。移牧は、基本的な定住拠点はありつつ、夏と冬で住居を使い分けるなどして往復していく生活様式で、農耕と組み合わせている場合も多い。
前者だと代表的なのがシベリアのトナカイ遊牧とか、モンゴルのウマやヒツジ放牧、アラビア半島のラクダ遊牧などになる。
後者だとアンデス山脈で夏は山の上、冬はふもとと垂直移動している民族などが当てはまる。


●遊牧民は農耕をしない
この定義から分かるとおり、遊牧は広い範囲をあちこち移動しながら生活するスタイルなので、拠点がない。
モンゴル遊牧民だと「よく夏に戻ってくる場所」のようなお気に入りの牧草地があったりするようだが、必ず毎年戻ってくるわけではなく、何か目印や所有を示すものがあるわけでもない。
また、夏の間ずっと同じ場所に居を構えるかというとそうではなく、「嫌な家族が近くに来たから」とかで再移動することも簡単に出来る。
この生活形態では、拠点がないので農耕は出来ない。農業で得られる野菜などはあまり食べず、食べるとしても物々交換した少量となる。
●遊牧には家畜が必要
しかし遊牧民の誕生は、どう考えても農耕技術の獲得よりはあとである。
遊牧生活をするには家畜が必要だが、農耕の開始が1万年くらい前とされているのに対し、ヒツジ、ヤギ、ロバ、ウシ、ウマ、ラクダ、トナカイなど、いずれの「家畜」たちもそれよりあとに飼いならされている。ヒツジやヤギあたりは農耕と同時だった可能性があるが、ウマは最大に遡って紀元前千五百年くらい、ラクダに至っては紀元前千年くらいになる。
つまり遊牧生活は、農耕という生活手段を敢えて選ばず、家畜のみに財と食料を集中される選択だったことになる。
なんでそれを選んだ? ここが謎なのだ。
●世界各地の遊牧民の起源は別
ちなみに、世界中にいる遊牧民たちは、地域ごとにチョイスしている家畜が別である。
メインとしてラクダを飼ってる遊牧民がいれば、ロバだったり、ヒツジだったり、ウマだったり、トナカイだったりする。それぞれの動物で特性が違うので、遊牧という生活スタイルは、その地域ごとに別個に発生したのだと考えることが出来る。
厄介なのが、その「別個」の発生ゆえに、遊牧を選択した時代も気候条件も全然違うということなのだ。
何が契機で定住を捨てたのか、あるいは元々定住していなかったとしてなぜその家畜を選択したのか、といった「生活スタイルの起源」が見えてこない。
たとえばトナカイ遊牧民だと、北の大地では食料がとれるかどうか不明な時期が長いので、「生きた食料庫」であるトナカイを身近に置いておくことが安心に繋がったのかもしれない。だが、ラクダを飼ってるアラブの民は、移動手段以外であんな大量にラクダ飼う必要があったのか…? 食料ならヤギでもいい気がするが…。自分で歩く財産として所有したかったのか。
敢えて遊牧スタイルを選んだからには、そして現代までつながっているからには、生存に有利だったのだろうが、その生活を選んだ理由はうまく説明しづらいところがある。
●遊牧ならではの強み
ただ、一つはっきりしていることは、遊牧生活なら、定住出来ない/しづらい土地でも住める という強みがある。
農耕に適さない枯れた土地や、冬が長い土地、山間部の狭い土地などでも、家畜をメイン食料とすれば生きていける。おそらく遊牧生活を選択した人々の理由の一つは、「農耕/定住から弾かれた」だったのではないかと思う。
遅い時代に遊牧に入った人々は、良い土地を強い部族に抑えられていて入り込めない、とかだった可能性はありそうだ。
またもう一つの理由が、「農耕/定住民が手に入れられないものを生産する担当」だった可能性もある。
モンゴルの遊牧民は、必要なものを定期的に町に買いに行く、という。交換材料は家畜だったり家畜の一部だったりする。またシベリアのトナカイ飼育者も、魚や小麦をトナカイの毛皮と交換しているという。
定住者は定住ならではの品を供給し、遊牧民は遊牧ならではの品を供給する。地域によっては、相互の役割分担というのが遊牧の選択された理由かもしれない。
さらに、遊牧は気候変動に対応する手段だった可能性もある。
雨の降り方が不安定な時代があったとして、もともとが遊牧民なら、雨が降って草のある場所を目指せばいい。定住者はそうもいかない。動かせない畑を前に、ひたすら雨が降るのを待つか、必死に水を運ぶかする必要がある。
気候が不安定な時代に農耕を捨てた集団、というのも場所によってはあるのかもしれない。
■結論
いくつか、可能性のありそうな答えは見つかったものの、地域ごとに理由が全然違いそうなので「なんか調べるの大変だなこれ…」っていう感じになってしまった。
ただ、いずれの地域においても共通しているのは、「家畜を大量に飼う以上、移動しながら生活するしかない」ということである。
ウマにしろ、ヒツジにしろ、その他の家畜にしろ、草食動物はすべからく草木を食う。食われたほうは、家畜に食べられるとそのぶん減ってしまう。再生速度は追いつかない。
一年草なら一年後に復活するだろうが、常緑の木々や、成長の遅いシベリアの苔類などはそうもいかない。
人間が飼う家畜の数と密度は、自然界ではありえないほど多い。一箇所でまとめて大量の家畜を飼えば、その土地の緑は短期間で食い尽くされてしまうのである。
だから家畜の食料が消えると移住せざるを得ない。家畜を大量に飼うことを選択した以上、家畜を養うために移動しつづける生活は宿命だった。農耕とは別の苦労がある暮らし方なのだ。どっちも大変。
とはいえ、作物が育つのを待ってればいい時期もある農耕に比べ、一日も絶やさず餌を与えなくてはならない牧畜は厳しい。敢えてその厳しい生活を選ばせた理由はなんだったのかは、やはり気になるところである。