アレキサンドリア南・マレオティス湖の「転生」、古代から現代へ

もしもクレオパトラやアレキサンダーが現代にタイムスリップしてきたとしても、寄港すべきアレキサンドリアの港がどこにあるか分からないだろう。
――そのくらい、現代のエジプト沿岸部は古代と風景が違っている、という話なのだが、なんとなく調べていたアレキサンドリア南側のマレオティス湖についての歴史についてメモしておく。

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マレオティス湖(マリュート湖)は、かつてアレキサンドリアの町の南側に細長く広がっていた淡水湖である。
ナイル川の支流の一つ、カノポス支流と繋がっていて、ナイルが増水する季節には面積が増大していた。つまりアレキサンドリアは、北を海、南を淡水湖に挟まれた、水上都市だったのである。

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ところが、このカノポス支流は5世紀頃から水量が減少、10世紀頃にはほとんど消えてしまう。(完全に消えたのは12世紀ともされる)
地殻変動や気候変動のためともされるが、いちばんの理由は、ナイルが毎年、増水の季節に大量に運んでいた泥の蓄積ではないかと思う。この水路がアレキサンドリアへ通じる水路として使われていた時代は、貨物船の通行があって浚渫されていたが、それが無くなると泥で埋まってしまったのではないだろうか。
現在の支流跡は、ナイルシルトがこんもり積もった土地になっている。

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写真元

支流が埋まってしまうと、マレオティス湖も水の供給がなくなるので干上がってしまう。
かくて淡水の供給が無くなった大都市は、それも原因となって衰退していくしかなかったのである。
アラブ人の進出後のアレキサンドリアは、広大な廃墟として長い歴史を歩むことになる。

だが、現在、アレキサンドリアの南方には、似たような位置に、だいぶ形の違う別の湖が出来ている。
一度干上がったはずの湖がどうして復活したのかというと、以下のような経緯であった。

・18世紀に入り、ナポレオンとイギリスがやってくる
・1801年、イギリス軍がアレキサンドリアに駐留する際、防衛のために堤防を爆破してマレオティス湖だった場所に海水を流入させる
 ※ここで、元は淡水湖だった湖が海水湖となる
・ムハンマド・アリー朝が開始され、ヨーロッパとの取引のために古来の港を復活させる
 港町を再建するにあたり淡水が必要なため、まだ生きているロゼッタ支流から運河を堀り抜いてマレオティス湖に接続
 ※ここで、湖が海水と淡水の交じる汽水湖となる
・その後、町が郊外に発展し、農地なども必要となったため大半が干拓され、湖が縮小して今に至る

古代エジプトの時代、そしてクレオパトラが生きていた時代のマレオティス湖は、カノポス支流から水の供給を受ける淡水湖だった。
しかし今のマレオティス湖は、ロゼッタ支流から水の供給をうけ、かつ海とも繋がった汽水湖になっている。
いちど完全に干上がったあと復活、干拓を経た姿なわけで、いわば湖としては、「転生」した姿となる。古代とは、性質も、場所や形も違う湖になっているのは、そういうわけなのだ。

古代とほぼ同じ位置にあり、名前も同じだが、あれは実はクレオパトラの時代とはほぼ別物の湖…。
同じように海岸線も、いちど水没して以降、堆積物が溜まったのが今の姿となる。古代とは大きく異なっているため、古代人はもはや、地形を見てもそこがかつての見知った土地とは判別出来ないだろう。

たった二千年ちょっとでも、ナイルをとりまく風景は、それだけ変わっているということなのだ。