ヨーロッパ史における「民族大移動」という概念への批判と再構築について

「民族大移動の時代」については、ヨーロッパ史に関連する本でよく出てくるので前提となる説明は省く。
大きな流れとして、フン族がアジア方面から流入、玉突きでゴート族など元からいた蛮族集団も移動しはじめ、ローマ領内に混乱をもたらし、それが帝国の破滅につながっていく…みたいな定説である。

↓こういう感じの図。見たことある人もいると思う
Invasions_of_the_Roman_Empire_1.png

ところが、この有名な説が微妙にゆらぎ始めている。
ここ最近の本では、「民族大移動」という言葉が消えているか、使い方に注釈がついているのを見かけるようになった。

出てきている批判の内容をざっくりまとめると、以下のようなものになる。

●終点(ヨーロッパに出現した時点)は分かるが、始点は分からない

たとえば、フン族はその最たるものだ。
当たり前のようにフン族の矢印は「世界の果て」たるアジア方面からやってきて、ヨーロッパに出現している。
出現した年代はヨーロッパ側の歴史で分かるものの、それ以前にどこにいたのか、どう移動してきたのかの資料は何もない。
これは、今までにブログ内で何冊か紹介してきたフン族の本にはどれでも書いてあるように、そもそもフン族の主体がアジア系でいいのかどうかすら微妙なのである。
つまり、この矢印は、出現した地域は分かるものの、それ以前の部分はただの空想である。

同じように、スラブ系住民の移動や拡散、インド・ヨーロッパ語族の移動など、民族移動を矢印で描こうとすると、始点が分からないという問題が起きる。


■「民族」は移動している最中も普遍の概念なのか

これは、集団が何百年もかけて移動していく場合に、出発点と終点で全く同じ、文化的に均質な集団のままでいられるのか? ということ。
途中で別の集団に吸収されたり、合併したりして文化や言語が変容したり、民族構成が変わってしまうことは大いに有り得る。それを単純な矢印で記載して、「●●族」と名付けてしまっても良いのか、という問題である。

特に人の移動が盛んな時代は、部族の吸収合併も消滅も頻繁に起きたと考えられ、移動しながら均質な集団を保っていたと考えるほうが不自然となる。


■そもそも記録された「移動」は実際に発生したのか

かつての「民族移動」の概念は、特定の歴史家などによる限られた文字記録に依存していた。しかし、考古学的な証拠から、実際には記録に在るような大規模な人の移動は存在しなかった、とわかってきたものも少なくない。その最たるものが「出エジプト」だ。カナアン地方の文化や人口規模が時代を通して変化していないことからして、現在では、旧約聖書が言うような大規模なイスラエル人の移住があったとは考えられない、というのが主流な説となっている。

つまり、ある民族が大量に押し寄せてきた! とか、攻め込んできた! と書かれている歴史書も、実際には小規模な集団がやってきただけだったり、たまたまその人の観測範囲だと突然出現したように見えていたが、実際にはもっと前から近隣に少しずつ住み着いていたとか、そういう可能性すらある。

既存の民族移動地図の中には、存在しなかった民族大移動の矢印も含まれているかもしれないのだ。



これらの議論は、言われてみるとナルホドという感じで、今まで鵜呑みにしてたけどたしかにそんなに証拠はない。
そして、近年起きた、シリア危機を発端とするヨーロッパへの難民の流入という実例を見ている限り、大規模な移住が必要となる現象が発生した時、特定の民族がまとまって行動することは稀とも考えられる。

逃げなければならない時は、皆まとまって逃げるのではなく、地域ごとに三々五々逃げて、逃げた先で合流するのが普通なのではないか。
そもそも、強力なリーダーに率いられてまとまった集団が長距離を移動するというシチュエーションを想定することにムリがあって、そんなまとまった集団が維持出来るのであれば、留まって小国を作るとか、どこか近隣の手薄なところに攻め込むほうが早い。

遠い新天地を目指さなければならないシチュエーションを考えると、リーダーや首長は存在しない、小規模な人間集団のほうが自然だ。難民ボートにアルジェリア人とシリア人とアフガニスタン人が一緒に乗ってギリシャを目指す、といった現象を見るにつけ、移動中の「民族」は均一ではないほうが多いのではないか、とも思う。

というか、この議論自体、実際に移民の波に飲まれた今だから出てきた話のような気がする。
ほんの20年ほど前までは当たり前の定説で、今も世間に流布している概念が実はかなりふふわっとした土台の上に立っている。果たして、今後の本はどう書き換わっていくのか。

北欧神話関連(特にニーベルンゲン伝説周り)とか、けっこう影響受けそうな気もするのだが…。