現代ギリシャと北マケドニアを巡る「アレクサンドロス帰属問題」、面倒くさいけど面白い

「古代地中海世界と文化的記憶」という本を読んでいて、マケドニア問題が出てきたのでふと思い出した話。

ギリシャの北にマケドニアという国があり、長らく国名でモメていたのだが、近年になってマケドニア側が折れて「北マケドニア」に改名したというニュースがあったのを、覚えている人はいるだろうか。なんでモメたのかというと、ギリシャ側が「アレクサンドロスは偉大なるギリシャ人なので我が国以外がマケドニアの後継を名乗るのは許せない」と強固に主張したからなのである。

古代のギリシャのポリス群がマケドニアを「異国」と見なし、アレクサンドロス大王の祖先であるアレクサンドロス一世をバルバロイ呼ばわりしていた頃からすると随分スタンス変わりましたねって感じで実に微笑ましい限りである。
この本に出てくるのも、そのへんの「記憶変容」の話である。

古代地中海世界と文化的記憶 - 周藤 芳幸
古代地中海世界と文化的記憶 - 周藤 芳幸

で、ギリシャが1700年の間にアレクサンドロスをギリシャ人と認めるようになり、自分たちのアイデンティティの一部とみなすようになったのはともかく、何でこんなややこしい話になったのか? の部分だ。

実は古代のマケドニアの中心地は、現在、ギリシャと北マケドニアに分裂している。
首都だったペラがあるのが現在のギリシャの北端ペラ県。だが、それ以外は北マケドニアになる。地図を見比べてほしいのだが、面積比で言うと北マケドニアのほうが広そうだ。

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なので、北マケドニアが古代の王国にちなんで「マケドニア」を名乗るのには一定の正当性があるのだが、相手がギリシャだったのが悪かった。そもそもギリシャは、トルコから分離する時点で「古代ギリシャの末裔」というのを国家アイデンティティの柱に据えてしまっていた。
実際は古代ギリシャなどという国は無い(複数の都市国家の集合体)し、その都市国家の位置にしても現在のギリシャという国の領域と一部しか歌重なっていない。
ただ、何とかトルコとの差異を図って「自分たちは別なのだ」と言わなくてはならなかった手前、古代と現代の結びつきは、たとえ創作に近い概念だったとしても、決して揺らいではならないものだったのだと思う。

その意味では、古代のポリスで行われた民衆の記憶の操作や、政治的モニュメントの建立による望ましい歴史の筋書きの固定化という手段は、現代ギリシャにおいても継承されている手法だと言えるのかもしれない。