古代エジプトの葬儀の舞い「ムウの踊り」について
古代エジプトの自伝風文学「シヌヘの物語」に出てくる、「ムウの踊り」というものがある。なんだかなぞめいた踊りで、葬儀の際に墓の前で踊られるものだとしか知らなかったのだが、その踊りの壁画が存在することを知ってちょっと調べてみた。
新王国時代のテーベの墓で、TT15の壁画にあるもの。神官が指揮を取り、団体の踊り手たちが独特のジェスチャーをしている。頭にかぶっているのはパピルスで出来た被り物らしい。なんとなくファラオの被る白冠に似ているのが面白い。というか多分これはオシリス神の被り物を真似たものだと思われる。
手の指は親指と人差し指を伸ばした独特のポーズ。このポーズは他のダンスでも見られるものだが、一体どういう意味のジェスチャーだったのかは不明。おそらく古代エジプトではこのポーズだけで意味が分かるような一般的なものだったのだと思われる。現代で言うアロハポーズ的なもので、「指を上に上げると気分アゲ(喜び)、下に向けるとサゲ(悲しみ)」みたいな意味合いだった可能性はあるかな?
もしくは、これはジェスチャーではなく、親指と人差し指をパチパチ打ち鳴らしている動作を表したものという可能性もある。
さて、ムウの踊りの登場するシーンについてだ。
登場する「シヌヘの物語」については和訳も何種類か出ているが、最近出た以下の文庫は注釈多めなのと他の神話も読めるのでお勧め。
エジプト神話集成 (ちくま学芸文庫) - 勇, 杉, 禎亮, 屋形
登場するのは、年老いたシヌヘが故郷に戻りたいと王に手紙を書き、その返事がもたらされるシーンである。
シヌヘがエジプトで死んだなら豪華な葬式をして立派な墓を作ってやろう、と言っているのである。
ここから、「ムウの踊り」は故人が墓に納められる直前に墓の入口でなされるもので、葬儀の一部として組み込まれていたものだと分かる。また王が書いているのは「豪華なフルセット葬儀」の話のため、この踊りは一般人の葬儀ではやらないものだった可能性もある。
それにしても、葬儀でダンスというのは、ちょっとアフリカンな要素だなぁと思ってしまう。泣き女にダンサー集団。楽器や香炉を携えた神官。古代エジプトのえらい人のお葬式は、ちょっとしたフェスティバルみたいな雰囲気だったのに違いない。
新王国時代のテーベの墓で、TT15の壁画にあるもの。神官が指揮を取り、団体の踊り手たちが独特のジェスチャーをしている。頭にかぶっているのはパピルスで出来た被り物らしい。なんとなくファラオの被る白冠に似ているのが面白い。というか多分これはオシリス神の被り物を真似たものだと思われる。
手の指は親指と人差し指を伸ばした独特のポーズ。このポーズは他のダンスでも見られるものだが、一体どういう意味のジェスチャーだったのかは不明。おそらく古代エジプトではこのポーズだけで意味が分かるような一般的なものだったのだと思われる。現代で言うアロハポーズ的なもので、「指を上に上げると気分アゲ(喜び)、下に向けるとサゲ(悲しみ)」みたいな意味合いだった可能性はあるかな?
もしくは、これはジェスチャーではなく、親指と人差し指をパチパチ打ち鳴らしている動作を表したものという可能性もある。
さて、ムウの踊りの登場するシーンについてだ。
登場する「シヌヘの物語」については和訳も何種類か出ているが、最近出た以下の文庫は注釈多めなのと他の神話も読めるのでお勧め。
エジプト神話集成 (ちくま学芸文庫) - 勇, 杉, 禎亮, 屋形
登場するのは、年老いたシヌヘが故郷に戻りたいと王に手紙を書き、その返事がもたらされるシーンである。
"ムーの踊りが墓の入口にてなされ、汝のために供物リストが読み上げられ、供物台のそばにて犠牲が殺され、王の子たちの墓地の中に、汝の柱が白い石より切り出されん。汝は異国の地に死ぬべきにあらず。"
シヌヘがエジプトで死んだなら豪華な葬式をして立派な墓を作ってやろう、と言っているのである。
ここから、「ムウの踊り」は故人が墓に納められる直前に墓の入口でなされるもので、葬儀の一部として組み込まれていたものだと分かる。また王が書いているのは「豪華なフルセット葬儀」の話のため、この踊りは一般人の葬儀ではやらないものだった可能性もある。
それにしても、葬儀でダンスというのは、ちょっとアフリカンな要素だなぁと思ってしまう。泣き女にダンサー集団。楽器や香炉を携えた神官。古代エジプトのえらい人のお葬式は、ちょっとしたフェスティバルみたいな雰囲気だったのに違いない。