「ピョートル大帝の夢の跡」、アラル海が干上がるに至る開発の歴史
帯の文言が「ピョートル大帝の夢の跡」でカッコ良かったので読んでみた。
中央アジア、特に黒海とアラル海の間の地域に関する話で、「ロシアにとって19世紀まで、黒海とアラル海の間は未知の領域だった」というのが面白かった。進出して支配下に置くからにはよく知ってたんだと思ったら、そうでも無かった。

転流―アム川をめぐる中央アジアとロシアの五〇〇年史 (ブックレット《アジアを学ぼう》) - 塩谷 哲史
前半の流れをざっくり纏めると、こんな感じだ。
・アラル海に注ぐアム川は、かつて一時的に黒海に流れていたことがある
・しかしロシアもヨーロッパも地理に疎く、その伝承(のようなもの)を信じていた
・アラル海とカスピ海の間に荒野があることに気づいて、どこかで流れが変わったと考えた
・現地にいるヒヴァ人が堰を作って流れを変えているのだと思うようになった
・ピョートル大帝は地域を支配後、アム川の流れを元に戻してインドとつながる交易路を確保しようとした
なんでアラル海からインドの話になるのかというのは、地図を見ると分かる。19世紀当時は、川の上流に英国領インドがあったのだ。
中間のアフガニスタンは、ソ連とイギリスの激しい戦いの舞台にもなったが、中央アジアを中心とした地図で考えるとその意味がわかる。ロシア/ソ連は、かつてアフガニスタンのすぐ北までを支配地としていたからだ。
かくてピョートルは、アラル海に流れ込む川の流れを変えようと、ヒヴァ人や現地住民の反発を買いながら、堰を壊させ、流れを変えようとしたのであった。
しかしこの計画は頓挫する。
アム川はもともと堆積土の多い流れで、氾濫を起こしやすかったらしく、それを防ぐための堰を壊すと現地の生活が立ちゆかなくなる。おそらく、過去に一時的に流れが変わっていたときも氾濫による河川ルートの変更が原因とされる。しかも時代は河川による運搬ではなく、鉄道へと移り変わりつつあった。

ーーこの、頓挫した「アム川をカスピ海に転流させる」というピョートルの計画が、本の帯になっているキャッチコピーの意味なのだ。
しかし時代は変わり、今、このピョートルの夢は部分的に叶えられているという。
ソ連崩壊後、アム川流域は5つの国になってそれぞれ独立し、川は国際河川となった。途中の各国で利用方法は様々だが、灌漑用水としての使い方はだいたいどこの国も同じで、途中で支流を作って広大な耕作地に水を引き込んだ結果、一部がカスピ海封建に流れ込んでいる。
周知の通り、アラル海は上流で水を使いすぎて流量が激減し、消滅寸前になっている。
その水は、アラル海の「手前」にある。衛星写真で見ると荒野の中に緑色に広がる耕作地が見えるのだ。川に沿って広がるこの土地が、アラル海に注ぐはずだった水の使われた場所になる。

灌漑事業は、この地域がロシア/ソ連配下にあった時から行われていた。
国歌の肝いりで行われた綿花栽培には大量の水が使われ、かつてアメリカから輸入していた分をあっというまに時刻内で供給できるようになったほどだという。しかし、その結果としてアラル海は縮小し、周囲の環境は激変してしまった。
それ自体に良し悪しの判断はない。しかし、帝国の「夢の跡」が今も形を変えて面影を残しているというのは興味深いし、アラル海の消失問題が単なる環境破壊ではなく、歴史の伏線の上に成り立っているのだということが分かる。
中央アジア、特に黒海とアラル海の間の地域に関する話で、「ロシアにとって19世紀まで、黒海とアラル海の間は未知の領域だった」というのが面白かった。進出して支配下に置くからにはよく知ってたんだと思ったら、そうでも無かった。

転流―アム川をめぐる中央アジアとロシアの五〇〇年史 (ブックレット《アジアを学ぼう》) - 塩谷 哲史
前半の流れをざっくり纏めると、こんな感じだ。
・アラル海に注ぐアム川は、かつて一時的に黒海に流れていたことがある
・しかしロシアもヨーロッパも地理に疎く、その伝承(のようなもの)を信じていた
・アラル海とカスピ海の間に荒野があることに気づいて、どこかで流れが変わったと考えた
・現地にいるヒヴァ人が堰を作って流れを変えているのだと思うようになった
・ピョートル大帝は地域を支配後、アム川の流れを元に戻してインドとつながる交易路を確保しようとした
なんでアラル海からインドの話になるのかというのは、地図を見ると分かる。19世紀当時は、川の上流に英国領インドがあったのだ。
中間のアフガニスタンは、ソ連とイギリスの激しい戦いの舞台にもなったが、中央アジアを中心とした地図で考えるとその意味がわかる。ロシア/ソ連は、かつてアフガニスタンのすぐ北までを支配地としていたからだ。
かくてピョートルは、アラル海に流れ込む川の流れを変えようと、ヒヴァ人や現地住民の反発を買いながら、堰を壊させ、流れを変えようとしたのであった。
しかしこの計画は頓挫する。
アム川はもともと堆積土の多い流れで、氾濫を起こしやすかったらしく、それを防ぐための堰を壊すと現地の生活が立ちゆかなくなる。おそらく、過去に一時的に流れが変わっていたときも氾濫による河川ルートの変更が原因とされる。しかも時代は河川による運搬ではなく、鉄道へと移り変わりつつあった。
ーーこの、頓挫した「アム川をカスピ海に転流させる」というピョートルの計画が、本の帯になっているキャッチコピーの意味なのだ。
しかし時代は変わり、今、このピョートルの夢は部分的に叶えられているという。
ソ連崩壊後、アム川流域は5つの国になってそれぞれ独立し、川は国際河川となった。途中の各国で利用方法は様々だが、灌漑用水としての使い方はだいたいどこの国も同じで、途中で支流を作って広大な耕作地に水を引き込んだ結果、一部がカスピ海封建に流れ込んでいる。
周知の通り、アラル海は上流で水を使いすぎて流量が激減し、消滅寸前になっている。
その水は、アラル海の「手前」にある。衛星写真で見ると荒野の中に緑色に広がる耕作地が見えるのだ。川に沿って広がるこの土地が、アラル海に注ぐはずだった水の使われた場所になる。
灌漑事業は、この地域がロシア/ソ連配下にあった時から行われていた。
国歌の肝いりで行われた綿花栽培には大量の水が使われ、かつてアメリカから輸入していた分をあっというまに時刻内で供給できるようになったほどだという。しかし、その結果としてアラル海は縮小し、周囲の環境は激変してしまった。
それ自体に良し悪しの判断はない。しかし、帝国の「夢の跡」が今も形を変えて面影を残しているというのは興味深いし、アラル海の消失問題が単なる環境破壊ではなく、歴史の伏線の上に成り立っているのだということが分かる。