古代エジプト人は捕虜に「焼印」を押していた? 小さすぎる焼きごての使い道

古代エジプトでは、主に女性について入れ墨を入れる習慣があったことが知られている。
 ⇨前の記事「古代エジプトと入れ墨の呪術:職人村のミイラ分析から」を参照

一方で、戦争捕虜らしき外国人に入れ墨? を入れているシーンがメディネト・ハブの神殿の壁画にあり、これは入れ墨なのか、それとも後の時代では一般的な、奴隷に入れる焼印のようなものなのか、という論争があった。

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で、このたび、大英博物館やピートリ博物館に収蔵されている青銅製の小さな丸い焼印は、家畜用にしては小さすぎるので、人間に使われたのでは? というペーパーが出ていた。まだ反論や精査を受けていないため定説化するかはわからないが、第18王朝半ば以降、海外遠征を繰り返していた「帝国」時代のエジプトなら、これはアリなのかな…という気がした。

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Ancient Egyptians may have used branding irons on human slaves
https://www.livescience.com/ancient-egypt-branding-irons-slaves

元論文
‘Mark them with my Mark’: Human Branding in Egypt
https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/03075133221130094

趣旨としてはこんな感じ。

・牛や馬に入れる焼印は四角が基本で、これは丸いので用途違うのでは?
・牛や馬の場合は子馬、子牛のうちに焼印を入れるが、成長とともに皮膚が伸びていくので、ある程度の大きさの印を入れないと消える
・この焼印は小さすぎるので使うとしたらヤギなどの小型の家畜だが、人間に使うことも出来る
・人間に使った可能性を提案したい

ただし、記事の方に使われている「Salve」という単語については、記事の末尾に出てくるように、大航海時代と同じ意味の「奴隷」と翻訳してはいけない。なぜなら、古代エジプト世界においては、ペルシア支配以降まで、現代人の想像するムチで打たれるような奴隷は存在しなかったからだ。

おそらくこの話、古代エジプト社会の文脈を知らないまとめサイトとかは普通に「奴隷に焼印入れてた」くらいに簡略化して訳しちゃうんだろうな…って思ったので、少し補足の解説を置いておく。


古代エジプトにおける奴隷は、お給料が支払われるし、普通にエジプト人と結婚することも出来たことが知られている。初代は外国人の扱いだったとしても、エジプトで生まれた第2世代からは現地になじんでしまい外国人人口として見えなくなってしまうのが特徴だ。
以下、ものすごく昔に書いたものだが、現在の研究でも基本はこの内容から外れていない。

古代エジプトにおける奴隷の実態
https://55096962.seesaa.net/article/200912article_11.html

また、エジプトでは宦官についても存在した証拠がなく、外国人捕虜も基本的には去勢されることは無かった。

メソポタミアに宦官はいて、エジプトには宦官がいない
https://55096962.seesaa.net/article/200912article_3.html

このへん、「新王国時代以降の古代エジプトは、外から人がたくさん移住してきていた」という国際化事情を知らないと勘違いしそうではあるが、外国人捕虜を奴隷にしてしまうと、常に反乱や脱走の危険性があり、管理に手間がかかる。そりよりは、普通にエジプト人として受け入れて暮らしてもらったほうが断然、楽なのだ。

だから、この焼印がもし人間に対して使われたのだとしても、「奴隷を一生、その身分にしばりつけるためのもの」とか「誰かの所有物とするためのもの」というよりは、行政手続き上の印とか、エジプトに対する反逆を企てた首謀者に対する刑罰など、特定の目的で用いられたのではないかと自分は思う。
それならば、人間に対して使ったという主張でもムリはないかな。