最後の聖域ーヌビアの「異教の砦」カスル・イブリームと遺跡のその後
カスル・イブリム(Qasr Ibrim)、またはカスル・アル・イブリームと呼ばれる遺跡が、アスワンの南、下ヌビアにある。
現在は上陸が許されているのは考古学者のみ、観光地にはなっていないので観光ガイドにも出てこないが、ダム湖の中に浮かぶ島に廃墟と化した城がなかなかにフォトジェニックな場所である。


だが、そもそもこの場所は、最初からこういう風景だったわけではない。
アスワン・ハイ・ダムによって巨大なダム湖が出来た結果、周囲の町や墓地が水没し、丘の上の城だけが残されて現在の姿になってしまったのだ。
実はこの場所には、古代エジプトの遺跡の上に19世紀までの遺跡が積み重なっている。
最古の遺跡は第18王朝、アメンヘテプ1世まで遡る。ざっと紀元前1500年あたり。それから3500年に渡り、川沿いの要地であり続けた。
そして注目すべきことに、この場所はローマ史からすると「エジプトにおける異教さいごの砦」とされている。
エジプトがローマ属州になったのが紀元前1世紀、ローマの国教がキリスト教に設定されたのが4世紀末。
ナイル川のもっと下流、エジプト本土では、4世紀以降、各地の古代宗教の神殿が閉鎖されていった。
しかしアスワンの急湍を越えた先にあるナイル上流のカスル・イブリムまで改宗が進むのは2世紀ほど遅れ、この地がキリスト教に改宗したのは6世紀だったという。
(ちなみにそれから2世紀あとにはイスラム教も伝来するのだが…)
アスワンにあるフィラエ神殿も、最後まで守っていたのはヌビア人だったらしいという記事を少し前に書いたが、ここでも守り手となったのはヌビア人だった。古代エジプトの宗教の最後の守護者たちがエジプトからすると異国人、かつての植民地だったというのは、実に興味深いところだと思う。
現在は上陸が許されているのは考古学者のみ、観光地にはなっていないので観光ガイドにも出てこないが、ダム湖の中に浮かぶ島に廃墟と化した城がなかなかにフォトジェニックな場所である。
だが、そもそもこの場所は、最初からこういう風景だったわけではない。
アスワン・ハイ・ダムによって巨大なダム湖が出来た結果、周囲の町や墓地が水没し、丘の上の城だけが残されて現在の姿になってしまったのだ。
実はこの場所には、古代エジプトの遺跡の上に19世紀までの遺跡が積み重なっている。
最古の遺跡は第18王朝、アメンヘテプ1世まで遡る。ざっと紀元前1500年あたり。それから3500年に渡り、川沿いの要地であり続けた。
そして注目すべきことに、この場所はローマ史からすると「エジプトにおける異教さいごの砦」とされている。
エジプトがローマ属州になったのが紀元前1世紀、ローマの国教がキリスト教に設定されたのが4世紀末。
ナイル川のもっと下流、エジプト本土では、4世紀以降、各地の古代宗教の神殿が閉鎖されていった。
しかしアスワンの急湍を越えた先にあるナイル上流のカスル・イブリムまで改宗が進むのは2世紀ほど遅れ、この地がキリスト教に改宗したのは6世紀だったという。
(ちなみにそれから2世紀あとにはイスラム教も伝来するのだが…)
アスワンにあるフィラエ神殿も、最後まで守っていたのはヌビア人だったらしいという記事を少し前に書いたが、ここでも守り手となったのはヌビア人だった。古代エジプトの宗教の最後の守護者たちがエジプトからすると異国人、かつての植民地だったというのは、実に興味深いところだと思う。