ツタンカーメンの墓の真の発見者は? ハワード・カーター以外に関わったエジプト人たちを探して
100年も前のヨーロッパの学者といえば、現代基準だとだいたい「差別主義者」になってしまう。
エジプト考古学の巨人と言われたやフリンダース・ピートリや、数々の遺物コレクションをイギリスにもたらしたウォーリス・バッジでさえもそうだし、ヌビアの古代文明研究の基礎を築いたジョージ・ライズナーなどは、現地の未開人に高度な文明は築けないと断じていた。
ツタンカーメン墓の発掘者として知られるハワード・カーターもその一人で、今では称賛と、「遺物や遺跡を私物化した」といった批判が半々に聞こえる。その批判はたしかに否定できないところはあり、彼が植民地支配の感覚のまま色々やらかしてしまったのも事実である。
そしてさらに今では、新たな嫌疑がかけられているーー「ツタンカーメン墓発見の真の功労者は、現地の名もなきエジプト人ではないのか?」というものだ。
Egyptians helped discover King Tut's tomb. Now, they're finally being recognized.
https://www.livescience.com/untold-story-king-tut-discovery

ツタンカーメン墓発掘当時の写真はたくさん残っているが、写っている作業員たちの大半は素性が分かっていないという。
そんな中で注目されているのは、名前の分かっているフセイン・アブド・エル・ラスル(Hussein Abd el-Rassul)という給水係。現代でも、ピラミッド前でペットボトルいりの水を売ってる売り子がいるが、この時代も、暑い場所での発掘なので水をみんなに配る係のウォーターボーイと呼ばれる職業の人がいた。
その給水係の少年が、最初に墓を発見してカーターに告げたのでは、というのである。
この説を信じる学者もいれば、あとから家族がデッチ挙げた話では? と考えている者もいる。今のところ証拠はない。ただ、彼が発掘現場にいたことは事実のようである。
また、当時、発掘に関わった多くの現地人たちは、今では素性が分からない、というのも事実で、雇い主であるイギリス人だけが功労者として歴史に名を残したことを苦々しく思うエジプト人もいるようだ。(主に、いつものザヒ・ハワス博士とか(笑))
この話自体はどっちが正解かは分からないのだが、もし仮に本当に現地人が真の発見者だったとして、カーターが手柄を上書きすることは十分にあり得ただろうな、と思う。というか、他の歴史的な発見でも、けっこう無名のエジプト人が関わっていものはある。「村人の飼ってるロバが穴に落ちた」とか「荷運びが足を引っ掛けた」とかがきっかけで発見につながっているケースなど、そのあと実際に発掘した人の名前しか残らないからだ。
しかし忘れてはならないのは、当時のエジプトには十分な訓練を受けた考古学者がおらず、自国だけでこの大規模な発掘を指揮することは、技術的にも資金的にも不可能だったことだ。
今からすれば屈辱かもしれないが、当時は、旧宗主国のイギリスの手を借りざるを得なかったのだ。…そのせいで遺物の一部を勝手に持ち出されたり、情報を外国メディアに独占されたりもしてしまったけれど。
考古学というものは、その時々の政治の影響を強く受ける学問である。
考古学者たちの行動は単にその当時の世相を反映しているものであって、現代基準でばっさり判断すべきではないと思う。ただ、100年前の考古学、特にエジプト考古学は、アメリカやヨーロッパの一部の国に独占されていたこと、現代の倫理観では違和感のあることも当たり前に行われていた時代だということは、記憶しておく必要があると思う。
エジプト考古学の巨人と言われたやフリンダース・ピートリや、数々の遺物コレクションをイギリスにもたらしたウォーリス・バッジでさえもそうだし、ヌビアの古代文明研究の基礎を築いたジョージ・ライズナーなどは、現地の未開人に高度な文明は築けないと断じていた。
ツタンカーメン墓の発掘者として知られるハワード・カーターもその一人で、今では称賛と、「遺物や遺跡を私物化した」といった批判が半々に聞こえる。その批判はたしかに否定できないところはあり、彼が植民地支配の感覚のまま色々やらかしてしまったのも事実である。
そしてさらに今では、新たな嫌疑がかけられているーー「ツタンカーメン墓発見の真の功労者は、現地の名もなきエジプト人ではないのか?」というものだ。
Egyptians helped discover King Tut's tomb. Now, they're finally being recognized.
https://www.livescience.com/untold-story-king-tut-discovery

ツタンカーメン墓発掘当時の写真はたくさん残っているが、写っている作業員たちの大半は素性が分かっていないという。
そんな中で注目されているのは、名前の分かっているフセイン・アブド・エル・ラスル(Hussein Abd el-Rassul)という給水係。現代でも、ピラミッド前でペットボトルいりの水を売ってる売り子がいるが、この時代も、暑い場所での発掘なので水をみんなに配る係のウォーターボーイと呼ばれる職業の人がいた。
その給水係の少年が、最初に墓を発見してカーターに告げたのでは、というのである。
この説を信じる学者もいれば、あとから家族がデッチ挙げた話では? と考えている者もいる。今のところ証拠はない。ただ、彼が発掘現場にいたことは事実のようである。
また、当時、発掘に関わった多くの現地人たちは、今では素性が分からない、というのも事実で、雇い主であるイギリス人だけが功労者として歴史に名を残したことを苦々しく思うエジプト人もいるようだ。(主に、いつものザヒ・ハワス博士とか(笑))
この話自体はどっちが正解かは分からないのだが、もし仮に本当に現地人が真の発見者だったとして、カーターが手柄を上書きすることは十分にあり得ただろうな、と思う。というか、他の歴史的な発見でも、けっこう無名のエジプト人が関わっていものはある。「村人の飼ってるロバが穴に落ちた」とか「荷運びが足を引っ掛けた」とかがきっかけで発見につながっているケースなど、そのあと実際に発掘した人の名前しか残らないからだ。
しかし忘れてはならないのは、当時のエジプトには十分な訓練を受けた考古学者がおらず、自国だけでこの大規模な発掘を指揮することは、技術的にも資金的にも不可能だったことだ。
今からすれば屈辱かもしれないが、当時は、旧宗主国のイギリスの手を借りざるを得なかったのだ。…そのせいで遺物の一部を勝手に持ち出されたり、情報を外国メディアに独占されたりもしてしまったけれど。
考古学というものは、その時々の政治の影響を強く受ける学問である。
考古学者たちの行動は単にその当時の世相を反映しているものであって、現代基準でばっさり判断すべきではないと思う。ただ、100年前の考古学、特にエジプト考古学は、アメリカやヨーロッパの一部の国に独占されていたこと、現代の倫理観では違和感のあることも当たり前に行われていた時代だということは、記憶しておく必要があると思う。