エジプトさんの首都移転、公式で「26回目」と主張される。―そこから見る中央視点とは

エジプトは今、首都カイロが手狭になったことから新首都へ移転を実施しようとしている。
場所的に東部砂漠の中であり、ここどうやって水引いてくんの? 足りるの? というのはちょっと心配なところ。また、財政状況があまり良くないのに他国から多額の融資を受けての首都建設は「砂漠の錬金術」とも揶揄されている。これから経済発展が見込めるからこそなのだが、将来は借金を返していかなくてはならないため、どうなるのかは微妙。また中国さんとの絡みなどで黒い話もあったりするが…そこは興味のある人は調べてほしい。

エジプトさん、首都移転を開始。遷都はロマン…!
https://55096962.seesaa.net/article/202111article_4.html

砂漠に町を作るには水が必要。どこから持ってきているんだろう、とちょっと調べてみたのだが
https://55096962.seesaa.net/article/202111article_12.html

さて、この首都移転、まだ移転先の都の名前は決まっていないのだが、公式に「26回目の遷都」と宣伝されている。
ということは過去に25回の首都移転があったことになる。その内訳を調べてみた。ーーというかまあ、ナショジオの2022年11月合に載っていたわけだが。

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ほぼ予想通りというか、まぁこうなるしかないよね。という感じの内容。

最初の首都は、上下エジプトが統一されて以降の最初の「首都」となっており、それ以前の「上エジプト」「下エジプト」に大きく分かれていた時代は入っていない。つまりエジプトさん的に、国の歴史の始まりは統一王朝(紀元前3000年あたり)から、となっているのだ。

これは日本でいうと邪馬台国などは入れずに大和朝廷成立からでカウントするようなもの。
そして中央政府のみを正統とみなし、中央からの視点によって首都をカウントしていくやり方だ。つまりは、複数の王朝が並立している時代は、「中央」「正統」とみなした王朝の都のみをカウントする。

その意味では、5番目に来ているのがアヴァリスというのが面白い。ここは外来系ヒクソス人の都だからだ。
時代は第二中間期、複数の勢力が平行している時代で、他の地域でも王を名乗っていた人物はいたのだが、あえてナイル上流のテーベ王朝やアビュドスの勢力ではなく、下流のヒクソス王朝だけを正統として年表上に置いていることになる。

これは、17番目から20番目の部分で複数の都市を同時に首都とみなしているところと比べると、ややチョイスに謎が残る。
ここも第三中間期という、複数の王朝が並立する時代だが、なぜそのうちの1つを正統として残りを切り捨ててしまわなかったのか。まあ勢力が拮抗してたとか、短期間に入れ替わりがあったとかが理由なのだろうが、主題を「首都移転の歴史」とするならば、別に首都が移転したわけではなく、単にナイルデルタに並立していた王朝の力関係が変わっただけなので、すこし他と粒度が違うなという気がする。

というか挙げられているサイス・メンデス・セベンニュトス・メンフィスはいずれもナイル下流の町で、上流では相変わらずテーベの勢力もいたのだが、そこはカウントしないんだ…? とかも疑問に思った。

そして注目すべきは、「他の国に支配されていた時代の首都はカウントしていない」「現在のエジプト領域内に首都が無かった時代は入れていない」というところ。

たとえば、末期王朝には二度に渡るペルシア支配を受けている。この時代はペルシア属領なので、首都はペルシアのものになるはずだが、そうはなっていない。
また、末期王朝にはヌビア人ファラオがエジプト統一を果たし、第二十五王朝を成立させる。この時代の首都はヌビアにある都市、ナパタになるはずだが入っていない。統一王朝なのだから正統な王朝と見なされるはずなのにカウントしないのだ。

つまり、この「26回の遷都」とは、古代エジプトの歴史の一部を恣意的に加工した「現代エジプトとしての歴史」であり、古代エジプト通史での首都の変遷履歴ではない。

たまたま古代エジプトと現代エジプトの領域がだいたい重なってたからいいようなものの、もしオスマンからの独立時にナイル上流と下流が分かれてしまうとか、イギリスさんが国境引く時に別の引き方するとかしていたら、果たしてどうなっていたのだろうか。

なお、この記事を書いてる時点では、エジプト新首都の名前はまだ、決まっていない。
果たしてアマルナのごとく短命に終わるのか、メンフィスの如く1000年の都となるのか、それもまた未来の物語。