中世バルト海のニシン交易はヴァイキングが行ったものか? 魚の骨のDNAから海上交易が明らかに

遺跡から出た魚の骨の分析から、ハンザ同盟に先だち、誰かがバルト海のニシンをポーランドに運んでいたことが分かってきたらしい。ハンザ同盟は西暦1,200年頃、今回の証拠はその400年前の800年頃なので、おそらくヴァイキングでは? とのこと。
遺物から交易ルート割りだそうとしている研究はよく見かけるけど、これは魚の骨を使ってて、ちょっと手間がかかってそうなやつ。

Ancient DNA pushes herring trade back to the Viking age
https://phys.org/news/2022-10-ancient-dna-herring-viking-age.html

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どうも、バルト海西部は塩分が多いという特徴があり、ニシンの群れにも回遊ルートによって種類の違いがあることから、今回のように「別の海域に人為的に運ばれている」というのが分かるらしい。
日本でいうと日本海側の魚と太平洋側の魚を見分ける話みたいなものだと思う。

もしも商業的な漁が定期的に行われていたなら個体数は減少したはずで、現在のバルト海の生態系は中世以前からの人間の活動の影響を受けているのかも…とのこと。
現在は春に産卵する種類のニシンが多いが、それは過去に飽きに産卵するニシンを大量に獲ってしまったからなのかもしれないのだ。

とはいえ、これは、どの程度の漁獲量があったのかによってだいぶ変わってくる話なので、現時点では「もしかしたら」くらいの可能性なのたろう。



ちなみに、以前の研究では北海のタラがヴァイキングによってドイツに運ばれていたというものがあったが、今回はニシンがポーランドに運ばれていたということで、様々な魚が塩漬けか燻製にされて各地に運ばれていた、つまりはハンザ同盟前から沿岸部の都市を結ぶ海上交易路が機能していたことを示唆している。

魚以外にも色んな特産物が運ばれていただろうし、人間も移動していただろうし、その交易路の先にはアイスランドやグリーンランドも繋がっていた。
その交易路が途切れるのは、気候が寒冷化する12世紀以降…。

北海のニシンやタラの回遊ルートは気候変動によって変化することが知られているため、1200年以降は魚の捕れる場所も変わったのでは? という気がするが、そのあたりは包括的な研究報告を待ちたい。