イラク南部・ラガシュの遺跡で発見された食堂、現代の食堂に似た風景だったことが判明
紀元前3000年頃、シュメールの時代の大衆食堂がラガシュの町の遺跡から見つかった、というニュースが流れていた。
現代はテル・アル・ヒバ村の郊外にあたる場所で、川からかなり離れており人は住んでいない不毛の土地。しかし古代には、この近くまで川が来ていたはずなのだと言う。
At a southern Iraq site, unearthing the archaeological passing of time
https://penntoday.upenn.edu/news/lagash-southern-iraq-site-unearthing-archaeological-passing-time

これは古代のtavernだ、と言われているが、タバーンというのは現代の言葉で大衆食堂のこと。
ベンチやテーブルが並べられ、キッチンや酒壺が奥にあるという構造全体が、現代の大衆食堂と雰囲気似ていると言われている。あと、現代でも使われている素焼きのツボを使った砂漠の簡易冷蔵庫、「zeer ツィーア/ジーア」も発見されている。

Wikipedia日本語版では「二重ポット式冷蔵庫」と紹介されている
Youtibeだと植木鉢と砂で作る方法が紹介されている。仕組みとしては簡単
How to Make Your Own Zeer Pot (Pot-In-Pot Refrigerator)
https://www.youtube.com/watch?v=G03XdPvBe_E
この「Zeer」は古代エジプトでも使われており、現代でも砂漠の暑い地方では現役。使うコツはなるべく目の荒い素焼きポットを使うことと、砂に染み込ませた水を切らさないことだ。日本の夏だと湿気が高く水の蒸発があまり進まないので効果が薄いが、カラリと暑くてどんどん水が蒸発する砂漠なら、これでよく冷える。
今も現役の簡易冷蔵庫がこの時代から使われ続けていたというのも面白い。
気になるのは、その冷蔵庫の中の食べ物などがそのままで酒場が放棄されているということだ。
住民は荷造りすらせずにこの街を去ってしまったらしい。一般的には、そのような状況が発生しうるのは戦争や大災害の際だけである。一体何があったのだろう…。
また、一時的に住民が去ったとしてもすぐに戻ってくるのが普通だが、道具などがそのままということは、二度と戻って来なかったらしい。
川の流れが移動して水へのアクセスが厳しくなり、気候も変化しつつあった時代のようなので、すでに住むことが厳しくなっていて、そのまま放棄されたのかもしれないが、栄えた町の最後としてはちょっと悲しい。
古代の生活がそのまま残っているのは現代人からすれば面白いのだが、それは、日常がとつぜん断絶されたからこそ起こり得る現象だ。
古代人にとっては望ましくない何かが起きたのだろうな、と考えると、少しだけ切ない。
現代はテル・アル・ヒバ村の郊外にあたる場所で、川からかなり離れており人は住んでいない不毛の土地。しかし古代には、この近くまで川が来ていたはずなのだと言う。
At a southern Iraq site, unearthing the archaeological passing of time
https://penntoday.upenn.edu/news/lagash-southern-iraq-site-unearthing-archaeological-passing-time

これは古代のtavernだ、と言われているが、タバーンというのは現代の言葉で大衆食堂のこと。
ベンチやテーブルが並べられ、キッチンや酒壺が奥にあるという構造全体が、現代の大衆食堂と雰囲気似ていると言われている。あと、現代でも使われている素焼きのツボを使った砂漠の簡易冷蔵庫、「zeer ツィーア/ジーア」も発見されている。

Wikipedia日本語版では「二重ポット式冷蔵庫」と紹介されている
Youtibeだと植木鉢と砂で作る方法が紹介されている。仕組みとしては簡単
How to Make Your Own Zeer Pot (Pot-In-Pot Refrigerator)
https://www.youtube.com/watch?v=G03XdPvBe_E
この「Zeer」は古代エジプトでも使われており、現代でも砂漠の暑い地方では現役。使うコツはなるべく目の荒い素焼きポットを使うことと、砂に染み込ませた水を切らさないことだ。日本の夏だと湿気が高く水の蒸発があまり進まないので効果が薄いが、カラリと暑くてどんどん水が蒸発する砂漠なら、これでよく冷える。
今も現役の簡易冷蔵庫がこの時代から使われ続けていたというのも面白い。
気になるのは、その冷蔵庫の中の食べ物などがそのままで酒場が放棄されているということだ。
住民は荷造りすらせずにこの街を去ってしまったらしい。一般的には、そのような状況が発生しうるのは戦争や大災害の際だけである。一体何があったのだろう…。
また、一時的に住民が去ったとしてもすぐに戻ってくるのが普通だが、道具などがそのままということは、二度と戻って来なかったらしい。
川の流れが移動して水へのアクセスが厳しくなり、気候も変化しつつあった時代のようなので、すでに住むことが厳しくなっていて、そのまま放棄されたのかもしれないが、栄えた町の最後としてはちょっと悲しい。
古代の生活がそのまま残っているのは現代人からすれば面白いのだが、それは、日常がとつぜん断絶されたからこそ起こり得る現象だ。
古代人にとっては望ましくない何かが起きたのだろうな、と考えると、少しだけ切ない。