エジプト:紅海沿岸の都市ベレニケで仏像が見つかる。現地在住インド人がいた可能性あり
エジプトのローマ時代の遺跡で仏像が見つかった、というニュースがあったので、ほーん? インドから持ってきたんかな? と思ってよくよく読んだら違かった。これインド人仏教徒がエジプトで掘らせたやつだった。(※ここで言うインドは現在の国のインドではなく、ざっくりした広い地域での「インド」と認識してもらえばより正確)
Buddha statue unearthed at temple in Egypt's Red Sea region
https://english.ahram.org.eg/NewsContent/9/41/498493/Antiquities/GrecoRoman/Buddha-statue-unearthed-at-temple-in-Egypt;s-Red-S.aspx
ベレニケ港は、プトレマイオス朝からローマ支配時代にかけて使われていたエジプトの紅海沿岸だ。
ちなみに現代の港であるベレニケ港はアスワンのすぐ東くらいで、かなり南に寄った場所に作られている。古代のベレニケはもうちょっと北のほうになる。
ベレニケ港の位置と成り立ちについては以下の過去記事に書いた。
あまり長いこと使われていた港ではないのだが、一時期はインド方面への交易の玄関口として栄えていた。
ローマ支配時代のエジプト沿岸の街ベレニケと古代のペット事情/なぜ大量の猫がそこで飼われていたのか
https://55096962.seesaa.net/article/202103article_10.html
で、その港町の遺跡から仏像が見つかったのだ。
だが石材が真っ白で顔立ちもなんだかローマ風。これ実は石材はイスタンブール南方から切り出されていて、制作はおそらくエジプトにいた職人だろうとされている。ある意味、正しくヘレニズム文化の産物なのだが、よくあるパターン(ギリシャ彫刻がインドで掘られる、等)の逆で、インド文化がエジプト側に持ち込まれているのが面白い。
これはベレニケ港に長期滞在していた裕福な仏教徒が作らせた可能性があり、もしかしたら、一定数のインド人が滞在するコミュニティなどもあったのかもしれない。なかなか面白い発見である。
あと、ベレニケ港についてはここ何年か発掘調査を追っていて記事を書いているので、いくつかリンクしておきたい。
シリア戦争と貿易港の運命: プトレマイオス朝エジプトの政策の転換期
https://55096962.seesaa.net/article/202103article_15.html
紅海沿岸の古代の貿易港ベレニケ、インド交易による動物輸入の証拠が見つかる
https://55096962.seesaa.net/article/202009article_5.html
紅海沿岸ベレニケの町/ローマ時代の鷹神の神殿と他民族の信仰
https://55096962.seesaa.net/article/492622040.html
これらの調査結果から、どうやらベレニケはプトレマイオス朝の首都だった頃のアレキサンドリアの如く、多種多様な人々が集う文化の混合集積所みたいなところだったようだ。神殿や宗教にしても、エジプトのものに別の何かが混じっている感じ。取扱商品もアフリカ内部のからくる象牙や、沿岸のべっ甲、インドの香辛料にインドゾウ…と、高価で珍しいものがたくさん。
そのくせ個々人の顔は見えてこないのだから、なんとも想像力をかきたてられる場所である。
Buddha statue unearthed at temple in Egypt's Red Sea region
https://english.ahram.org.eg/NewsContent/9/41/498493/Antiquities/GrecoRoman/Buddha-statue-unearthed-at-temple-in-Egypt;s-Red-S.aspx
ベレニケ港は、プトレマイオス朝からローマ支配時代にかけて使われていたエジプトの紅海沿岸だ。
ちなみに現代の港であるベレニケ港はアスワンのすぐ東くらいで、かなり南に寄った場所に作られている。古代のベレニケはもうちょっと北のほうになる。
ベレニケ港の位置と成り立ちについては以下の過去記事に書いた。
あまり長いこと使われていた港ではないのだが、一時期はインド方面への交易の玄関口として栄えていた。
ローマ支配時代のエジプト沿岸の街ベレニケと古代のペット事情/なぜ大量の猫がそこで飼われていたのか
https://55096962.seesaa.net/article/202103article_10.html
で、その港町の遺跡から仏像が見つかったのだ。
だが石材が真っ白で顔立ちもなんだかローマ風。これ実は石材はイスタンブール南方から切り出されていて、制作はおそらくエジプトにいた職人だろうとされている。ある意味、正しくヘレニズム文化の産物なのだが、よくあるパターン(ギリシャ彫刻がインドで掘られる、等)の逆で、インド文化がエジプト側に持ち込まれているのが面白い。
これはベレニケ港に長期滞在していた裕福な仏教徒が作らせた可能性があり、もしかしたら、一定数のインド人が滞在するコミュニティなどもあったのかもしれない。なかなか面白い発見である。
あと、ベレニケ港についてはここ何年か発掘調査を追っていて記事を書いているので、いくつかリンクしておきたい。
シリア戦争と貿易港の運命: プトレマイオス朝エジプトの政策の転換期
https://55096962.seesaa.net/article/202103article_15.html
紅海沿岸の古代の貿易港ベレニケ、インド交易による動物輸入の証拠が見つかる
https://55096962.seesaa.net/article/202009article_5.html
紅海沿岸ベレニケの町/ローマ時代の鷹神の神殿と他民族の信仰
https://55096962.seesaa.net/article/492622040.html
これらの調査結果から、どうやらベレニケはプトレマイオス朝の首都だった頃のアレキサンドリアの如く、多種多様な人々が集う文化の混合集積所みたいなところだったようだ。神殿や宗教にしても、エジプトのものに別の何かが混じっている感じ。取扱商品もアフリカ内部のからくる象牙や、沿岸のべっ甲、インドの香辛料にインドゾウ…と、高価で珍しいものがたくさん。
そのくせ個々人の顔は見えてこないのだから、なんとも想像力をかきたてられる場所である。