遊牧民はなぜその生活を選んだのか→もしかして、元々は役割分担では…?
少し前に調べていた、この問題。
「遊牧民」はなぜ誕生したのか。その生活スタイルの起源が意外と謎だった。
https://55096962.seesaa.net/article/493040666.html
色々な地域の遊牧民の生活史をあさっていくうちに、何となくわかってきたことがある。
ほぼすべての遊牧民は、定住者との物々交換を必要としている。
つまりセットになる定住者集団が別にいる。
どうしてかというと、遊牧生活、つまり家畜のいる生活には、定住者の作る道具が必須だからなのだ。
たとえば、ヤギやヒツジの乳を加工するための鍋や受け皿、屠殺のためのナイフ。馬に乗って移動する場合は蹄鉄も必要だし、あぶみやハミは金属で出来ている。皮をはいでテントなどを作る場合に、縫い針はどうするか。ヒツジやアルパカの毛を刈り取るハサミ、紡績機。
家畜とともに暮らすためには、多くの専用の道具を必要とする。遊牧民はあまりモノを持たない、と誤解されているが、実はかなり多くの「必須」の道具が存在する。予備を持って移動するわけにもいかないため、壊れたら仕事が出来なくなるリスクを負っている。自力で直すか、近くにいる仲間に借りるか。
いずれにしろ、新品を手に入れたい場合には、定住者から手に入れるしかない。特に金属製品はそうだ。
金属器や土器など、時間をかけて作るしかないもの、あるいは資源の在り処が限られている品は、定住者か、遊牧していても、あまり広い範囲を移動していないか、長期間ひとつの場所にとどまることの出来る兼業の者でなければ制作できない。
そして、そうした品が「必須」である以上。作る者がいる場所が決まっているか、そこにいけばいつでも手に入るという定期市などが無ければならない。
前回、「遊牧は農耕よりあとに始まっているが、どうして定住生活を捨てたのか」という疑問を抱いたが、なんのことはない。定住生活で培われる技術・ナレッジが、遊牧の前提となる必須条件だったのだ。
そして、定住者の存在なくして遊牧という生き方は成り立たないのだ。
だとすれば、遊牧をして生きる生き方は、「近くに定住者がいる状態だから、敢えて選択した」可能性がある。
いわば役割分担である。遊牧でしか手に入らない家畜の産物と、定住でしか手に入らない農作物。あるいは、遊牧者が移動しながら入手する情報や見聞といった無形のものと、定住者が培う物質的文化や道具といった有形なもの。それらを相互に補い、交換しあうためにセットで存在する相反する生活スタイルだったのではないか。
現代においては、定住のほうが有利に見える。また、遊牧で生きる人は年々減りつつある。
しかしそれは現代の価値観であり、遊牧でしか手に入らないものがほとんど無くなった時代だからこそ起きている現象なのかもしれない。
「遊牧民」はなぜ誕生したのか。その生活スタイルの起源が意外と謎だった。
https://55096962.seesaa.net/article/493040666.html
色々な地域の遊牧民の生活史をあさっていくうちに、何となくわかってきたことがある。
ほぼすべての遊牧民は、定住者との物々交換を必要としている。
つまりセットになる定住者集団が別にいる。
どうしてかというと、遊牧生活、つまり家畜のいる生活には、定住者の作る道具が必須だからなのだ。
たとえば、ヤギやヒツジの乳を加工するための鍋や受け皿、屠殺のためのナイフ。馬に乗って移動する場合は蹄鉄も必要だし、あぶみやハミは金属で出来ている。皮をはいでテントなどを作る場合に、縫い針はどうするか。ヒツジやアルパカの毛を刈り取るハサミ、紡績機。
家畜とともに暮らすためには、多くの専用の道具を必要とする。遊牧民はあまりモノを持たない、と誤解されているが、実はかなり多くの「必須」の道具が存在する。予備を持って移動するわけにもいかないため、壊れたら仕事が出来なくなるリスクを負っている。自力で直すか、近くにいる仲間に借りるか。
いずれにしろ、新品を手に入れたい場合には、定住者から手に入れるしかない。特に金属製品はそうだ。
金属器や土器など、時間をかけて作るしかないもの、あるいは資源の在り処が限られている品は、定住者か、遊牧していても、あまり広い範囲を移動していないか、長期間ひとつの場所にとどまることの出来る兼業の者でなければ制作できない。
そして、そうした品が「必須」である以上。作る者がいる場所が決まっているか、そこにいけばいつでも手に入るという定期市などが無ければならない。
前回、「遊牧は農耕よりあとに始まっているが、どうして定住生活を捨てたのか」という疑問を抱いたが、なんのことはない。定住生活で培われる技術・ナレッジが、遊牧の前提となる必須条件だったのだ。
そして、定住者の存在なくして遊牧という生き方は成り立たないのだ。
だとすれば、遊牧をして生きる生き方は、「近くに定住者がいる状態だから、敢えて選択した」可能性がある。
いわば役割分担である。遊牧でしか手に入らない家畜の産物と、定住でしか手に入らない農作物。あるいは、遊牧者が移動しながら入手する情報や見聞といった無形のものと、定住者が培う物質的文化や道具といった有形なもの。それらを相互に補い、交換しあうためにセットで存在する相反する生活スタイルだったのではないか。
現代においては、定住のほうが有利に見える。また、遊牧で生きる人は年々減りつつある。
しかしそれは現代の価値観であり、遊牧でしか手に入らないものがほとんど無くなった時代だからこそ起きている現象なのかもしれない。