ケルトで人気だったガラスビーズは「黄色地に青丸」。なぜその色が人気だったのかわからない

本屋でなんとなく手に取った「ガラスの来た道」という本を読んでいた。

ガラスの来た道: 古代ユーラシアをつなぐ輝き (563) (歴史文化ライブラリー 563) - 小寺 智津子
ガラスの来た道: 古代ユーラシアをつなぐ輝き (563) (歴史文化ライブラリー 563) - 小寺 智津子

半分くらいは日本で出土するガラスの話だが、前半部分は古代ガラス全般の話や古代のガラスの産地と、それが中国に辿り着くまでの話である。で、中国で最初に人気だったガラス玉は青字に黄色い丸の入っている重圏円文珠(いわゆるトンボ玉)だったという話が出てきた。これはまぁ分かる。青字のガラス玉は東地中海から東の地方だとひろく人気だったはずだ。

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だが、西側のケルトでは、逆の色合いで黄色地に青丸の玉が人気だったという。
ん…? と思った。黄色いトンボ玉あんま見たことがない。

そこでちょっと調べてみたのだが、ケルト珠と言われているものは本当に黄色地だったんである。
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何で?? という感じだった。何でこの色だったんだろう…。
青色は、人工的な色としては作りにくいからまぁ分かる。だが黄色なら、オーカーの染料はそのへんの土や石から作れるし、より輝く色としても黄金細工がある。

このタイプの珠は黒海沿岸などでも出てはいるらしいが、主流というほどではないようで、ケルト人がこの色ばかり集めていたのが特異に映る。なぜこの色が好きだったのか、謎が残る。

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あと、古代ガラスの本を読んでいると、よくガラス成分の話が出てくるが、あれは土地ごとに使いやすい材料を採用していただけで、別に作り方はどうでもよかったらしい。
古代人にとって重要なのはガラスの「色」なので、作る手段はそれほど重要ではなかったのだろう、とのことだ。ある意味、納得である。深い意味は無かった(笑)

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あと、仏教が伝来するとガラスの透き通った感じが「清らか」と見なされて極楽浄土をイメージさせる道具になっていったのは面白いなと思った。その概念はインドより東方にしか存在しないし、弥生時代ごろのガラス渡来初期とは違う。東方で独自にガラスが生産されるようになると、意味や作り方の繋がりが途切れて独自路線に入っていくのは面白いなと思った。